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3-2 ドーナツ屋で


 駅ビルのそばにあるミスドの店内はドーナツを持ち帰ろうとする客で混んでおり、席はさほど埋まっていなかった。

 高い天井から長い電線によって吊り下げられたいくつもの暖色の明かりが、店内全体を照らしている。

 直があずさを見つけるのは簡単な事だった。

 見覚えのあるヘアピンをして、こちらに向かって手を振ってきたからだ。

 学校の制服を着て、一人で彼を待っていた。

 彼を見ていたあずさの目が不意に細まり、腕の動きが止まる。

 その視線の先には、直の隣にいる志乃がいた。

 目の合った志乃が、直に尋ねる。

「あの子?」

「うん」

 直はあずさの向かいの席に座り、鞄を置いた。

「どうも」

 あずさはすぐに返事を返さなかった。もの言いたげに目を細め、眉根に皺を寄せている。

 首を捻る直の隣に、志乃が座った。

 直は志乃を掌で指し、あずさに言う。

「あの、こちら前原志乃ちゃん。僕の付き添いです」

 志乃が黙ってあずさに頭を下げた。

 あずさは少し黙った後、同じく軽く頭を下げる。

「城戸あずさです……」

 あずさは直と志乃とを見比べた後、直に言った。

「……まさか彼女連れてくるとは思わなかったよ」

 直は目を瞬かせた後、あずさに尋ねた。

「彼女って?」

「その人!」

 あずさは声を張って、志乃を指差した。

 遅れて、志乃が自分を指差された事に気付き、自分を指差し首を傾げた。

「そう!一人で来いとは言わなかったけどさ、ちょっとどうかと思うよ」

 直と志乃は顔を見合わせた後、揃ってあずさに手を振って見せた。

「「いや、違うよ?」」

「うっそだー、ハモってるし。そんな軟派な人と思わなかったぁー」

 あずさは心底軽蔑した様子で直に胡乱な目を向けた。

 真っ向からの嫌悪に、直は居心地の悪さを感じ、助けを乞うように志乃を見る。

 志乃はその意図を汲んで、あずさに言った。

「女子高生が男の人と二人でいたら、変な噂が立つでしょ?」

 あずさはむ、と唸って志乃を見た。

 言い分は最も、と理解しているようだったが、それでもぬぐい切れない不審の目を改めて直に向ける。

 直は慌てて口を開いた。

「いや、友達だよ?大事な話だと思ったから、ある程度は聞いてもらった方がいいのかなって……」

「友達相手にそこまで気ぃ回さないよ。そういうのは……」

「え、そうなの?」

 あずさの言い終わらないうちに、直は思わず言った。

 これにあずさは目を丸くして言葉を飲む。

「……?えーっと……」

 あずさが質問のまとまらない様子で逡巡していると、志乃が控えめに手を上げてあずさの注意を引いた。

「あの、ちょっとお話を……」

 志乃は軽く席を立ち、洗面所を指差す。店内の角の奥まった位置にそれはあった。

 あずさは怪訝な様子で首を捻るも、立ち上がって志乃と共に洗面所のある角へと入っていった。

 直は席に着いたまま、二人を見送る。

 一人になった直は、落ち着かずそわそわした気分で店内を見回した。

 ガラス張りの店内はドーナツの並ぶ陳列棚とレジ、そして喫煙席と禁煙席とを隔てるアクリル板の仕切りで構成されている。

 透明なアクリル板で仕切られた喫煙席では、火のついた煙草からいくつも煙の糸が昇っていく様子が見られた。

 禁煙席では家族連れや帰宅途中の学生が、喫煙席ではスーツ姿の男女や古着を来た老人が目立つ。

 すん、すん、と直は鼻を鳴らす。

 直の鼻はわずかに漏れ出る煙草の臭いを嗅ぎ取ったが、気になる程度のものではなかった。

「……ん?」

 ふと、気になる臭いがわずかに嗅ぎ取れた。

 夕方のドーナツ屋にはふさわしくない、不快なものだ。

 何の臭いだろうとその出所が気になりだしたその時。

「ンフンッ!」

 ……という声が、洗面所の方から上がった。

 直はもちろん、声を聞きつけた店内の客達がそちらを見やる。

「……っ、……、ははっ……ふひっ」

 息も絶え絶えなその声は、あずさのものだった。

 何事かと、直は慌てて小走りで洗面所を覗き込む。

 鏡のある洗面所の前で、あずさは腹を抱えてうずくまっていた。

 すぐ傍では、志乃が彼女の様子を見るように同じくしゃがみこんでいる。

「どうしたの?」

「いや、あのね……」

 志乃が答えようとすると、再びあずさがんふっ、と声を漏らした。

「も、駄目。お腹痛い……」

 どうにか絞り出すように言った彼女の声は、小さく、震えていた。

 くくく、と喉の奥から上がるのは、明らかに笑い声だった。

「……何話したの?」

 直が真面目な顔で尋ねると、志乃は真顔になった後、ごまかすように肩をすくめて笑った。

「いやホントに何話したの!?」

 直の声に、更にあずさは噴きだした。

「んっふふ、ふふ……」

 少し経った頃、ようやく落ち着いてきたのか、身を丸めて震えていたあずさがゆっくりと顔を上げる。

「ごめん、誤解してた。なっち絶対悪い人じゃないや」

 笑い過ぎで出てきた涙を拭い、直を見上げた。

 その表情は、少し前までの不信感に満ちたものではなかった。

 彼女が敵意を失った事に直は安堵したが、次に発言の内容に気が付く。

「……なっち?」

 とんでもなく気安いあだ名に、直は耳を疑った。

 志乃も目を丸くしてあずさを見る。

 二人の反応に、あずさはきょとんとする。

「あ、駄目?でも、月島さんって感じじゃないし。全然頼りないもん」

 ふふっ、と次に噴き出したのは志乃だった。

 直は志乃に咎めるような視線を向けたが、自分でもその通りだと思い、小さくうな垂れた。

 自分で就職活動が上手く行かない理由の一つとしても考えている、直の欠点の一つだった。

「ごめんごめん。もう落ち着いたし、そろそろ席に戻ろっか」

 あずさは立ち上がり、二人を振り返りながら元の席へと戻っていった。

 直と志乃も、彼女を追って席に戻る。

 三人が席に座って落ち着いた頃、あずさは直に尋ねた。

「……で、なっちはどこまで読んだの?」

 直は何の話だろう、と思いかけた矢先、昨日長瀬から渡された書類の束の事を思い出した。

「全部を読んで覚えた訳じゃないよ。ええと……」

 直はちらりと志乃を見た。この件について、細かくは彼女の前では話せないと思ったからだ。

 志乃は直を見て、その目を細める。

 やましい事があるのかと探るようなその目に、直はうんと頷いた。

 それを受けて、彼女の表情が緩んだ。

 仕方ないなぁ、という顔だ。

「それじゃ、ちょっと席外すね。ドーナツ買ってきたげる」

 志乃は席を立つと、速足でショーウィンドウの前に並ぶ列の最後尾へと歩いて行った。

 その後姿を見送った後、直は再びあずさに話しかける。

「ストレンジャーズ・チルドレンとハウル、あと、ハウルフォンの仕様書とバーミッシュについてだけはどうにか読んだんだけど……」

「あ、やっぱその辺なんだ。あたしの所はまだかー」

 あずさは少し残念そうな顔を見せたが、すぐに口を開く。

「そうそう、ナガさんの説明どう思った?」

 ナガさん、という名前に少し困った後、直はそれが長瀬の事だと気づく。

「?どういう事?」

「いやまあ、信じてないんじゃない?ストレンジャーとか、怪物みたいなものとかね」

 直は目を丸くして、あずさの顔を見た。

 自分と近しい立場で同じ疑問を持っていた人間がいた事に驚き、そして安堵する。

「……や、やっぱり?」

「そりゃあそうでしょ。ナガさん真面目だけど、こっちの話聞かないトコあるからねー」

 そう言ってあずさは自分のカフェオレに口を付けた。

 直は相手の喉が潤うのを黙って待つ。

「……んでも、信じてもらえなきゃ怪我じゃすまない話だし、何より、見てもらった方が早いしね」

「うん。それはそう思う……、うん?」

 相槌の途中で、直は飛び出した言葉を聞き逃しかけて気付いた。

「え、見るって……」

「いるよ、バーミッシュ。ここに」

 当たり前のように、あずさはそう言った。



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