真珠鈴蘭
体内に宝石を宿した生き物、空枠。
お伽噺でよく語られ、現代でも時折幻獣、或いは魔獣として目撃される。それらが何故生まれるかは未だに解明されていないが、どんな因果関係で生まれるかは一般に知られている。
とある植物がある。真珠鈴蘭と呼ばれるそれは、見た目は鈴蘭に似ているが葉が時折黄金に輝くことと、花と実の代わりに小指の先ほどの真珠を幾つもつけることが特徴だ。生息数は然程多くない上、人工的な栽培にはまだ成功例がない。この植物は美しさから芸術品として、そして──所謂、万能薬として高い価値を持っていた。
特に実が珍重されるのだが、この薬がまた規格外である。この世の全ての不治の病だけでなく肉体の損傷まで全て治してしまう力を持っていた。聖教会のシンボルは金の輪で示される事が主だが、これは輝く真珠鈴蘭の実を表している。人々から強い信仰を得られるほど強力な薬だということだ。
しかし、そんな素晴らしい薬である真珠鈴蘭には重大な副作用があった。それは妊婦が飲むと胎児が強力な薬効に耐え切れず流産・死産してしまうというものだ。喩え、億分の一の奇跡を起こした子供がいたとしても、まともには生まれてこない。
──奇形、即ち、空枠となって生まれる。
ミシェーラがビビを身篭った頃、当時の医療では助からないとされる厄介な病にかかってしまっていた。自分はどうやっても助からない、このままではお腹の子共々死んでしまうと仄暗い絶望が彼女を襲う。そんな時、彼女の夫であるリアムが、真珠鈴蘭を手に入れてきた。一体どこで手に入れてきたのか…秘密にしなければいけない入手経路なのは、問わなくてもミシェーラには分かった。
飲んだら本当に子供を諦めなければならない。ミシェーラは他の方法は無いのかと泣きながら抵抗したが、リアムもまた泣きながらミシェーラに薬を飲ませたという。リアムはミシェーラを抱き締め、何度も謝った。母親だけでも助かってくれという気持ちは重々分かっていたので、ミシェーラも子供の命を犠牲に生きることを最終的に受け入れた。
しかし、幾ら経っても子供は死ななかった。即ち、ミシェーラは奇跡を引いてしまったのだ。
夫婦の表情は暗かった。空枠になった人間の人生は──輝かしいものではない。
聖教会で人型空枠は『神の器』とされている。真珠鈴蘭を受け入れた肉体は神が宿るための器であり、また、その宝石は神から人類に贈られた至宝だと、教義にて言い伝えられていた。故に、人型空枠は生まれた時から数々の祭典に出席することになり、常に拘束されることになっていた。また、『人型であっても空枠は空枠であり、人間ではない』とも聖典で明言されている。この理由は空枠の体質に依存しているものである。だから人型空枠は奴隷制が廃れたこの治世でも、『大変珍しい最高級美術品』として盗み出され、特に取り締まられることもなく売買される危険性がある。
そして極めつけが『解体祭』だ。
これは神のものである空枠の肉体を天に還し、神からの贈り物である宝石を受け取り祀りあげる儀式で、100年に一度必ず行われている。二つあるうち、片方の宝石は王家が、もう片方の宝石は聖教会が、アーティファクトとして大切に管理することになっている。
次に行われるのはお腹の子供が19になる年だ。
人型空枠は現在2体確認されている。王家管轄下に置かれている"エメラルド"と、逃亡中で一向に捕まらない"クリソベリルキャッツアイ"で……まだ時間に余裕はあるとはいえ解体祭を控えた聖教会の手元には1体もいない。"クリソベリルキャッツアイ"が捕まらなかったら、確実にビビが解体されることだろう。聖教会の神巫に過ぎないミシェーラたちが、果たして守りきれるものなのか?
ミシェーラは逃げた。教義で自分の腹の中の子が、既に自分の子供ではないとされていても、空枠の生きる人生が所詮紛い物だとしても、どれだけ自分が神を愛し信仰していても、この何とも替え難い奇跡を手放すことが出来なかった。体に響く胎動が、諦めきれない心を余計に煽り立てた。リアムもそれは一緒で、ミシェーラの逃亡を助けた。共に行くことは出来なかった。リアムのそれからは、ミシェーラの知るところではない。
◆
少年の口からため息が漏れた。
眠れなかった。眠るために視界は切断してあるのに、母が語った内容がずしりとのしかかり、どうにか払い退けられないかと、寝返りを繰り返していた。気温が下がったのを感じて、ミシェーラの織った肌触りの良いブランケットを口元まで引き上げた。
ビビだって馬鹿ではない。今まで疑問に思ったことは多々あった。何故自分には父親がいないのかというのもそうだ。ミシェーラを悲しませる気がして、どうしても訊けなかっただけだ。明らかに価値があるであろう眼球を隠すことは全く疑問には思わなかったが、そういえば昔話の幻獣に仄かにシンパシーを覚えたこともあったかもしれない。でも幻獣は幻獣であり、動物ではなかったから、そんな共感もすぐに忘れてしまったのだろうと、今になって思う。村で暮らしていて空枠化した個体を見たこともなかったし。
……空枠は空枠だから、人間ではない。なんだ、自分だってその通りのことを考えてたじゃあないかと、ビビは自嘲する。
あと、何だっけ。人間と、空枠の、体の違い。今日はもう遅いから、また明日話すと言われて切り上げられた。ミシェーラは起きているだろうか。こんなにも眠れないのなら、混乱してたって一息に聞いてしまえば良かったかもしれない。ビビはまた、もう何度目か分からないため息をついた。
深海のような夜を越えて、外で鳥たちが鳴いているのが聞こえた。ビビは視界は未だ切断したままで、ああじきに明け方かあと呑気に思っていた。
やっと、少しだけ眠気が来たかもしれない。ビビが漸く意識を手放そうとした時だった。
何人かの足音がした。ついで、玄関の扉が叩かれる。こんな時間に、誰だろう……もたついた眠気が、ビビの思考を鈍くする。ミシェーラもノックに気が付いたようだ。彼女は眠そうな声で返事をして、玄関の扉に手を掛けた。
ビビの意識はそこで覚醒し跳ね起きた。あまりにも遅かった、眠気を受け入れずに起きていたら、結果は少し違ったかもしれない。
いけない。
だめだ。
弾けるように広がったビビの視野が、家の前にいる人影を捉える。男が3人。夕方アーサーたちと見掛けたあと人影と一致する。重そうな法衣に身を包んだ壮年の男性と、あと2人は護衛なのか武装している。聖教会の宣教師。ビビの心臓が早鐘を打っている。早すぎやしないか。どう考えても不意討ち、奇襲の類だ。
明らかに聖職者に見えるその1人と、目が合った、気がした。
「……!!」
ミシェーラは戸口に呆然と立ち尽くしていた。開けた扉は閉められない。アーサーの助力は別として、夜逃げを決行しなかった自分を呪う暇もない。
彼等が耳に入れるであろう情報は、最悪でも魔術師が来ていたことと、その魔術師がいた家に盲目の少年がいることくらいだ。喩え既にこの村から出ていったと知らず魔術師に会いに来たとしたって、こんな太陽がまだ顔を出していない時間にわざわざ訪ねてくる理由がない。
最悪なことに、宣教師は知った顔だった。彼は微笑んで、独特な少し嗄れた声を発する。
「お久し振りですな、蜘蛛の巫女殿」
震えそうになる体を無理矢理に抑えつけて、ミシェーラは笑んでみせる。
「──どなたでしょうか?私はそのような名前では…」
「我等が神のお導きです、間違えることなどありませんよ。随分と苦労なされたようだ…」
「……ッ」
シラを切らせてはくれない。
「職務を放り出してしまった貴女には勿論罰が待っていますが…慈悲深い我らが"父"のことですから、きっと赦してくださることでしょう。私からもしっかりとお願い致しますから、"器"を連れて聖都へと帰りましょう」
「ゴルダス様…何故、ここが」
「貴女の織物は、少々美し過ぎる」
「……………!!」
ミシェーラは自分の体がより一層冷えて行くのを感じた。生計を立てるために織っていた布類が、ミシェーラたちの足取りを追う一番の手掛かりになったらしい。彼女自身足がつかない工夫をして製作していたのだが……こればかりはもう、どうしようもない。
「勿論、私は宣教師としてこと村を訪れたので、君たちのことはついでであったがね……」
ゴルダスは静かに、言い足した。言葉の歯切れの悪さに、ほんの少しの同情が滲んでいた。ミシェーラは両手を胸の前で組んで、ぎゅっと握りしめた。
「貴方がお優しいことはこのミシェーラ、よく知っております。しかし……私の心は、我等が主たるグノーシス様ではなく、私の体に宿った、この子、ビビに捧げられました」
「それは人の子ではない。人の輪から外れ、神の所有物となられたのだ。勘違い召されるな」
ゴルダスは厳かにミシェーラを諭した。
彼等の問題を言葉で解決することは不可能だった。
「どうか、どうか、お許しください」
ミシェーラは扉を思いっ切り閉めた。閂を掛ける。表で男達が何やら言っていた。ガタガタと扉に乱雑に手を掛ける音がして、これは扉を破られるのも時間の問題ではないかというような気配がした。実際ビビの目にはドアを蹴破ろうとする様が見えている。ビビが母の方へと駆け寄ると、ミシェーラはビビの両肩をぐっと掴んでビビの部屋の方へと押しやる。厳しい目でビビを見た。
「時間が無い、私が引き止めるから、ビビは部屋の窓から逃げなさい」
「母さん!!駄目だそんなの、一緒に」
ドン、ドン、と乱暴な音がしている。ビビたちの住むボロ屋はそんなに衝撃に強くない。本当に時間が無い。
ミシェーラは必死にビビを諭す。
「空枠は体がとびきり強いから、希望があるわ。私はきっと追いつけない」
「何それ、そんなの、」
知らない、認めない。そう詰ろうとしたビビの額に、優しい口付けが落とされた。
「ビビ」
母は力強く笑った。納得がいかないから言う事を聞けないなんて子供の理屈がぐっと抑えられる。受け入れ難いけれど、母は誤魔化したとしても嘘はつかない。最善を提示しているのだ。離れ離れになるのなんてミシェーラだって嫌なんだ。それが母の覚悟なのだと、少年には分かった。
「逃げて──私の"命"」
窓枠を飛び越えて、小さな庭に植えられた糸瓜の一部を踏みつけて、少年は駆け出した。宣教師たちはドアを開けることに集中していたようで、ビビが窓から飛び出したことに気付くのが僅かに遅れた。
背後で玄関から飛び出したミシェーラが男達に掴みかかっている。暴力的なことをしたことがない彼女が長時間足止めが出来るとは思えない。ゴルダスとかいう宣教師は非常に紳士的だったが、護衛の者達はどうやらそうではないらしく、ミシェーラのことを乱暴に振り払っていた。
ゴルダスが男達に指示を出す。
「撃って良い。但し頭は避けろ、体だけだ。あれは──死なない」
指示を受けた男達は、魔導小銃を取り出して構える。見晴らしの良い土地が仇となりビビの姿は丸見えだ。筒の中央付近に魔法式が浮かび上がり、遠ざかるビビの背中に赤い点が光る。この魔導小銃は魔法使いでない人間にも限定的に魔法が使える代物で、特徴は「赤い点に着弾する」ことだった。
引き金が引かれると、弾丸がビビの背中の2つの赤い点からビビの体内へと入り、腹から飛び出した。熟れた赤茄子が弾け飛ぶかのように鮮血を撒き散らして、痛いのだけれど、痛みの閾値を振り切って、痺れる。体の平衡感覚も吹き飛び地面に崩れ落ちた。母の叫び声が聞こえた。ビビはこんなの自分は直に死んでしまうと思った。意識も飛んでしまいそうだった。自分の無力さが悔しくて、震えた。夜露に濡れた土と草の匂いが一層ビビを惨めにさせる。
しかし、ミシェーラはビビの体を「とびきり強い」と言った。そして、ゴルダスは「死なない」と言った。
ビビは知っている。母が否定しても、気付いていた。認めたくなくても、自分は、空枠は、人間の形をした何かなのだ。人間ではない。
痛みでぶるぶると全身が震えるのをいなして、ビビは上体を起こす。大量の血液と一緒にどの部位かはわからないけれど臓器と思われるものが僅かに溢れた。追っ手が慢心してゆっくりと迫っている。ミシェーラが喉が裂けてしまいそうなほど叫んでいる。
ビビは右足で地面を踏みしめた。次いで、転んでなるものかと左足を踏みしめる。
まだ動けるビビに気が付いた男達が速度を上げて近づく、余裕はない。とにかくこの場を離れなければいけないのだ。
ビビはまだ明けきらぬ夜闇の中、煌めく両眼を、そっと背後に向けた。
『頑張れよ少年、足掻けよ』
アーサー。
一発勝負だ。記憶の糸を手繰り寄せて、火の魔法と──連鎖魔法式を描く。書き換えて、補助を言葉を喉から絞り出した。
「……"永久の焦土と化せ"」
何を惜しむ必要がある。延焼?知ったことか。出力は全開だ。あの時と同じ赤い閃光と轟音がビビの勝負の結果を告げる。初めて使った連鎖魔法式は正常に起動し、血液の色をイメージした炎は一向に弱まることはない。天をも焦がすような端の見えない炎の壁が、ビビと男達の間に立ち塞がる。怯えた彼等は炎の向こうで何事か叫びながら足を止めた。
その隙に。
今だ。
右足を、左足を、交互に、交互に、踏みしめて、進め、進め、進め!!!
「うあああああああああああああああああああああああ!!!!」
絶叫した。気合を入れろ。痛みなど知るものか。ビビはここで捕まって死んだように暮らしてはいけない。母がこれまで心を砕いていた生きるということに、妥協は許されない。
ビビはミシェーラの命なのだから。
途中リートリックの家の前を通った。リートリックは異変を感じ取ったらしく、一人外にいた。彼は──やっと迎えた日の出の光の中、ビビの腹が赤く染めたまま走っているさまを見てしまった。零れ落ちそうな程見開かれた目と一瞬で青褪めた顔が、彼の衝撃を物語っている。どうにか引き止めて助けようと両手が伸ばされたけれど、ビビはそれを振り切って走り続けた。リートリックは追いかけてこなかった。
森の中を少年は疾走する。ビビは走りながら、どうにかしてアーサーに会えないかと考えていた。どんなに体が強くて死なないとしたってこのままではジリ貧なのは分かっていた。痛みこそどうにか忘れているが、失血のためか意識が飛びそうなことには変わりない。せめて少しの間だけでも助けて貰えないだろうか。転移魔術さえ使っていなければ、まだ追いつける範囲にいるはずだ。
ビビは視野を拡げた。どこまで見えるかなんて試したことが無かったけど、やるしかない。魔力がどのくらい残ってるかとか、どのくらい消費するかなんてわからない。それでも、ぶっ倒れてもやる価値があるとビビは信じた。
世界を拡げて、拡げて、拡げて、拡げて、拡げて、拡げて、拡げて、拡げて、拡げて、拡げて、木々を潜って、山の麓まで見て、凝らして、凝らして、凝らして、凝らして、足跡も、空気も、全部を、なぞって、なぞって、なぞって。
ふわりと漂う魔力の気配を感じて顔を上げたらしい目当ての男を、見つけた。




