プロローグ #4 この世界に呼ばれた理由
翼を大きく広げた竜が夜空をゆったりと進み、遠くに浮かぶ月は竜の背中に二人分の人影を照らしていた。
七波は跨った脚から伝わってくる堅い鱗の生々しい感触を受けて、もはやこれが夢やそれに類する何かであると考えることをやめることにした。
意識を取り戻してからというもの、七波は五感に感じるあらゆるものが実体をもったものであるように思えたし、夢から覚めるような気配もなかったからだ。
もっとも、彼は自分の死を明確に体験しており、覚めるような意識がそもそも無かったが。
──ああ、尻が痛い…。
七波は座る位置を調節しながら辺りを見渡した。
先ほどまでの草原はとうに後方へと流れ、眼下には荒れ果てた大地だけが続くようになっていた。
視線を僅かに上げて地平線に目をやると、陸地を横断するような険しい岩の山脈が横たわっているのが見える。
その山肌はまるで人を拒むかのような威圧感をもって高くそびえ立っていた。
そんな風に一帯を眺めてから七波は視線を手前に戻す。
目の前には、エマと名乗る、鎧に身を包んだ女性の背中があった。
「なあ、どこへ向かっているんだ?」
七波が尋ねる。
いったいどんな経緯があったのかはわからないが、目の前にいるこの女性は自分のことを知っていたようである。
どうして死んだはずの自分がこんな場所に来てしまったのか、七波はそういった事柄について少なからず彼女が何か知っているのではないかと彼は思った。
「今向かっているのは、『叡智の塔』と呼ばれる場所です」
エマが半身で振り返って答えた。
「叡智の塔?」
「まあ、私が根城にしている場所の名前とだけお考え下さい」
「ふうん。そこが君の家ってわけか」
「ええ。住み心地は、あまりよろしくないですけど。
──ほら、そろそろ見えてきますよ」
そう言ってエマは指をさす。
彼女が示した方へ顔を向けると、山脈を越えた先に一つの塔が姿を現した。
古ぼけた石造りの建物で、周囲から隠れるようにひっそりと佇んでいるのが見える。
「なんだか怪しげな場所だなあ」
「あはは……。
いえ、仕方のない事情があるんです。私もあれを見つけるのに苦労しました」
七波が言うと、エマは困ったように笑った。
「君は、何のためにあそこで暮らしているんだ?
それには、俺も何か関係があるのか?」
「関係は、あります。
私はあなたに、主様と会うためあの場所で暮らしていたのですから」
エマはそこで言葉を切った。
「これから地上に降ります。
主様についての話の続きは、あの塔の中でいたしましょう」
二人を乗せた竜が小さく吠える。
夜空の高い場所を飛んでいた竜は塔に向かってゆっくりと降下を始めた。
◇
外からの見た目に反して塔の中身は綺麗に整えられていた。
すすけた壁や刻まれたヒビは塔が過ごしてきた年月を嫌でも感じさせるものではあるが、それ以外の部分で言えば清潔感さえ感じるほどであった。
「おーい、戻ったぞ」
塔のエントランス部分でエマが言った。
「他に誰かいるのか?」
七波が尋ねる。
「ええ。この塔の管理人、のような者が一人」
「のような者?」
七波は首を傾げながら辺りに目をやってその管理人を探そうとする。
が、それらしき人影を見つけることはできなかった。
「ここじゃよ」
「うわっ!?」
唐突に足下から声がした。
七波が視線を下に落とすと、床から老人の生首が現れたのである。
それを見た七波は思わず声を上げて後ずさった。
「ルーバス!」
「すまんすまん! お前の連れてきたのがどんな男か、気になってのう」
くっく、と楽しそうに笑う生首を、七波の隣にいたエマがため息をついて窘める。
ルーバスと呼ばれた生首は笑ったまま謝るが、悪びれた様子は無い。
すると七波達が見ている前で生首が浮かび上がる。
首が床から離れると、今度は首から下の肩や胴、腰といった部位が続いて現れ、あっと今に老人の全身が姿を現した。
ルーバスは体がつま先まで出そろった後も上昇を止めず、宙に浮かび上がり、そのままの状態で胡坐をかいて見せる。
七波の目の前で、空中で胡坐をかく半透明の老人が出来上がった。
目を丸くする七波に気を良くしたのか、ルーバスは楽し気にまた笑う。
「主様。これはこの塔に取り付いた亡霊のようなものです。
よほど暇で、話し相手もいない時にだけ気にするくらいで十分です」
「おい! なんじゃその言い草は!
ワシにはなあ、この塔にやってきた連中を見定める義務がなあ!」
「行きましょう、主様。
上の部屋で全てをご説明します」
エマはそう言って塔の中にある螺旋階段を上っていった。
老人はまだ何かを喚いていたが、七波はひとまずエマの背中を追ってついていくことにした。
◇
七波は塔の上層にある小部屋に案内され、部屋の古ぼけた椅子に腰を落ち着けていた。
部屋の中は物で溢れ、雑然としており、床には大きな魔法陣が描かれているのが見える。
まるで魔女の部屋のようだ、と七波は思った。
しばらくするとエマが扉を開けてやってきた。
着込んでいた鎧はどこかへと置いてきたのか、今の彼女は部屋着と思われる薄い衣服だけを身に着けていた。
エマは部屋の壁に備え付けられたカウンターで飲み物をグラスになみなみと注ぐと、それを七波に渡す。
「喉が渇いているのではと思ったので。
こちらへ来てから、休む間もなかったでしょう?」
エマは言った。
そう言われて七波は、自分の喉がひどく渇いていることに気付いた。
渡されたグラスを傾けて一口、二口と中身を取り入れていく。
冷水のようだが、とても飲みごたえのあるもののように感じた。
「ずいぶんとうまい水だね」
七波がそう言うと、エマは嬉しそうに笑った。
「この近くにある山の、頂上付近で湧き水を汲んできたものです。
今この塔にある飲み物の中で一番上等な味がするものですよ」
エマは自分のグラスにも水を注ぎ、それを口にした。
それから彼女は七波と向かい合うように空いていた椅子に腰かける。
「ようやく話を聞かせてくれるんだな?」
七波は言うと、エマは頷いた。
彼女は思案顔でゆっくりと一呼吸置いてから、口を開く。
「主様は、この世界とは異なる、別の世界からやってきた存在です」
エマが上目遣いで言う。
それは説明というよりも、確認をするような口ぶりであった。
七波は頷いてそれに応える。
鎧を着込んだ兵士達が剣で殺し合い、人を燃やす魔法が放たれ、空では竜がお互いを喰らい合う。
そんなものは七波の知る世界では無かったし、こうしてエマにそれを告げられたことでようやく地に足が付くような感覚を覚えた。
「呼んだのは、他ならぬこの私です。
私は、ある目的のためにこの世界の理から外れた存在を求めていました」
「目的?」
淡々と言葉を繋いでいくエマに七波が尋ねる。
「──あの草原で戦っていた、兵士達。
彼らはかつて、同じ国に使える者達でした」
エマは部屋の窓の方を見て言う。
「かつてここはアルディオと呼ばれる、この世界で最も大きくそして豊かな国でした。
それがあるとき、国を分断してしまうような争いが起きたのです。」
「内乱が起きたというわけか」
七波が言うと、エマは悲しそうに小さく頷いた。
「アルディオは東西に分かれ、コロニス、リディアという別々の国を名乗るようになりました。
二国間の争いは今日まで続き、戦争の規模は拡大の一途を辿っています」
エマはそう言って、言葉を切る。
それからややあってから、意を決したように彼女は口を開いた。
「主様。どうか、あなたの手でこの戦争を終わらせてほしいのです!」
エマは七波の手を取り、すがるように握り締める。
強い意志を感じさせる瞳で、エマはまっすぐに七波を見つめて言った。
そしてエマはそれ以上何も言わなかった。
彼女は、ただじっと七波の言葉を待っているようだった。
しばらく無言の時間が流れる。
「……はい?」
七波は自分の理解が追い付かないことを声で示すのが精一杯であった。
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不定期更新ですが、次話は明日8月15日の午前2時ごろ更新予定です。
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