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死体蹴り  作者: 言祝
2/6

旅人

意識が浮上すると、世界は静かに輪郭を取り戻し、まっさらな天井から徐々に滲み浮き上がる。硝子の嵌められていない窓の、カーテンの隙間からやってくる若葉の匂いが鼻腔をくすぐり、今日も初夏を感じた。

少年の世界に光はない。生まれつき視力が無いからだ。明暗も彩度も知り得ない少年の世界はしかし、生まれつきの才能のお陰で、光と引き換えにとても雄大に広がっている。非常に鋭敏な感覚が、世界の情報を精密に少年へと伝えているからだ。


今だって少年は、部屋の外に植えてある、天糸瓜から朝露の滴る様まではっきりと感じている。


「おはよう、ビビ」


息子が起床したことに気がついた母のミシェーラがまだ寝ぼけ眼の少年の顔を覗き込んできた。少年・ビビはおはようと返すと、起き上がり眠気を落とそうと軽く頭を振った。少しお腹がすいている。母は早起きだ、ドアの外には朝ご飯が準備されていて、今朝は目玉焼きとトーストらしい。でもその前に。

ビビはベッドの端に腰掛けると、母を待った。腰を屈めたミシェーラが優しく目元にガーゼをあて、その上からくるくる包帯を巻き始める。物心つく前からの習慣だ。自分でも巻けると随分前に言ったけれど、彼女は譲らない。包帯を巻き終えたミシェーラはビビの頭を優しく撫でて、決まって両目に口づけを落とす。


「おまじないよ」


光が無くてもビビには母の柔らかな微笑みが見える。少年は、母が大好きだった。


ビビが住んでいるのは山間部に位置する貧しい村だ。村人たちは大体狩りをしたり農業をしたりすることにより自給自足の生活を行なっている。閉鎖的な村で、外からは月に一度か二度、行商がやってくる程度である。実はビビは生まれたときからこの村にいる訳ではない。ここは何年か前、ビビの記憶がおぼろげな時期に流れ着いた村だった。母と子がこの地に根を下ろして10年経っても時折、原住民たちとの間に距離を感じる。ほんの僅かな"よそもの"扱いは、ビビの心を小さく刺したが、精一杯日々の生活を送っているとそんな刺も気にしている暇は無い。


ビビの家は畑がある訳ではなく、ミシェーラの織物の技術で生計を立てていた。彼女の作品は相当評判が良く、村の外にファンがいる程らしい。ビビは母が布を織り上げる様をよく観察する。細い糸を何本も使って、ミシェーラの指先が淀みなく動き、滑らかな布に仕上がる工程は見飽きることは無い。ビビの部屋にも彼女はお手製のタペストリーを飾ってくれていて、それはビビのお気に入りだ。

そんな素晴らしい技術でも母一人、子一人の家庭を支えるには足りなかった。勿論ビビもまだ子供ではあったが働く必要があった。ビビの才能に合ったその仕事は、狩りの手伝いである。


朝食を終え母の手製の服に着替えると、ボウガンを腰のベルトに引っ掛ける。ビビはいってきますと母を振り返った。


「宝石職人に遭わないように気をつけるのよ」


冗談まじりに、半ば本気に――母は言う。ビビは頷いて外に出た。何故なら、ビビの両目は宝石で出来ていたからだ。





ビビは外に出て少し歩いた所で異変に気がついた。村の外から人が来たらしい。畑ばかりの植物が豊かな、だだっ広い景色の中に馬を連れてウロウロしている不審者がいる。距離にして100mほどだろうか。他の村人たちが寄ってくる様子もない(そもそも近くに誰もいない)。不審な男は身長が高く、短髪にしたふわふわの巻き毛を風に軽く揺らせている。表情までは流石に見ることは出来ないが身なりはしっかりとしているし、盗賊のたぐいではないことは明白だった。


どうせビビの通り道なので、ビビは軽く駆けていって男に話しかけようとした。


「珍しい人に会えたものだ。君、ちょっといいかなあ」


ところで、逆に話しかけられた。男の後ろで少しだけ荷物をのせた馬がぶるぶるっと首をふるっている。馬はなんだか機嫌が悪いみたいだ。ビビは頷いて、男の前に立った。丸眼鏡を掛けた男は間延びした話し方とたれ目のせいか柔和な顔つきに見える。ちょっとだけ無精髭が生えていて、折角上等なフード付きのコートに、綺麗なブーツ、繊細なピアス、腕時計なんて高価な物までつけているのになあとビビはなんだか勿体ない気がした。


「初めまして、私はアーサーって言うんだ。その、今、旅の途中でね。ここで1日か2日馬を休めたいんだ。この村には……宿泊する場所はないかなあ」


呆れてビビは首を横に振る。そんなものはなかった。外から来る行商なんかは一番広い村長の家に泊まることになっていたので宿泊施設を作る必要がないし、需要の無い施設を管理したがる奇特な人間もいないのだ。

ビビの答えにアーサーはがっくりと肩を落とした。


「だよねえ、そうだよねえ。朝から御免よ、途中に村があるからと高をくくっていたよ」


こんな朝早くからちゃんとした宿泊場所を探して、こんな山奥をうろついているのか…。ものすごく要領が悪い人なんだなとビビは判断した。そしてこうも考えた。要領は悪いけれど、お金は持っているんだろうな。加えて、目に包帯を巻いたビビのことを、どうやら心の底から何とも思わないで話しかけている。この男の愚鈍さがビビにはとても好ましく思えた。


男も男で何かを期待するかのようにビビのことをじっと見つめている。これは…仕方ないかもしれない。


条件次第だけれども2日くらいまでだったらウチに泊まっても良いと言うと、アーサーは途端に顔色を良くした。ぱああっと笑顔になるところが彼の人の良さを示している気がした。


「い、い、良いのかい?!見ず知らずの人間だよ?…ああ、神よ、感謝します」


大げさだなあ。ビビは苦笑して、来た道を引き返すのだった。






出て行ってすぐに帰ってきたビビにミシェーラは驚いて、事情を聞くとあらあらと笑って見せた。アーサーも礼儀正しく挨拶をしたので、宿泊についてはすぐに話がついた。とはいえ、勿論会ったばかりのアーサーのことを完全に信用した訳ではないのだけれど。


ビビが自分はこれから狩りに向かうとアーサーに告げると、彼は「あー、私も食料が欲しいなあ」とのんびり言った。どこかで買うことを計画しているらしい。そしてお金は払うから食事も分けて欲しいと持ちかける。それは良いけれど…とミシェーラは少し眉を下げる。


「今日のご飯はビビにかかっているの。ご飯が麦と野菜だけになるか、お肉が加わるか、運次第ですわ」

「………」


今、手元に肉も魚も無いのよねえ。ミシェーラが放った衝撃の言葉にアーサーが黙る。眉毛がへにゃ、と下がっている。


「もう3日マトモなもの食べてないんだ………ちゃんと料理された肉が食べたい……確実に肉が食べたい……」


悲しそうだ。どうやらここまでの道中の食料事情が貧相なものだったらしい。肉に対する執着が強く感じられる。可哀想になったので、ビビは頑張って狩ってくると精一杯励ました。狩りをする仲間達にも優遇して貰えるように頼んでみるとも。アーサーはそんな優しいビビに緩く目を細めた。そして、先程までの哀愁はどこへやら、にっこりと笑った。


「ふふ、ありがとう。…それじゃあ私も狩りに行こう、うん、そうしよう。自分の食べるものくらい、取ってご覧じようねえ」


すっかり調子を取り戻したアーサーがぱちんとウインクを飛ばすのを、少年はきょとんと見上げた。アーサーの荷物に銃などが無いことは確認済みだ。獲物がない人間が、何を言ってるんだ?


「心配しなくていい、銃なんてなくても私はすごーく強いんだ」


そんなビビの内心を見透かしたように、アーサーは言う。





「はじめまして皆様、ご機嫌麗しゅうございます。私はアーサーと申します。本日はよろしくお願い致します」


人好きのする笑顔を浮かべて丁寧に挨拶する余所者に、狩りをするために集まった合計5人の村人達は顔を見合わせたが、表面上は好意的に受け入れた。


ただ、果たして、このひょろ長い男は本当に狩りなんて出来るのか…。


森の小道を歩いて、にこにこしているアーサーに一抹の不安を覚える。合流した村人たちも同じ気持ちらしく、不審そうな視線をちらちらと送っている。その一人、ビビの友達でもあるつんつん頭のリートリックが少し身を屈めてビビに耳打ちする。


「なあビビ、あのよそ者の縦長兄ちゃん大丈夫か?指も綺麗だし普段ぜぇったい狩りなんてしてないだろ…まあ荷物持ちくらいにしか思ってねえけど」


ビビは頷き、リートリックの節くれ立った指を見た。村の男たちも、女たちも、皆日々の生活のため手のひらの皮は固くなっているし、傷は絶えない。反対にアーサーの手は何も知らないお姫様みたいだ。さぞ良い暮らしをしてきたのだろうなあと思う。彼はもう成人しているのだろうし、お嫁さんがいるかもしれない。何をしてお金を稼いでいるのかは流石に訊いていないのでわからないけれど、肉体労働者の風貌ではなかった。


でもアーサーは…とリートリックにアーサーのことを詳しく説明しようとしたところでビビの肩に手を置かれた。


「二人とも、私がお邪魔虫だって話してるだろ」

「あ…聞こえてたんだ」

「君、声大きいもの。見損なっちゃ困るぞ」


むっと頬を膨らませているアーサーは子供っぽい。見損なうも何もなあ。リートリックはビビの方を向いて顔をしかめた。もともと彼はつり目気味なのでちょっとキツい表情になっている。リートリックは上目遣いにアーサーを睨みながら話す。


「つーかビビから聞いてるけどよお、アーサーって変な名前だな」


内容はどうであれコミュニケーションを積極的にとるあたり、リートリックは面倒見が良い。他の村人たちもアーサーとそれなりに会話はしているのだけれど、言うまでもなく警戒は解けていないしよそ者扱いだってビビ以上だ。アーサーもそのことはなんとなくわかっているらしく、気を悪くすることなくリートリックに笑いかける。


「そうかなあ?リートリックくんも珍しい名前じゃないかなあ。私の名前は…そうだねえ、偶然だけれど、遠くの国の王様の名前と一緒なんだ。自分では気に入ってるんだけど」

「へー?でも王様って名前負けってやつ??」

「うわあ手厳しい」


アーサーは悔しそうに顔を顰めてみせる。ビビはリートリックの言いようが面白くてちょっと笑ってしまった。これまでのアーサーの行動を考えると――疲れきった馬を引いて宿泊場所に困っていたこととか――リートリックの言う通り名前負けしているという指摘は否定できない。


ぴくん、と何かに気が付いたようにビビが顔を上げる。


「ビビ、見つけた?」


リートリックに訊かれてビビは頷いた。ビビたちの進行方向には、どこまでも鬱蒼とした森が続いているが、もう少し先にまずは兎が二羽。更にもう少し行くと鹿がいる。こちらに気がついて逃げる様子も無かった。ビビの話を聞いた村人は足音を潜める。ビビの言葉通り、兎は逃げずにそこにいた。暢気に草を歯んで、ひくひくと鼻を動かす姿は可愛らしいし、ぷりぷりと肉付きが良い所はとても美味しそうだ。アーサーは感心したようにビビを見ている。それがちょっと誇らしく、照れくさく思う。


村人の1人が銃を取り出して狙いを定める。その隣で何故か、アーサーが兎に向けてまっすぐ腕を伸ばした。


「私がいるのだから、銃弾を無駄にすることは無いさ」


丸腰のアーサーの無駄な自信も、その根拠も、今明白になるのだ。


村人が気を取られて引き金に掛けた手を止めている間に、アーサーの指先に魔力的なエネルギーが集まり円形の複雑な文様を描く。ビビにも見ることが出来たそれは──母の織る布のように繊細で、とても美しく見えた。ビビが初めて目にした魔法。一瞬にして広がった魔法陣は、人々が目を見張って間もなく消滅する。アーサーは静かに手を下ろす。


「──神よ、その慈悲を今貴方の御許に行ったこの哀れな小兎にお与えください」


兎がことりと、その場に崩れ落ちた。既に息絶えている。


魔術師。アーサーはこの国を──世界を支配する、最高位に位置する人種だった。


村人たちのアーサーに対する評価は得体の知れない旅人から一変した。兎を捕らえたのと同じ要領で彼は鹿や熊を一瞬で屠ったのだ。大物ならではの重量に嬉しい悲鳴を上げながら村人は今日の成果を運んでいる。中には何故最初から魔法が使えることを言わないのかと少し苦い顔をする者もいた。


功労者たる魔術師に物を持たせる訳にはいかないと言われ、アーサーは手ぶらで来た道を帰っていた。肉だ肉〜、と頗る上機嫌だ。


「あれはねえ、雷の魔法だよ。魔法って言うのは、この世界に広がっている計算式を書き換えて行なうものでねえ…」

「へーーー!アーサーお前凄いけど言ってることは訳わかんないわ!あはは」

「リートリックくんの素直なとこ、好ましいよ」


相変わらず口は悪いものの、さっきよりも好意的になったリートリックにアーサーは嬉しそうにしている。村人もアーサーに対して積極的に関わりを持とうとしているし、魔導士様と尊敬を込めて呼び始めている。噂で聞くよりも魔法使いって凄いんだなあ、優しくて強くて、ヒーローみたいだと、ビビの胸もドキドキと強く鼓動を打っていた。


「魔導士様、是非村長のもとにいらっしゃってください。魔導士様が村にやってきたということを知ったら喜んでもてなされると思いますよ」


村人の1人がそう誘った。それでもアーサーの普段の暮らしに比べたら質素だろうが、とも断りを入れる。アーサーはありがとうと頷いた。続けてでも、とアーサーの大きな右手が隣にいたビビの頭に優しくのせられる。


「私は、もうこの少年の家に厄介になると決めたのでねえ。ご厚意は感謝致しますが挨拶にとどめさせて頂きましょう」


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