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1-2 祖父からの電話

 ぴんぽーん

 瓦葺の屋根を持つ屋敷の中で間延びした呼び鈴の音が響き終わる頃、玄関の引き戸が開き家主が現れた。肩幅の広いその家主の老人は、来客の姿を確認すると、陽気な笑みを浮かべた。

「おお、君か。良く来たな」

「お久しぶりです、良蔵さん」

 やってきた客は行儀良く頭を下げた。スーツを着たその女性の黒く長い髪が、首の両側で小さく揺れる。その手には一つのアタッシュケースを提げていた。

「まあ上がりなさい。話もあるし」

「では、お言葉に甘えまして」

 そう言うと、客は規則正しい足取りで玄関に上がった。靴を脱ぎ、カーペットの上に上がり、靴を揃える。どれをとっても完成された動作だった。

「客間はこっちだよ」

「はい」

 良蔵と呼ばれた老人が先に立ち、女性が後に続いた。

 通されたのは、広い庭に面した和室の客間だった。ふすまは大きく開け放たれ、縁側から差す日が部屋全体を明るくしている。

「長瀬君、今お茶でも出すから、座ってなさい」

「ありがとうございます」

 長瀬と呼ばれた女性は促された通りに座布団に座り、良蔵は客間を出た。女性はアタッシュケースを脇に置き、それを開ける。

 二人分の湯飲みと急須の乗った盆を持って戻ってきた良蔵の前で、長瀬はアタッシュケースから出したものを机の上に置いた。

 それを見て、ほお、と良蔵が感心した声を上げた。

「それが、君の言っていた……」

「はい、ハウルフォンです」

 彼女がそう呼んだのは、一つのスマートフォンだった。

 良蔵が座り、机の上に置かれたそれを見て、眉をひそめる。

「ただの携帯電話に見えるがねぇ」

「実際、カモフラージュを兼ねてこの形状になっています。これだけならばただの携帯電話ですが、こちらと合わせて使って、初めてハウルフォンの持つ本来の機能が作動します」

 そう言って、長瀬はアタッシュケースから新たな物品を取り出した。

 それは幅広な革製の帯がついた、専用の台座だった。その寸法は先ほどのスマートフォンに合わせたものだ。台座の形状は四つ角を押さえるホルダー型のもので、旧式の携帯電話の充電器を思わせる。

 良蔵は一目でその台座がスマートフォンをはめ込むものだと分かり、すぐにその使い方も理解した。

 その上で、正直な感想を漏らす。

「言っちゃあ何だが、玩具みたいだな」

「私もそう思います。あの人の趣味ですね」

呆れたように言って、長瀬は再びアタッシュケースに手を伸ばした。

 蓋の方には、ダブルクリップで留められた仕様書が貼り付けられていた。

 長瀬はそれを手にし、対面に座った良蔵に差し出した。

 良蔵がその表紙を捲るのを見て、彼女は口を開いた。

「隔世遺伝するハウルの遺伝子。それを受け継いでいらっしゃるあなたも、失礼ですが、そろそろ現役でいるのは困難でしょう」

「それなんだよなあ。どうにも最近、腰の調子が悪くていけねえ」

仕様書に描かれているスケッチ画が良蔵の目に留まる。先ほどの台座の全体図があり、それはブレスと名称されていた。

「加えて、やはり世代を重ねるわけですから、血も薄くなり、次のハウルが特徴を得る確率も低くなっています。あなたのお孫さん全員が必ずハウルになれるとも限りません」

「いや最も。面倒くさい話だよなあ」

 良蔵はうなずき、仕様書を読みながら湯気の昇る緑茶をずずっとすすった。

 動揺も落胆も見せない彼に、長瀬がため息をつく。

「他人事ではありません。ここ数ヶ月、バーミッシュの活動がどんどん活発化してきています。今のヴィオキンがもし倒れてしまえば、他に戦える者がいません。あなただって、それは分かっているでしょう」

 長瀬が真剣な顔を良蔵に向ける。

 さすがに良蔵も、表情を固くして長瀬に向き直った。

「だからこそのハウルフォンです。わずかなハウルの遺伝子を活性化させ、その力を引き出させるサポートツール。今日ここに来たのは、その機能が正常に作動するかどうかの確認です」

 良蔵が湯呑と仕様書とを机の脇にどけ、ハウルフォンとブレスとを手に取る。

「使用方法は簡単です。左手にブレスをつけ、ハウルフォンで……」

 すぐに長瀬の説明は終わった。

 良蔵は難しい顔をして、ハウルフォンとブレスを交互に見た。

「えらく面倒くさい仕様だな」

「セキュリティと悪用防止をかねた結果です。確かに面倒ですが、それは大きな失敗にはつながらないと私は考えます」

「どうかねえ……。ま、俺は試すだけでいいけどな」

 良蔵はブレスを腕時計のように左手につけ、ハウルフォンの画面を操作する。

「孫に電話したいんだが」

「どうぞ。相手は誰でも構いません」

 良蔵は暗記している11桁の番号を押し、通話ボタンを押した。

 耳に当てて、相手が出るのを待つ。

 呼び出し音が切れるのを聞いて、良蔵は表情を明るくした。

「おお、直君か。じいちゃんだよー」


「急にどうしたの、じいちゃん?」

 直は電話に出ながら、志乃にちらりと目を向けた。

 志乃は視線に気付き、黙っておく事を約束するように口元で指を立ててみせた。

 直は頷き、電話に集中する。

『いやー、久しぶりに声が聞きたくてねー。元気?』

「元気元気。じいちゃんも病気してない?」

 明るい声色で直は応対した。携帯電話で話すなど、三週間ほど前に実家に連絡して以来だ。

『おお、元気、元気。にしても直君、よく出てくれたねー』

「え?」

『いや直君、この携帯の番号知らないだろ?非通知だろうから、出ないとばっかり思ってたよ』

 これに、直の喉が裏返った。

「うぇ?ええ、と、ほら、友達とかがさ、結構頻繁に携帯変えるんだ。それで、変える度に番号が変わるでしょ?おかげで電話帳に入れるのが毎回大変でさー」

「おお、そうかそうか。大変だねー」

「そ、そうそう。あははは……」

 乾いた声で直はごまかすために笑った。

 そんな友達は、直にはいない。

 彼の電話帳に登録されている番号の数は、志乃や家族のものを入れてなお十にも満たない。

 祖父を失望させたくはないが、それでつまらない見栄を張る自分が、直は情けなかった。

『そういえば、就職活動はどうかね?』

「ん?いやー、やっぱり難しいよ。どうしてもあがっちゃって、うまく喋れないんだ」

『おお、そうか。そればっかりは慣れだからねぇ。直君ならきっといい所に入れるから。じいちゃん応援してるぞ』

 直はそう言われて、少しだけ気が楽になった。

「ありがとじいちゃん。お盆には顔出すね」

『そうかい、ありがとう。そろそろ電話切るよ』

「分かった。そんじゃね」

『はーい』

 相手が切るのを聞き届けてから、直は通話を切った。

 様子を背中で聞いていた志乃が、直に歩み寄って顔を近づける。

「おじいさんがどうかした?」

「いや、電話してきただけっぽい。何だったんだろ……?」

 首をひねりながらも、直は陰鬱だった気分が幾分か晴れているのが分かった。久しぶりに祖父と話せたことは、思いのほか彼に喜びを与えたようだった。

 そこで、炊飯器が炊き上がりを知らせる電子音を鳴らした。

 蓋を開けた志乃がしゃもじを差して米を軽く混ぜる。

「ごはん出来たよー」

 志乃に呼ばれた直は腰を上げ、キッチンに立つ志乃の隣に並んだ。

 そこで見たものに、直は情けない顔になる。

 フライパンの上にある肉と一緒に炒められたものを確かめ、志乃を見た。

「……マイタケ嫌いって、知ってるよね」

「あたしが食べるの。ちょっといる?」

「いらない」

「まあまあ遠慮せず」

 言いながら、志乃は菜箸でマイタケを取って直に差し出した。

「ちょ、だからいらな……、熱ぁ!」

 頬を叩いたマイタケに、直は悲鳴を上げた。


 長瀬が良蔵の姿を見て、よし、と拳を握った。

「良蔵さん、調子はどうですか?」

 立ち上がった良蔵が自分の体を見下ろす。

 良蔵の姿は、これまでとは大きく変わっていた。

人間離れしている、と言ってもいい。

 全身の筋肉がはちきれんばかりに膨れ上がり、筋肉質になった体型を長い銀の獣毛が余す事なく包んでいる。

 獣毛と表現されたのは、その顔に理由がある。

 前方に突き出た濡れた黒い鼻。薄く黒い唇から覗く鋭い牙。

 頭の上に並ぶ耳は尖り、太くなった首と、腰から生えた尾が、彼のシルエットを更に人間離れしたものに変えていた。

 今の彼はまさに狼男そのものだ。

 良蔵は狼の顔で、五本の長い指を持つ手と左腕につけたブレス、そしてそれに据え付けられたハウルフォンと全身とを何度も見比べる。

「おお、こりゃあいい。すげえ楽にできたよ」

 弾んだ声を上げて長瀬に円らな目を向ける。長瀬は立ち上がって、良蔵の手を握った。

「ありがとうございます。研究の甲斐がありました。これならお孫さんでも豹転できるでしょうか?」

「俺が出来るんだ。直君だって楽勝だよ」

「確かですか?」

「当然さ。自力で豹転できなくても、これでならいけそうだ」

「ありがとうございます、安心しました」

 長瀬が頭を下げる。

 その目が、良蔵の手首にはめられたブレスとハウルフォンに向けられた途端、寂し気に細まった。

 それに気付いた良蔵は、あ、と自分の口元を押さえかけた。

「長瀬君、やっぱり君は……」

「いえ、大丈夫です。納得はしています……」

 長瀬の声は、諦観のこもったものだった。

 良蔵は気まずさを感じ、改めて彼女の手を握り返し、頭を下げた。

「ともあれ、これで俺も安心して引退できるよ。君のおかげだ」

「……ええ。名残惜しいですが、あとはお孫さんに託しましょう」

「ああ」

 二人は見つめあい、同じ喜びを共有し合った。その絵面は、童話か悪夢のようだった。



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