第12話
家を出て、電車に乗るまでの間も緊張したけれど、自社ビルのエントランスをくぐるのは、それ以上のプレッシャーだった。
ここまでクリアしたステージは、エントランスにエレベーター、そしてロッカールーム。
いつもより早い時間に出勤したせいか、奇跡的に誰とも顔を合わせないまま、ここまでたどり着くことができた。
しかし、ここから先はそうも言っていられない。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫……」
私は小さな声でブツブツとつぶやきつながら、経理課があるフロアへと足を進める。
今にも口から飛び出しそうな心臓を抑え、深呼吸を繰り返して動悸を整えた。
ふと手首の時計を見れば、始業時間より40分も早い時間だ。
こんな時間に出勤している人なんて、果たしているのだろうか?
「おはようございまーす……」
小さな声で控えめに挨拶をして、フロアの中に入る。
予想通り無人のデスク群を見てホッと胸を撫で下ろし、私は自分の席へと向かった。
PCの電源を入れ、メールソフトを立ち上げる。
いつもと同じ、変わらない日常。
ただ1つ、違うのは―――。
(PCの画面に反射して見える、自分の姿……)
もっさりしていた前髪はすっきりと整えられ、肩の上で揺れる髪がなんとも軽やかだ。
分厚いメガネがない分、目元がハッキリと見える。
(……メイクだけはまだ、自己流だけど)
さすがにメイクまで教えてくださいと、御影さんに頼むことはできなかった。
あかりさんのおかげで大きな一歩を踏み出すことができた、
私の「自分改革」。
帰宅するなり、すぐさまインターネットで近場のメイク教室を探し、早速今夜、予約を入れた。
(ちょっとずつ。でも、確実に)
変わろう。変わりたい。変わるんだ。
その言葉を心の中で唱えるたび、不思議なエネルギーが体の中から湧いてくる。
それは確かに力強く、私の支えになり得るものだったけれど、一方で、もろく儚い一面ももっていた。
(みんな、何て言うかな……)
自分自身、まだ何がいいのかわからない。
何が好きで、何が似合って、何が心地いいのかわからないのだ。
堀田麦という人間がどんなものに興味を持ち、どんなものに心惹かれるのか。
根幹となる部分に確信が持てない現状では、周りの評価がそのままイコール私の自信や価値に繋がる。
他人の意見に振り回されては本末転倒だけど、かといって、完全にスルーするのも考えもの。
なぜなら、周囲からの評判も確実に、自分自身の一部だから。
「ゆえに、まずは自分を知ることが大事……かぁ」
昨夜寝る前に読んだ自己啓発エッセイのフレーズを、何の気なしに口にした時だった。
「なんだ、堀田か。今日は早いんだな」
新しい私がお披露目の瞬間を迎えたのは。




