after:なんでもない日 表
「――」
遠くで、声が聞こえた。穏やかな声だ。
優しく、そして少し楽しそうに聞こえた。
「――て」
そんな声聞いていると、沈んでいた意識が急速に浮上していく。
少しだけまぶたを開けると朝日が僕の目を刺激した。
……もう朝か。
少し、いい匂いがする。
おそらく、味噌汁と焼き魚だろう。朝のいつものメニューだ。
「……」
早く食卓に向かわないとせっかくの朝食が冷めてしまう。
ユウがせっかく作ってくれたのだからすぐにでも起きるべきだろう。
それはわかっている。
……でも、もう少しだけ布団にいたいなあ、とも思うのだ。
なにせ、今は十二月。秋はとっくに過ぎていて、完全に冬になっている。
本能的に暖かい布団の中から出たくないと思うのも当然なんじゃないだろうか。
「うう……」
肩の下まで下がっていた布団の中にもぐりこむように体を動かす。
全身が温かくなって気持ちがいい。
そのまま二度寝しようかと思い――でも、体が優しく揺らされて出来なかった。
「もう、だめだよ、真……ほら、起きて?」
「……ユウ」
重いまぶたを開けるとすぐ近くにユウの顔があった。
窓から入ってくる光に反射して、金色の髪が輝いているように見える。
どうやら、僕を起こしに来てくれたようだ。
さっき遠くから聞こえてきた声も、ユウが僕を起こそうとしてくれたのだろう。
「ご飯、出来てるよ?」
ささやくような、ユウの綺麗な声が耳から入ってきて心地いい。
聞いているだけで言う通りにしなければ、と、つい思ってしまいそうだ。
僕をベッドに縛り付けていた眠気が消えていく。
「真」
「……ああ、うん、ありがとう」
耳元の声に、すっかり目が覚めたので体を起こす。
……その時、ふと思いついた事があった。
つい、なんとなくそれを口に出す。
「……あと、五分」
「へ?」
ユウが驚いた顔をしている。
……しょうもないことを言ってしまった。言ってから後悔する。
というか、今僕は目をしっかりと開いているのだ。その上、体も上半身はベッドから起き上がっている。
とてもではないけれど、さっきの言葉を言いそうな体勢には見えないだろう。ユウが驚いた顔をしているのも当然だ。
「……」
恥ずかしくなってきて、ユウから目を逸らす。
……いや、なんというか、少しふざけたい気分になったのだ。
それで、漫画などでこういう時よく言っている言葉を口に出してしまった。
……その、慣れないことはするものじゃないと思う。
「……くっふふふ、駄目だよ、真」
少し反省していると、そんな声が聞こえた。
見ると、ユウが楽しそうな、優しい顔で僕を見ていた。
「もう起きないと。
……今日は一時間目から授業があるんでしょ?」
ユウは、まるで僕が本当にベッドで寝ているかのような口調でそう言う。
……どうやら僕の下手な冗談に乗ってくれたらしい。
少し恥ずかしいけれど、嬉しく思う。
「くふふ、ほら、おーきーてー?」
僕の体がユウの手でゆっくりと揺らされる。
なんだかそれが照れくさくて、でも無性に楽しかった。
「ははは、うん、ユウのおかげで目が覚めたよ。ありがとう」
「くふふ、そう?じゃあベッドから出て、一緒にご飯を食べよっか」
しばらく二人で笑った後、ベッドから降りて部屋の入り口へと向かう。
その途中、少し前を歩いていたユウが振り向いて、僕を見上げた。
「そうだ、忘れてた……真、おはよう」
「……おはよう、ユウ」
笑顔のユウにそう挨拶を返す。
……今日も良い一日になりそうだ。
◆
「じゃあ、学校に行ってくるよ」
「はい、行ってらっしゃい」
食事後、学校に行く準備を終わらせて玄関に立つ。
出来ることなら学校に行かずにユウと一緒にいたいけれど、そういうわけにもいかない。
今後のためにも、学校を卒業した方がいいのは間違いないのだから。
「真」
「なに?」
扉に手をかけたところで、ユウに呼ばれて振り向く。
ユウは背中で手を組んで、恥ずかしそうに顔を少し赤くしていた。
「……はやく、帰って来てね?」
「……もちろんだよ」
出来る限り早く帰ってこよう。そう思った。