第3話 見知らぬ少女
「赤城さん」
海を見渡す炎天下の海岸線。
車道を走る車は非常に少なく、五分に一台がいいところ。
海辺を楽しむ観光客を眺めながら少年、赤城葵は歩道を歩いていた。
その時、後ろから声をかけられた。
とはいえ不意ではない。
白いワンピースを着た少女が進行方向にいることは知っていた。
知っていて通り過ぎたのだ。
反射的に後ろを振り向いた赤城。
そこでようやく少女の全貌をとらえる。
一七〇センチの身長からでも見下ろせるくらい小さな身長。
こうしてじっくり見ると、腕一本でその体を押してあげればすぐ倒れてしまいそうなほど小柄だった。
胸も特に目立ちはしないが、白いワンピースが似合うほどスタイルはいい。
つい守ってあげてしまいたくなる少女。
ただ、かわいい少女から声をかけられたその心境はウキウキではなく見知らぬ少女に呼び止められた違和感のみだった。
ここは東京に属する小さな島だ。
ここで暮らしている島民であればほぼ顔と名前は一致してわかる。
しかし、この少女は知らない。
この島にはいない顔だ。
それにこんな典型的なバカンス姿で野外にでている人は一人もいない。
今の季節ならタンクトップか、シャツ。短めのズボン。特に変わったところはない。
この子の服装が変わりすぎている。
この島は海が綺麗とあって夏のこの時期には夏休みの学生や家族連れが多く観光にくる。
赤城は少女をその1人として見ていた。
でも違った。
こちらの名前を知っているこの少女は一体……。
少女は赤城が疑問を投げかける前に口を開く。
「赤城さん、赤城葵さんですよね」
苗字だけでなくフルネームまで。
赤城は身構えながら質問する。
「アンタ誰? 何で俺のこと知ってんの?」
誰もが疑問に思い放つ独特の欠片もないセリフ。
こんな不思議な状況だとそれが1番効果的なのであるが。
ただ、これに対する少女の反応は意外なものだった。
「はい?」
目を見開き首をかしげる少女。
なにやら今の問いの意味を理解できていないようだ。
何故こちらの名前を知っているのかという簡単な質問のはずだったのだが。
「えーと」
そんな風になにもない空中を見ながらモジモジしだす少女。
人差し指を顎にあて困り顔の少女も中々にかわいい。
赤城は間を埋めようと別の視点から質問をする。
「海は泳がないのか? せっかく観光にきたのだから満喫していってな。島の海はめちゃくちゃ綺麗だぞ」
この質問の返答次第でただの観光客なのか、本当に赤城に会いにきたのかが分かる。
そもそも白いワンピースに麦わら帽子。この姿、長年この島に住んでいても見たことがない。
この島は海以外に遊べるところなんてない。海で泳ぐのが目的なのでればこんな恰好しなくてもいい。
さらに白いワンピースをはやす綺麗な長い黒髪なんてむしろこの島じゃ目立ちすぎる。
どんな思考を持った少女なのか。
赤城はじっと答えを待ち、少女は口を開く。
「うーん。ごめんなさい。まだ早かったですね」
――は? 何言ってんだこいつ
だめだ。問いにすらまともに答えられないのか。
白いワンピースが似合うほどスタイルが良くて、綺麗な黒髪で、顔が可愛くても日本語が通じないのはアウトと言わざるをえない。
こちらの名前を知っていたのは不気味であるが、さっさとこの場を去ろうと決心した赤城。
「また来ます! それでは!」
――いやそっちから去ってくれるのかい。
そんな突っ込みを口にはだせず、優雅に歩いていく少女の背中を見つめる。
歩く運動で左右に揺れる黒い髪。思わず見惚れてしましそうになるが、もう関係ない。
少年は再度、スーパーマーケットへと歩み始めようとしたその時。
先まで見ていた視界の中で少しの違和感に気が付いた。
その違和感を確かめるために赤城はゆっくりと視線を下に下げていく。
そこには。
『人生、楽しいですか?』
歩道のコンクリートの表面。
日射が照りつけるそこに、浅く掘られた文字が表れていた。
――なんだこれは
いつも歩いている道だ。
こんなもの昨日まではなかったと断言できる。
いや、少女に話しかけられる前にもこんな文字はなかったはずだ。
何故突然こんなところにこんな文字が。
赤城はその文章だけでなく、その下にある選択肢があることに気付く。
『はい』
『いいえ』
単純な選択肢である。
でも赤城はこの状況、どちらかを選ばなくてはいけないと思った。
ただどう答える?
声に出す?
踏む?
手のひらで触ってみる?
屋外で道に赤城以外一人もいないことから口頭するのもありだが、すこし恥ずかしい。
手のひらで触るのも気が引ける。太陽の熱を直に浴びているコンクリートに素肌をつけるなんて考えられないし。体勢も低くしなければならない。
なら一つしかない。
赤城は踏んだ。
『いいえ』という文字を。
その瞬間。
空間が渦を巻き、道路も海も島の山も観光客もその全てが消えてなくなった。
自分が今どこに立っているのか。それすら理解できなくなる。
少年の理解が追いつくことなく、視界が正常を取り戻した時。
目に映る世界が変わった。