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死体蹴り  作者: 言祝
3/6

空枠少年

「いやあ、まさかこうなるとは」


アーサーはリビングのテーブルに突っ伏している。ぐったりと疲れきっているのを見てビビは同情を禁じ得ない。先ほどまでアーサーが宿泊しているビビの家にはこの辺一帯、ほぼ全員の村人たちが詰めかけ、魔導士様魔導士様と願いを乞うていたのだ。噂が田舎を駆け巡る速さを舐めてはならない。更にアーサーがその願いに応えられる程には有能であったこと、お金をとるほど欲深くなかったことも災いし、ビビの家は病気やら占いやら物の修理やらを頼みこむ人の行列ができていた。


その列が解散出来たのはひとえにリートリックのはっきりとした物言いのお陰である。今日はここまでだ、"魔導師様"も疲れてるんだから休ませろとてきぱきと人々を帰らせる手際は非常に頼もしかった(時折、相変わらず要領の悪いアーサーを睨んでいたのにビビは少しばかりハラハラしたけれど)。


だるそうにしている姿に苦笑して、ミシェーラはポットを手に取った。


「魔導師様お疲れですわね、今ハーブティーをお淹れ致します」

「ああ、おかまいなく。というかその呼び方はむずついてかないません、アーサーと今まで通りお呼びください。

 いやはや…これだったら大人しく村長さんの家に行った方が良かったかなあ。迷惑かけてごめんねえ」


眉を下げているアーサーにビビは首を横に振った。魔術師としての能力を、色んな人に必要とされているアーサーは純粋に格好よかった。それに宿代を結構もらうことになっているしこのくらいのアクシデントは問題にはならない。


はあああ、とアーサーは大きくため息をついた。


「難しいことはやってないんだけれど流石に魔力残量がよくないなあ…今全力で高等魔術(ハイスペル)やら聖霊魔術(ホーリー)使ったらぶっ倒れる。というか風邪引いてたり腰いためてる人たち多くないか?医療魔術(メディスン)は慣れてないからコスパが悪くてかなわないよお。私の専門外だからなそもそも。完全回復は明日ってところか…」


突っ伏したままぶつぶつとアーサーが恨めしそうに言う。だんだん可哀想になってきた。


そんなアーサーの前に湯気を立てているハーブティーが置かれる。癒やし効果のある芳醇な香りが辺りに漂う。アーサーが顔を上げると、ミシェーラが聖母のように微笑んでいた。


「今日の夜ご飯はとってきて頂いた、兎肉のシチューにします。もう暫くお待ちくださいね」


アーサーの顔がちょっとだらしなく緩んだのを見て、ビビはこっそり頬を膨らませた。


ミシェーラ特製のホワイトシチューはいつも通り美味しくて、アーサーも感動しきりだった。旅の途中だと美味しいご飯にありつくのもなかなか難しくて、この前の食事は固くなったパンに干し肉が少しだったらしい。これからも続ける旅の支度として、食料の調達もしないとならないだろう、魔術師であってもやっぱりアーサーは心配だ。


「ビビ、そろそろ眠くなってきたんじゃあないの」


ビビが目をこすりはじめたのに気がついたミシェーラが優しく寝るように促す。

アーサーはダイニングテーブルの椅子に腰掛けたまま、体だけ捻ってビビを振り返って笑った——少し、悪巧みをしているような、そんな笑顔だった。


「おやすみビビ、朝を楽しみにね」


明日、朝、何があるんだろうな。含みを持たせた言い方、ビビは首を傾げる。突然降って湧いたようないつもと違った日を振り返ると、期待をせずにはいられないけれど、取り敢えず今日を終わりにしよう。


いつも通りにベッドに潜り込むと、ビビは視界情報を取り込むことをやめ、完全な闇に意識を投じた。





「ビビ、おはよう」


まだ日も上りきっていない時間に起こされて、ビビは仰天した。何故なら自分を起こしたのが母ではなかったからだ。アーサーが自分の顔を覗き込んでいるのに動揺したビビは思わず顔を両手で隠した。普段と違い寝る時にも包帯を巻いていたので、手のひらに当たった柔らかな感触にほっと肩をなで下ろす。アーサーは、こんな明け方に起こしたりして御免ね、とビビに謝った。


「ねえ、泊めてくれたお礼に君の目を一時的にだけど見えるようにしようかと思うんだけれど、どうだろう」


体を起こしたビビは、首を強く振った。自分の目は普通の人間とは違うから治せない。第一そんなこと出来たとしても宿代として釣り合わない——そう伝えると、ふふふふふ、とアーサーは不気味な笑いを漏らした。


「私はこう見えて優秀だから、出来るよ——それに、君の目が普通と違うこともとうに知っている」


アーサーはビビの頬に手を添えると、その親指でビビの目をなぞった——固い感触が、アーサーの指先を押し返す。


「君の目が、宝石で出来ていることを知っているよ……大丈夫、大丈夫悪いことはしないから落ち着いてくれ」


身を固くしたビビに気がついて、アーサーはあわてて弁解する。


「確かに君は世の中の構造を本能的にわかっている。盲目であるけれど見えているのは君に魔法の才能があったからだ。常に魔力を垂れ流すことで周囲の状況を把握しているね。無意識に感覚強化もしてるのかもしれないけれど…メインは周囲へ魔法を使って、干渉をすることで視力よりも優れた空間把握能力を得ている。生活に密接しているだけにそれこそ他の追随を許さない能力だろうねえ。でもそれも物質の存在の有無を確認出来るだけに過ぎない。君の世界は無色だ」


アーサーは魔術師であるだけにビビの異様に広い視界の仕組みをわかっていたのだろう。


「色を見てみたいと思わない?」


質の悪い甘言だとビビは顔を歪ませた。見てみたくない訳がなかった。ビビはアーサーのことをぶん殴ってやりたくなったけれど、出来なくて、悔しくて、下唇を噛んだ。首を横に振ることは出来なかった。


沈黙を肯定と見なされたのか、ビビの包帯が勝手にぱらりと解かれる。少し、体が震えた。母以外に見せたことが無い眼球が露出した。自分の顔を見てアーサーが息を呑むのをビビは感じた。彼の長い睫毛の下の瞳がぴくりとも動かない、じっと顔を見つめられている。怪訝そうな表情を浮かべると我に返ったらしく、アーサーは取り繕うように笑った。


「…一晩寝たから、なんとか高等魔法と聖霊魔法を全力で起動出来るよ。ま、今日一日くらいは軽く持つかな」


足下に絨毯のように魔法陣が展開される。昨日から見ている中でもひと際大きく複雑だ。緻密に織られたその式は、内容はわからなくてもやはり美しかった。ビビの心臓はどくどくと大きく脈打っていた。言葉にできない苛立ちは消えていないのに、これから見る世界への期待で爆発しそうだ。


頭の左右に手を添えられて、柔らかなテノールが静かにビビの耳を打つ。


「『君の美しい宝石の奥へ。空の青、森の緑、血の赤…色彩の縒り合わせた光が、鮮やかさが届くように致します。眼窩に射し込む光の読み解き方を、思い出しましょう、憶えていましょう…そして神へお祈り申し上げましょう――』


ビビは自分の"視界"が狭められていき、消失するのを感じる。一抹の不安を覚えた。


『どうかどうか、主の与え給えし世界の麗しさを、少年に魅せられますよう、深く深く、お願い申し上げます』」


これは詠唱、なのだろうか。寧ろ祝詞のようだ。内容的には祈りに近いから――前々から思っていたがアーサーは信心深いと思う。


「—」


アーサーは魔法式が正常に起動し、実行されるのを感じ目を細める。


「君は一体何を感じるのかな」








「——」


ビビが最初に見たのは、アーサーの顔。次に朝日の差し込む自分の部屋。


「あぁ」


そして、無地だと思っていたミシェーラの織ったタペストリーの——艶やかさ。いつもよりも狭い視界なのに、その情報量に脳髄を殴られたような痺れを感じていた。


「すごい、すごい…すごい、すごい、すごい、すごいッ!!!!!!」


ビビは歓喜に震えあまりの感動にいっそ発狂しそうになっていた。口からは単純な感嘆の言葉しか出なくなっている。


「これが色…これが光、ああ、どう表現すれば良いのか僕にはわからない、この幸運を表現する言葉を僕は知りません!自分の学の無さが恨めしい!

 アーサーさん、貴方はこんな色をしていたんですね、こんなに綺麗な色をしていたのですね!」


ビビはアーサーにぐいっと顔を寄せる。色の名前がわからないビビに代わり説明すると、アーサーの柔らかな巻き毛は朝の光を反射して金色に光っていたし、眼鏡の奥の両目も晴れ渡った海のような青色をしていた。


「ほんとうに、無精髭が勿体ないですよ」

「……うーん、今髭剃り持ってなくてね」


ビビに突然褒められて目を白黒させていたアーサーだったが、次いで言われた駄目出しに逆に落ち着いたようにほっと息を吐き出す。ビビはまず自分の部屋の中の観察を始める。寝台の木の茶色、部屋の壁の白。ミシェーラのタペストリーの色彩は衝撃だった。どれだけの時間をかけて、丁寧に織ったのだろうか……。ビビはタペストリーにじっと魅入った。


「褒めてくれて、ありがとう。でもね、ビビ。君の目の方がよっぼど綺麗なんだよ」


鏡ってないかな、とキョロキョロし始めるアーサーにそんな高級な上に不要なものないです、とビビは言う。ビビは興奮が収まらず、今度は窓枠から身を乗り出した。上ったばかりの太陽の刺さるような眩しさ、何色にもわたってグラデーションのかかった空色、朝露の滴り輝く天糸瓜、ああ、水って、光って、透明ってこういうことだったのか!今までねっとりとはりつく様を表面的になぞるように認識するばかりでビビにとって透明な物を見るのも初めてだ。


たまらない、胸が張り裂けそうだ、もっと見たい、もっともっともっと!!そんな家を飛び出していきそうな勢いのビビの腕を掴んで、アーサーは引き寄せた。


「ほら!ビビ、ちょっとおいで。君の目がどんな風に見えるのか、今見せてあげるから」


アーサーは壁の一部を魔法を使って乱暴に鏡に変えた。そこに映るのは、目を見開いて間抜け面をしている少年の姿。真っ白な髪の毛が顔を隠しているけれど、その奥の両目は宝石で出来ている。ふと前髪を持ち上げられて目の作りがよりよく見えるようになる。グロテスク、悪趣味な義眼のよう。


自分の顔を見て、その色を見て硬直が解けないビビをまっすぐ見ながら、アーサーは説明を始める。——その説明は思いも寄らない物だった。


「君の右目は青色。どうやらブルーダイヤモンドで出来ている。ダイヤモンドは知識として知っているね?この世の宝石の中で最も値が張るものといって過言ではない。しかもそれの青色となると更に価値が跳ね上がる。左目は赤色。深い赤色だね。レッドダイヤモンド…こちらも最高の質。ざっと見てインクルージョンも見られないし、両目ともとても綺麗だね。

 それから…君みたいな人間とか動物のことを空枠(ルース)って言うんだけど…人形の空枠(ルース)でもヘテロクロミアは滅多にいない。というか、見たことがない。だからね…君のご母堂はとても慎重な、懸命な方だ」


光を飲み込み、奥の方で虹のように燃えさせている自分の目の輝きが、ビビには禍々しくて美しいとは思えないのに。


「君が売られたら、何十億するかわからない。というかもう値段がつくレベルじゃないね!」


ビビは抜け出せない夢の中にいるかのような、呆然とした気分にさせられるのだった。


「…………アーサーさん…その。詳しい、ですね」


やっとのことで言葉を絞り出す。少年は平静を保とうとするがかなわない。ミシェーラの作る織物が、大体一年で金貨で100くらいだから…えっと。考えるまでもない、ミシェーラが遊んで暮らしても9割以上余るような価値が自分にあるの、らしい。ミシェーラはよく人さらいや宝石職人に気をつけろと言っていたけれど本当に冗談じゃなかったのか。ぐるぐると思考を巡らせているとアーサーは何でもないことのようにふふっと笑った。


「まあねえ、私は王都でのあだ名が…気に入らないけれど──宝石狂い(ルースマニア)って言われてるから」


ビビの思考が急停止する。


「ルースマニア……」


鏡から視線を戻すと、ビビの視界に再びアーサーが現れる。穏やかな笑みを湛えた青色の中に自分の両目が映っている。急に恐ろしくなってしまって動けない。


「——アーサーさん、僕を攫っていきますか?…売り飛ばしますか?」

「え、攫わないし売らないよお。…急にどうしたの」


アーサーが呆れていることを感じつつも、ビビは俯く。


「じゃあ…何故僕に良くしてくれるのですか?」

「何故って、君は私を泊めてくれたし。私が欲しい物はお金じゃあないし、卑怯な手をつかって美しいものを集めても楽しめないからねえ」


彼はそこで何故かにぱーーー、と晴れやかな笑顔を浮かべた。


「まあ、でも、君が空枠だって初対面で気がついたから、うっわあ眼球拝みたいなあ!なんて邪な考え浮かんじゃって、こんなことしちゃってるところはあるけれどねえ!だから閲覧料ってやつさ!!あらかた魔力使っちゃってまーた空っぽで倦怠感が酷いから、今日は猟もお休みだし村のお悩み解決もなしだ!あー、疲れたーあ。——ふふふふ、想定外のものが見れて嬉しかったなあ、ありがとう」


ここで全力の無能宣言。ビビはぽかんと口を開けてほうけてしまう。なんということだ。全く気がつかなかったが、出会ったときからこの男、実は打算に満ちていたらしい。


彼が全くの善人ではないあたりが憎めなかった。


「——何をしているの?」


強張ったミシェーラの声が唐突に割り込んでビビはそちらに顔を向けた。魔力で周囲を感知出来なくなっているので、母が部屋に来ていることにも気がつかなかった。なるほど、不便ではある。初めて見る母の色。状況がわかっていないミシェーラは顔を青ざめさせて、ビビとアーサーの間に割り込んだ。それもそうか、朝起きたらリビングの長椅子で眠っている筈の客人がいなくなっていて——最高級の空枠の少年の部屋に忍び込んでいたら悪い想像しかしない。


「母さん、大丈夫だよ、アーサーは何も悪いことしてないんだ」

「ビビ、包帯を何故外したの」

「アーサーさんに少しの間目を治してもらったの」


ビビはミシェーラに後ろから抱きついた。ミシェーラがアーサーを捕らえる鋭い目が、驚きに見開かれる。アーサーは微笑んで、静かに頷いてみせた。


「母さん、こっちを向いて。貴女の目の色はなんて言えばいいの…?」


振り向くと我が子がまっすぐ母親を見上げている。いつもはどこを見ているかわからない、ビビの両目がミシェーラの方にはっきりと向いている。


「……紫よ…スミレの色、ラベンダーの色…」


ミシェーラの声が詰まって、曖昧になる。滲む涙がミシェーラの瞳を宝石のようにキラキラと輝かせた。


「素敵な色だね…僕一番好きだ」


嗚咽を上げ、ミシェーラは強く強くビビを抱きしめる。母の背中を、少年は優しくさすった。

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