第09話
「……そうよね、もう覚えてないわよね。私、昔幸ママのお店でホステスしてた、あかりっていいます。麦ちゃんの小さい頃に何度か会ってるのよ」
私の態度があまりにもあからさまだったせいか、女性は少し悲しそうな顔でしみじみと呟く。
「麦ちゃんは、あかりちゃんによく懐いてたわよね」
緑茶の爽やかな香りとともに、母がカウンター席にやってきた。
柿の木でできた茶托に渋いグリーンの湯のみを置いて、急須から丁寧にお茶を注ぐ。
店では季節や天候に合わせて、食器や小物をこまめに入れ替えている。
こういう細やかな気遣いは、さすが元銀座のママだといつも私は感心してしまう。
母はあかりさんの隣に座ると、彼女越しに私を見て言った。
「麦ちゃんの誕生日に、一緒にピクニックに行ったこと、覚えてないかしら?」
ピクニックの思い出には、いつも父がいる。
ということは、まだ、父が元気だった頃のことだ。
おそらく、私が7歳か8歳の時の誕生日だろう。
思い出さないとなんだか2人に悪い気がして、私は必死に記憶の糸をたどった。
ピクニックに出かける場所は、いつも決まっていた。
車で1時間程度走ったところにある郊外の大きな公園。
私の誕生月である9月に、早咲きのコスモスが満開になることで有名な場所だった。
(……そういえば、コスモスが刺繍された可愛いハンカチをプレゼントされたっけ。嬉しくて、もったいなくて、使えなくて、どこかにしまったまま、結局なくしちゃったんだよね)
少しずつ、古い記憶が色を取り戻していく。
「麦ちゃん、これあげる」
記憶の中で優しく微笑む女性のことを、私はなんと呼んでいたのだろう?
綺麗な若いお姉さんで、子どもだった私は生意気にも「お母さんの次に綺麗な人」とその人を勝手に位置付けしていた。
「……あ! あっちゃん? あかりさんが、あっちゃん!?」
パズルのピースがすべてカチッと埋まった時のように、全身がすっきりとした爽快感に包まれる。
「そうよ! 思い出してくれたの? 嬉しい!」
あっちゃん―――もとい、あかりさんは嬉しそうな笑顔を浮かべた後、私にぎゅっと抱きついてきた。
化粧品と香水の香りが、ふわっと鼻腔をくすぐる。
(女の私でもドキッとしちゃうんだもん。これ、男の人がやられたら、きっとたまんないんだろうな……)
妙なところで感心しながら、あかりさんの熱い抱擁を受けていると、母がこほんと咳払いをした。
「あかりちゃん、それはそうと、今日はいったいどうしたの?」