10.
じわじわと、強さを増す日の光が、たっぷりと教室の中に満ちている。白くすら見えるその中で、雅史は佇んで外を見ていた。
背が高くて、細い。横顔の整って美しいこと。
ここへやってきた理由を一瞬忘れ、千咲は見とれてしまった。
「近江さん」
先に気づいたのは彼の方だった。身体ごと向きを変えて、千咲と視線を合わせてくる。
前と変わらず、真っ直ぐに見てくれる。
胸が、顔が、熱くなった。
好きだといってくれて、逃げても追いかけてきて。強引なくせに、気遣いも忘れない人。
この何日かで、こんなにも彼への気持ちが変わってしまった。
「先輩」
大きく息を吸い込む。瞬きすらやめて、彼の瞳だけを見つめる。
「私、先輩のこと好きです」
なんの心配もなく、一緒にいたかった。
だから、不安要素をすべて消したかった。
好きでいたかったから、あんなに恐れていたいやがらせにも立ち向かおうと思った。逃げるよりも、前進を選んだ。
何事にも揺らがないほど強くなって、この人と一緒にいたかった。
けれど。
「今更でごめんなさい……それに、幻滅しましたよね?」
思い返しても、異常だと思う。あんな暴力的な衝動が、自分の中にあったなんて。
雅史は、何も言わない。表情からも、何を思っているのか読みとることができない。
いたたまれず、千咲は目を伏せる。
「それじゃ、そろそろ教室戻ります」
一番にいたかったことは、伝えられた。それでいい。
十分だ。
ふとした拍子に爆発しそうなほど、胸が痛くなる。彼女は急いできびすを返した。
「待って!」
腕をつかまれ、がくんとつんのめる。よろめいた肩を、力強く支えられる。目を転じ、節くれだった大きな手を見つけ、硬直した。
「俺の返事も、ちゃんと聞いてほしい」
「返事って……」
言葉の最後は、悲鳴のようにかすれた。
腕が。
頬が。
からだが。
触れ合っている。
「せんぱ……!?」
「ごめん」
耳元で、彼がささやいた。思いの外低く、それは千咲の中に染み入ってくる。
「何にもできなくて、本当にごめん」
「そんなこと」
腕の力が弱まり、高いところから彼のまなざしが降りてきた。優しい目。
「俺、本当に近江さんのことなんにも知らないんだなって、恥ずかしくなった」
「……」
「あのさ」
心なしか落ち込んだ表情で、彼が再び切り出す。
「俺って、頼りない?」
「え?」
ぽかんとする千咲に、いたってまじめに彼は繰り返す。
「いやがらせとかされて、相談してもらえないほど、俺って頼りないのかなって」
「そんな……」
なんと言っていいのかわからなかった。こんなふうに、考えていたなんて。
「一人で何とかしようってがんばれるくらい、近江さんがしっかりしてるのはわかったけど、次からは話してほしいんだ。俺も一緒に考えて、手伝うから」
一瞬の沈黙。
軽く目を瞠ったあと、彼女は噴き出していた。
「な、なんで笑うの?」
「ご、ごめんなさい……」
おかしくておかしくて。その何倍も、嬉しかった。
なんて人に、好かれたんだろう。
なんて人を、好きになってしまったんだろう。
ざわざわと、遠くから話し声が近づいてくる。窓の外にも、ちらほらと制服の人影が見え始めている。
「教室に戻りますね」
「うん」
予鈴まで間があったが、ここのクラスの生徒たちもすぐに来るだろうし、二年生の千咲がいては変に思われる。
「あ、そうだ」
入り口のところで、思いついて足を止める。
「どうしたの?」
雅史が首をかしげる。千咲は少し迷ったが、思い切って口を開く。
「先輩、今日は掃除とかありますか?」
「いや、ないけど」
「それなら……」
指先に力が入っている。唇がかさかさだ。
でも。
「帰りに、迎えに来てもいいですか?」
ゆっくりと、それは劇的に。
綺麗な人が、綺麗に微笑む。
「待ってる」
安堵や嬉しさや、そのほかいろいろな気持ちにかき回されてぐしゃぐしゃになった顔で、千咲は大きくうなずいた。
最終話です。ここまでおつきあいくださり、ありがとうございました。
昔懐かしい少女漫画を踏襲して書いてみました。起承転結の作り方とか、かなり書く上で参考になりました。今ははやらないですけどね。