第1話 サイトの訴求力
八月。
三十度を越える蒸し暑い夏のある日。
窓の向こう側の暑さを遠目にクーラーを効かせた小さな部屋で少年、赤城葵はネットサーフィンを楽しんでいた。
いくらかページの遷移を続けていた時。
心惹かれるサイト名を見つけた。
『異世界を旅した者たちの記録』
別段このようなサイトは珍しいわけではない。
戦時中へ突然飛び込んだり、気が付けば存在しないはずの駅にいたり。
ありもしない冗長に書かれた妄想文は多々存在する。
赤城はこれが誰かの空想物語であったとしても、よく設定が練られたものであれば素直に読み進める。
ただ今回は例外であった。
『異世界を旅した者たちの記録』
このサイト名に奇妙な吸引力があった。
検索しても結果の奥の奥の方に存在する誰の目にも映らないだろうサイト。
赤城は基本的に検索結果の三ページ以内であればどんなワードでも閲覧したことがある。
ここで赤城の廃人っぷりが露見されたわけだが、そんな赤城でもこのサイトに惹かれてしまった。
名前のせい?
いや普通にありふれたサイト名だ。
引き出しの最深部にあったから?
いやそれでもここまで見たいと思ったことはない。
サイト名の文脈に秘密が?
うーんやっぱり特殊なところはない。
では何だ。
長々と惹かれる理由を考えたが、とにかくサイトの中を見たかったので解決せずにサイトをクリックする。
赤城はそのサイトの前書きを音読する。
「記録。これは偶然異世界に引き込まれた者たちの実体験から不可解なものだけをピックアップした記録である」
かすれるような空気交じりの声を一定の速度で保ち、続けて読み上げていく。
「ネット上では異世界に行ったという話が溢れ返っており、そのどれもが矛盾や説得力がない作り話である。しかし、その中で体験者の生まれも育ちも違い、年齢がまるで違うのに奇妙な共通点をもった異世界話が存在することはご存じだろうか」
たまに変な言語が読めたり、存在しないはずの駅に降り立ってしまったなど類似した話があることはたしかなのだが、今回はそれとは違うものなのだろうか。
「ネット上だから年齢偽装もできるし、口裏合わせもできるかもしれない。それでもその者達の話はとても現実味を帯びており、公表している年齢を疑う点がない。そして話の内容にいくつかの共通点がある。つまりこの異世界体験はこの一群の中で一番可能性がある話なのである。そして体験者が飛んだ異世界は同一の可能性もあるのだ」
――ほうほう
赤城はうなずきながら文章の整理をし、間を開けず読み続ける。
「その体験は人によって様々であり脚色している可能性も否めないが、大事なのは共通点。ここではその共通点について紹介していきたい。まず一つ目は体験者の花田清さん(五十四)の書き込みを紹介しよう。『その世界は時代錯誤が激しくて、明治生まれの方や昭和生まれの方、さらには平成のその先の年号の方、様々な時代の人間が存在していた。昭和の街を歩いていたと思ったら急に超高層ビルが建っていたり、マッハで走る電車があったり、円盤が空を飛んでいた。なにより驚いたのは機械が意思を持ち、まるで人間のように話しかけてくるところだ』。どうだろうか。にわかに信じがたいことだろう」
「ただもう一人須藤元気さん(十八)のブログでアップされた話を見てみよう」
赤城の心は既にこのサイトのものであり時間を忘れただただ単純に文字だけを見ていく。
『私はロボットと友達になった。ゴロウと呼んでいたそのロボットは自らの意思を持ち、考えを持ち、意見を持ち、感情を持っていた。彼はとても気さくでこの世界に迷い込んでしまった私の事を最初から最後までサポートしてくれた。一緒にいてとても心落ち着いたし、何でも相談ができる親友だった。共に凄いスピードの電車に乗ったり、考えるだけで動く機械で遊んだり、無重力のビルを見学したり、侵攻防衛ゲームで楽しんだ。最後の別れはとても悲しかったが、地球へ帰る私を研究室のような場所から姿が見えなくなるまで笑顔で手を振ってくれた。私は貴重な体験をさせてもらった。彼との学園生活はずっと忘れない。友よ』。どうだろうか。花田さんと話とかぶる点がいくつかあっただろう。意思を持つロボット。マッハで走る電車。これはただの偶然なのだろうか」
――おおお!
高ぶる心臓の熱。
今の季節が夏? ノンノン。
夏休みなのに引きこもり? ノンノン。
最早全ての事象がどうでもいい。
興味を惹かれる内容を前に無駄な神経は使わない。
「最後に恐らく同じ異世界へ行ったであろう宮本健二さん(十五)の違った視点からの話を見てみよう。『私は一年の間別の学校に転校した。正式な手続きはしていないが、変な場所に来てしまったと思ったら移民管理委員と呼ばれる者たちに連れて行かれ君は今日からこの学園の生徒だと告げられた。持っていた携帯で両親にかけても全く繋がらない。電波はたっているのに。ただ電源を切っているか電波の繋がらない場所にいるとだけ言われ続けた。私は本当に来てしまったのだろうか。異世界というやつに」
「クラスメートに訊いてみたところクラス全員が私と同じ体験をしていた。しかも出身が一九三〇年であったり二〇八〇年であったりバラバラだ。つまり過去や未来の人間を地球から学園生として招いていた。そういえば学園外も平成の街並みがあったと思ったら近未来型の絵にかいたような高層マンション群があり、この世界の技術力を象徴するかのように見上げても頂が見えない高さのビルがあった。さらには明治の街並みまであった。やはりそうなのだろうか』。どうだろうか。この話は続きもあるが今は共通点だけをトリミングしているのでここまでにしておく」
「私が言いたい共通点はもうお分かりだろう。学園というキーワードと時代錯誤の街並みだ。念のため言っておくがこの書き込みをしてくれた体験者たちに人間関係としての接点はない。赤の他人がここまでの似たような話をしているのだ。説得力はあるのではないだろうか。そして最後に絶対に外すことのできない共通体験を紹介する。これはこのサイトを見てくださっているあなたにも降りかかるかもしれないことなのでよく頭に入れておいてほしい」
自分にも降りかかる。
ぶっちゃけこういう決まり文句のようなやつはいらなかった。
読者にも体験できるかもしれないという期待させるだけさせるあおり文。
どうせそんな体験ができるわけじゃないのに。仮にできたとしても自分ではない他の誰かだって事も分かっている。ここまで楽しめて読めてきたのにこの一文のせいで一気に熱が冷めてしまった。
異世界に行ったという不思議な体験で自分にも降りかかる出来事なんて到底ありえないことに決まっている。
とりあえず続きを見てはみるが。
「この体験者の全てがこう語っている。『異世界に行く直前、見知らぬ人に声をかけられた。その者は自分の名前を知っていた。こちらは全く知らないというのに』。どうだろうか。しかも声をかけた人物は同一人物ではない。人によって幼い子供に話しかけられたとか凄く年をくっているおじいちゃんにはなしかけられたとか様々だ。この現象については推測できないが、異世界へ行く前兆であると私は思っている。残念ながら私にこのような体験はない。しかしあなたならそれがあるかもしれない。異世界へ行き無事帰ってこられたと言う方がいるのなら私にそれを教えてほしい。私は皆様の不思議な体験談をいつでも待っている」
――あちゃー、本当にきちゃったよ到底ありえないこと。
見知らぬ人に声をかけられてしかもその人はこちらを知っているが、こちらはその人を知らない?
何だこの狭い条件。
遠い親戚が用があって自分を訪ねてきたときとか?
そんなこと人生歩んでいく中で滅多にありはしない。
と、高校二年生の少年が結論付けた。
ここで少年はふと思い出す。
「そういや父さんからお使い頼まれてたんだっけ」
ネットを閉じシャットダウンする赤城。
ノートパソコンをゆっくりと閉じて三時間ぶりに立ち上がる。
長時間の同体勢による筋肉の強張りが赤城を襲う。
腰を伸ばしひねる。関節のかわいた音が空気を振動させ、同時に筋肉の緊張をほぐしていく。
動作の流れで背筋を伸ばし、全身の固まった筋肉をほぐしていく。緊張からの弛緩。これの切り替わる時の気持ちよさったらない。
赤城がパソコンの前にかぶりつくのは最後に圧倒的解放感が待っているからといっても過言じゃない。
喘ぎ声にも似た低い声を漏らしつつ、伸びを終えた赤城は買い物へ出かけるために玄関へ向かった。