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4-4 女の顔をした男


 太陽が高く昇りきった頃、長瀬はスクーターに乗って、自宅へと帰る最中だった。

 知人から譲り受けたそのスクーターは型遅れの野暮ったいデザインのものだが、重い荷物を載せても軽快に走れるそれを長瀬は気に入っていた。

 早く帰って勤めの準備をしなければ、本業に支障が出る。

 赤信号が変わるのを待ちながら、彼女は歩道に何気なく目を移した。

 平日の昼間という事もあって、子連れの主婦や時間を持て余した若者が目立った。

 その中に一人、彼女の目を引く者がいた。

 白いスーツを着た男だ。

 容姿もスタイルも整ってはいるが、二車線の脇の歩道、それも昼間に八百屋や古本屋の前にいるにしては浮いた存在だ。

 何より、彼女は男の顔に見覚えがあった。

 地下駐車場連続殺害事件、四人目の被害者。

 それは女性の顔だったが、男のそれが他人の空似ではないという確信が彼女にはあった。

 男は長瀬の傍を通り過ぎ、変わらぬ歩調で彼女から離れていった。

 長瀬は男が角に曲がって姿を消したのをサイドミラーの中で確認すると、スクーターを歩道の脇へと押し上げて、エンジンを切って鍵を抜いた。ヘルメットを脱ぎ、男の向かった先へと急ぐ。

 男の消えた角へ向かいながら長瀬は携帯を開き、慣れた手つきであずさの番号を呼び出した。

『はーい、何―?』

 呑気で朗らかな声に、長瀬は平時の固い口調で言う。

「長瀬です。お忙しい中、申し訳ありませんがお時間を頂きたいです。バーミッシュです。連日報道されている事件の主犯と思われます。場所は―――」


 その日あずさは非常に気だるい気分だった。

 一昨日は戦い、昨日は面白くない話を聞かされた。

 そのせいで心身共に疲労がたまり、少々神経質になっていた。

 その上テストまで日がないため、彼女は友達と一緒に、仕方なしにノートをまとめているのだった。

 そんな時に電話がなれば、当然不機嫌にもなる。

「ちょっとごめんね。……はいはーい、何―?」

 そこでなお明るく電話に出られる自分に、彼女は大人としてのささやかな優越感を感じるのだった。

 着メロで誰か、そしてこれからされる話の内容も察しがついていた。

『長瀬です。お忙しい中、申し訳ありませんがお時間を頂きたいです。バーミッシュです』

 お決まりのような台詞に眉をしかめ、彼女は不機嫌を露にして答えた。予想外の内容の方が、新鮮な驚きがある。

「はい、お呼びですね。どこでしょう?」

『空坂町の路地です。現在追跡してますから、私をGPSで確認してください』

「はい急行します」

 早口で答えて携帯を切り、あずさは席を立った。隣に座っていた友人の千鶴が彼女を見上げる。

「あずちゃん、どしたの?」

「ごめん、ちょい急用」

「えーまた?最近ずっとそうじゃん。サボれないの?」

「いやいや、人気者は辛いのよ」

 不平を言う千鶴や他の友人達をなだめながら、あずさは広げたノートをしまった。

 彼女自身も写させてもらいたいのはやまやまだったが、スマートフォンを点け、GPS機能で長瀬の場所を割り出す。

 幸いと言うべきか、自転車で行ける範囲だ。

 気が進まない。それが彼女の偽らざる本心だったが……

「一応やばいんだよね、ナガさん」

 あずさは鞄を抱え、駐輪場へと走った。


 白い服の男を追いながら、長瀬は次に直へと電話をかけた。

「長瀬です。お忙しい中、申し訳ありませんがお時間を頂きたいです」

『バーミッシュ、ですね』

 返ってきた声は静かで、長瀬はやや面食らう。

「……はい。最近の連続殺人犯と思われます」

『場所は?』

「空坂町の路地です。現在追跡しています。GPSで確認してほしいところですが、そうはいきませんね。通話中ですから。案内しますので、電話は切らないでください」

『はい』

 長瀬は彼の声音に抑揚がないのを不思議に思ったが、視線の先の男が角に曲がるのを見て、急いで前方に集中する。

 この付近の地理を、彼女は全て暗記していた。

 地元の派出所勤務の警察官よりも詳しいと自負できる。

 公衆電話からでも案内が出来るように、彼女は全ての道筋を頭に叩きこんであった。

 直のように、指示を続けるのが何より重要という特殊なパターンは予想していなかったが、覚えた甲斐はあったと言える。

「十時路を南に曲がって、二つ目の角です。城戸さんにも応援を要請していますから、合流できれば一緒に来て下さい」

 声量に気を付けながら彼女は直に説明した。

 受話器の向こうで風を切る音が分かり、直が自転車を走らせているのを察する事ができた。

 何度も何度も、男は角を曲がって行く。長瀬はまかれまいと、追う事に気を配る。

『はい。そうだ、顔以外にそのバーミッシュの特徴は何かありますか?』

「白いスーツの上下です。自己愛の強そうな男ですから、見れば分かると思います」

『男ですね、分かりました』

 しっかり敵の容姿を確認する直に、長瀬は頼もしさすら感じ始める。

 彼女は意気込んで尾行に向かい、男を追って角に曲がった。

 そこで彼女は足を止めた。

 行き止まり。男はいない。

 息を呑んだ直後、顎の下を冷たい感触が走った。

「追っかけとは嬉しいねぇ」

 長く伸びた指を長瀬の顎に沿え、男は微笑んだ。

 背筋の凍りつくような、残酷な笑みだった。

「迂闊だった、と思うかい?」

 男の呟きは、長瀬の心情を良く表していた。

 平日昼間の細い路地。人気はなく、男の異質な姿を目にするものは誰もいない。

 男は長瀬を誘い込んでいたのだ。

 会話に集中し過ぎていたせいもあるが、踏み込み過ぎたのが災いした。

 何度も道を曲がっていたのも、虚をついて距離を詰めるためだったのだ。

「……尾行に、慣れていた?」

「口うるさいのがいてねぇ。しかし、なかなかどうして」

 鋼の爪を滑らせるようにして、男が鼻先を長瀬の頬に近づけた。

 吐息のかかる位置まで迫り、小さく呟く。

「美しい。良い顔だ」

 良い、のニュアンスに長瀬は臍を噛む。

 獲物を値踏みした言い方だ。

 長瀬は携帯を持った手をゆっくりと下ろし、男を睨む。

「……地下駐車場で殺された四人も、あなたが?」

「は?……ああ、あれか。みーんな、好みの顔をしていたからね、もらったんだ。でもね、僕は今とても困っているんだ」

 男がそこまで言った時、彼の下唇がへたりだした。

 引力に従い、だらしなく下へめくれて歯をさらし―――取れた。

 びちゃ、と音を立ててアスファルトに肉片が落ちる。

 男の鼻もずれ始め、耳もずるずると顎の下にまで下がっていく。

 目玉も眼窩から零れ落ちそうになっている。

 顔の部品の全てが、川の流れに負ける小船のように下へと落ちていき、今や人の顔を成していなかった。

「この顔も限界さ。だから、ね」

 腐り落ちていく顔を空いた手で覆い、男は頬を掴んだ。

 豆腐をちぎるようにわずかな飛沫を散らし、たやすく顔の皮が引き剥がされた。

 長瀬の頬に赤い液体の粒が飛び、粘った音を立てて男の顔の皮と歯、そして詰め物の肉とが足元に転がる。

 目玉が二つ、長瀬の靴に当たって跳ねた。

 男はバーミッシュとしての正体を現した。

 窄まった頬、前に突き出た細い前歯。

 血と体液で薄汚れた、剥き出しの骨。

 落ちた人間の耳の代わりに、薄い獣毛に包まれ丸みを帯びた貝のような耳が飛び出す。

 鼠の頭蓋に、鼠の耳。

 ラットバーミッシュが顎を開き、生臭い吐息を吐いた。

「いただきます」

 ラットが自由にしていた方の手の指先が、滑るように長さを得る。

 刃の長さと切れ味を持つ指が長瀬の額へと触れた。

「ちょい待ち」

 突然、声が上がった。別の声だ。

 ラットが顔を上げ、動揺を露わにして周りに顔を向ける。

「誰だ、どこにいる!?」

「こっちこっち」

 ラットが長瀬の額から爪を放し、背後を振り返る。

 ラットの顎がかち上げられたのも、それと同時だった。

 ラットの足が宙に浮き、体が後方へ飛ぶ。

 ラットは背中から落ち、息を詰まらせて倒れた。

「がっ……」

 ラットは咳き込みながら、肘で身を起こした。

 最初に見たもの、彼の前にいたのは女子高生の制服を着た鬼だった。

 つり上がったまなじりを思わせる彫りの仮面に、食いしばった歯。

 赤い全身に、額に生えた二本の角。

 高く掲げた片足は、先ほどラットの顎を蹴り上げたものだ。

 鬼に似た異形は片足を下ろし、鋭い眼で倒した相手をねめつけた。

「ヴィオキン、貴様!」

「何が貴様、だ。ナガさん、無事?」

 ヴィオキンは前へ出て長瀬を背後に隠した。

 長瀬は顎に手を沿え、傷の深さを確認する。

 薄皮一枚ですんだ事を知ると、安堵から大きく息を吐いた。

「ええ、大丈夫です。助かりました」

 長瀬からすれば命の危機だった。

 動悸を押さえながら、あずさの邪魔にならないように下がる。

 今やヴィオキンとなったあずさは、襟からリボンを引き抜いて長瀬に差し出した。

 首元を緩めるためでもあるが、あずさの学校ではリボンの色で学年が分かれるため、身元が割れるのを防ぐためでもある。

 リボンを長瀬に渡すと、ヴィオキンは意気揚々と指を組んで手首を鳴らし、そして首を鳴らした。

「んじゃあ、ちゃっちゃとやっちゃいますか」

 ヴィオキンが改めてラットを睨みつけ、腰を落として身構えた。

 ラットも立ち上がり、長く伸びた十指をヴィオキンに広げる。

「ッシャアァ!」

 あずさが地を蹴り、傍のビルの壁を駆けてさらに高く跳んだ。

 


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― 新着の感想 ―
[一言] リボンを外すのにはそういった意味があったんですね。 私の母校ではスリッパ型の上履きの色が学年で異なりました。留年すると直ぐに判ります(笑)。
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