第03話
静まり返ったオフィスに、キーボードをたたく機械的な音だけが響いている。
おそらく、みんな、心の中で鬼課長の怒号が轟かないように、こちらに神経を尖らせているのだろう。
もしも私に心の声を聞くテレパス能力があったなら、
「大丈夫?」
「ヘマするんじゃないわよ!」
「骨は拾ってやる」
「とばっちりだけはごめん」
なんて呟きが、フロア全体から聞き取れたことだろう。
配属されたばかりの新卒の社員を(彼女の態度にも非があったとはいえ)、わずか3日で退職させた伝説を持つ課長だ。
(どうしてベテランの先輩方が、今日は揃いも揃ってお休みなの~!?)
課長の雑用はいつも、決まって勤続10年以上のベテラン勢が受け持つことが暗黙の了解だった。
本日に限って、みんな申し合わせたかのように有給だったり病欠だったりで誰も適任がいなかった。
結局、どうせ怒られるなら新人が頑張れ、と私にお鉢が回ってきたのだ。
「あ、あの……何かおかしなところなど、ございましたでしょうか?」
私は顔に貼りつけた笑顔の仮面の下で、こわごわと震えながら課長の反応を待った。
「……特に問題はなさそうだ」
ホッと全身から力が抜ける。
(よ、よかった~!)
これでいつもの通常業務に戻れる!と内心喜んだのも束の間、すぐに私は再び地の底へと叩き落とされることになる。
「堀田、この調子で過去7年間さかのぼってくれ」
「……え?」
「だから、過去7年間の取引先の営業担当の名前、現在の配属先、勤務地、連絡先をまとめてくれと言っているんだ」
今日は一体なんの厄日なんだろうか。
喉まで出かかった「それって経理の仕事なんですか?」という言葉をグッと飲み込む。
「は、はい……わかりました」
震える声で返事をする私に、課長は追い打ちをかけるかのように魔の呪文を唱えた。
「なるはやでな」
「なるはや……」
これはロールプレイングゲームで言うところの、敵に毒をかける魔法や、麻痺をかける魔法かもしれない。
じわじわと、でも、確実に敵の体力を奪う魔法だ。
死に至る寸前まで、呪文をかけられた人は苦しみ続けなければならない。
「わか、わ、わかりました……」
私は来栖課長に向かってペコッとお辞儀をするや否や、逃げるように自分のデスクへと駆け戻った。
席につくと、周囲に
「よくやった!」「上出来!」
とでも言いたげな、
無言のエールの気配が充満していたが、誰も「手伝おうか?」と助け舟までは出してくれない。
(そりゃそうよね……みんな、定時に帰りたいものね)
私はトホホな気分を抱えて、毒消し薬を探しに……もとい、過去7年間の資料を探しに、資料室へ向かったのだった。