第13話
体感的にはあっという間だったけれど、それから時間にして十数分の間、初対面の人への挨拶の決まり文句や、灰皿の換え方、タバコの火のつけ方まで、あかりさんが丁寧にホステスのマナーをレクチャーしてくれた。
「今日は、花梨のヘルプについてもらおうと思っているの」
「花梨……さん」
「もうすぐ来るはずだから、ここで待っていてくれる?」
そう言ってあかりさんは、黒服のボーイさんとの打ち合わせに向かった。
お店が開店する午後8時まで、あとわずかしか時間がない。
会社の新人研修なら、いくらでも手元の手帳に大事なことを、メモすることができるのに。
たった今、教えてもらったばかりのことを、私は必死に脳内でなぞる。
(銀座のクラブは、お客様に夢を見てもらう場所……)
あかりさんは私に作法を教えてくれながら、何度もそう言った。
実際に日常生活では必要ない無駄な動き・余計なしぐさも、高級感を演出する上では重要な役割を果たしている。
(せっかく大枚はたいて銀座のお店でお酒を飲むのに、がっかりしたくなんてないもんね)
今日からアルバイトを始める超初心者が、いきなり諸先輩がたと同じようにやろうとしたって、ボロが出るに違いない。
どう考えたって、同じ土俵で戦うには無理がある。
(基本的な礼儀は、来客対応と変わらないはず……!)
私は母の小料理屋での接客態度を思い出す。
会話の際の目線の高さ、相手の意見に頷く仕草、見送る時の細々とした気遣い……。
(水商売って、本当にその名の通り“サービス業”だわ)
リラックスを心がけようとしても、どうしても緊張してしまう。
肩の力を抜くために、深呼吸を繰り返していると
「ナツメちゃん?」
女性の澄んだ声が、頭上から降ってきた。
「あ、はい!」
すくっと立ち上がり、顔をあげる。
目の前に立っていたのは、鮮やかな赤いロングドレスをまとった美しい女性だった。
少し母に似ているかもしれない。
昭和時代に人気を博した映画女優のような、目鼻立ちがはっきりとしていながら、優しい顔立ちをした人だった。
「花梨です。今日はよろしくね」
そう言って彼女が動くたび、花のような石鹸のような、なんとも言えない良い香りがする。




