宿屋での出来事
「あ、ドラグさん!」
ホールに現れたドラグスを目敏く見つけソイルは、ランクCの身体能力をフルに活かした超加速でドラグスに引っ付く。まったくもって能力の無駄遣いである。
「お待ちしておりましたお師匠様」
「もうっソイルったら!ドラグさん、うちのソイルがすみません」
そんな仲間の様子に呆れたようでいて、何処か楽しそうに諌めるヴィーチェル。そしてそんな彼女を尻目にアイラはやたらとキラキラした眼差しをドラグスに向ける。本当に謎の懐かれようだ。
「良い良い、この程度の重さなど我に取っては些事にもならぬわ」
「あわわわ〜!?ドラグさん、目が回るよ〜!」
ドラグスは謎の懐かれように苦笑をしつつ、ソイルの引っ付いた片手を軽々と振り回して見せた。ぐるぐると回される手に引っ付くソイルは悲鳴をあげながらも何処か楽し気にその回転に身を委ねる。
ぐるぐる……
ぐるぐるぐる………
ぐるぐるぐるぐる…………
ぐるぐるぐるぐるぐる……………
ぐるぐるぐるぐるぐるぐる………………
「長い!長いよドラグさん!?流石にボクもこれ以上は無理だよ〜!」
パッと手を離し、くるくると華麗に空中で回転し、華麗な着地を見せた……と思わせてそのまますっ転ぶソイル。
痛いよ〜とぶつけた鼻を抑えながら涙目でよろよろ立ち上がるソイルに、ドラグスは皆と共に笑い、目を回しふらふらしているソイルに状態回復系の魔法をかけてやる。
「ほわー……ドラグさん、こんな高位の回復魔法使えたんだ」
ドラグスの回復魔法により復活したソイルはその魔法の効果の高さに驚き、感嘆した。
ドラグスが今使った回復魔法は生きてさえいればどのような傷や状態異常でも瞬時に完治させる程の高位なものであった。
シアンの言葉で自分が普通に扱う空間魔法や重力操作魔法でさえこの人界ではかなりの高位の術となる事が分かったドラグスは回復魔法にもかなりセーブを掛けたのだが、それでもやはり高位の魔法顔負けの回復魔法になってしまいソイルを驚かせた。
幸いにも森人の魂は基本的な探索者と同様で傷や状態異常の回復はポーションに頼っているーーアイラは攻撃と補助専門で回復魔法は使えないらしいーーので、回復魔法の専門的な知識は無かったらしい。おかげで騒ぎにならずに済んだのだが、ここに回復専門の探索者がいたらその者はドラグスの回復魔法に間違い無く腰を抜かしていただろう。何故ならドラグスがただ目が回っているだけの状態を治した魔法は回復魔法を扱う者の中では『完全回復』と呼ばれる最高位の回復魔法の一つであったらだ。その効果のほどは一個で数十万リルもするエリクサーと言うポーションと同等。現在完全回復使える人はこの大迷宮都市ラビリンスに5人といない。この場に回復魔法に精通している者がいなくて本当に良かった。
「さて、ではそろそろ行くか。宿を紹介してくれるのだろう?」
「そうですね、そろそろ行きましょうか。ソイル、アイラ、今度はドラグさんに引っ付かないでよ?注目浴びて恥ずかしいんだから」
「はーい」
「仕方ありませんね……」
ソイルとアイラは心底残念そうにしつつも渋々と了解した。ドラグスとヴィーチェルそんな二人の様子に苦笑しながらギルドを後にした。
***
「ほう、中々良い趣きではないか!」
ギルドを出て大通りを進む事数十分。ドラグスと森人の魂の面々は一つの建物の前にいた。
赤煉瓦造りで5階建ての大き目なこの建物。名を「勇者のやすらぎ亭」と言う。この「勇者のやすらぎ亭」こそが森人の魂達が数年前から借りている宿であった。
勇者のやすらぎ亭と言う名前には自身の命を省みず迷宮に潜り続ける探索者達の勇気を讃え、そんな探索者達でも休む時くらいは安らげるようにと言う意味が込められている。
勇者のやすらぎ亭の内装は、入ると目の前に受け付けがあり、そこから奥に進むと木で作られた質素な酒場のような作りの場所がある。酒場にはこの店の宿泊客だろう探索者達が今日の戦果はどうだったかと言う笑い声から、最近迷宮内のモンスターの動きがやけに活発だとか言う有意義な情報等の幅広い会話がなされている。
木製の階段は酒場の右奥と左奥に一つずつあり、上り下りの際ギシギシと音を立てつつも、しっかりとした造りになっており、壊れるような気配は微塵も感じ無い。
「お帰りなさい、ヴィーチェルちゃん、ソイルちゃん、アイラちゃん。……あら?そちらの格好良い殿方はどちらさま?」
ドラグス達が宿に足を踏む入れると、直ぐにパタパタと音を立てて宿の奥から肩までの長さがある茶色い髪を左側で結って纏めた20代半ば程の見た目をした人間の女性が出て来た。
「ただいまレイスさん。こちらの方は今日の迷宮で会った人で、まだ宿を決めていないっていうからここを紹介したんです」
「あらあら、そうだったの!お部屋なら丁度空いていますよ。三階の315号室になりますけどよろしくて?」
レイスと呼ばれた人間の女性はヴィーチェルの言葉に手をパチンと叩き合わせながら笑顔で答えた。
「うむ、そこで構わぬ。取り敢えず一週間程部屋を借りたいのだが幾らだ?」
「そうねぇ、うちは朝食夕食有りで一晩250リルで一週間で1750リルなんだけど、お得意様のヴィーチェルちゃん達の紹介だし、一晩おまけして1500リルでいいわよ〜」
ドラグスは現在の人界の宿屋の一般的な価格についてはまったく分から無いが、この規模の宿屋でこの価格は比較的安いのでは無いかと感じた。そしてその考えは正しく、ラビリンスにあるこの規模の宿屋の平均価格は一晩350〜450リル。つまりこの勇者のやすらぎ亭は平均価格より100〜200リルも安い。レイス曰く、この価格でも毎月十分な稼ぎを確保出来ているから良いとの事だ。
「分かった。ではこれが1500リルだ。取り敢えず一週間世話になる」
「はいはーい、こちらこそよろしくお願いしちゃうわ。じゃあこれがお部屋の鍵になります。出掛ける際に鍵はこちらで預かるので忘れずに渡してね。朝食は朝6〜9時の朝に、夕飯は18〜21時の間に私か厨房にいる旦那に言ってくれれば出すから、食事の際は忘れないように。時間外は別料金が発生しちゃうから注意してね」
レイスの説明に理解したと頷き、ドラグスは早速部屋に向かう。と、何故か森人の魂の面々もドラグスに着いて行く。
「何故我に着いて来る?主等には主等の部屋があるであろう」
疑問に思ったドラグスが聞くと、アイラが代表してその疑問に答えた。
「実は私達の借りている部屋は325号室でお師匠様の向かい側の部屋なんですよ!」
何故か誇らし気に語るアイラにうんうんと同意を示すソイル。そしてそれに本日何度目か分から無い苦笑をしながら実はそうなんですと言うヴィーチェル。ドラグスも僅かに目を見開き、本当に奇っ怪な縁よのう……と苦笑混じりに呟いた。
「まぁ良い……っと、315号室はここか。ヴィーチェル、ソイル、アイラ、また後でな」
ドラグスは渡された鍵で部屋の扉を開き、森人の魂の三人に挨拶をした後、部屋に足を踏み入れた。
「おお……」
部屋に入ったドラグスは部屋の内装に感嘆の吐息を漏らした。
六畳程の広さをした部屋の奥に人一人が横になるのに丁度良い大きさをしたベットがあり、その横には魔石を使って作られたと思う冷蔵庫のようなものがポツンと置いてある。その他には2メートル程の大きさのクローゼットに木製の机と椅子が一つずつ置いてあるだけのシンプルな内装のこの部屋だが、いると不思議と気持ちが落ち着いて行く感じがする。
「ふむ、人界の宿も中々良いの。風情があるわ」
ドラグスはギルドから渡されたポーチを机の上に起き、どかっと椅子に腰を掛けた。椅子は一瞬ギシッと音を立てるが、しっかりとドラグスの体重を受け止め、壊れる気配を微塵も見せない。
そのまま椅子に体重を預けていると唐突にコンコン、とノックの音が聞こえた。
「……んむぅ?」
少しうとうとしていたドラグスはその音に意識を覚醒させ、欠伸をしながら部屋の扉を開けた。
「あ、ドラグさんお夕飯に誘おうと思ったんですが、もしかして寝てました?」
「ん、ああ……少しうとうとしてしまってはいたな。だがおかげで目が覚めたわい。助かったぞ」
扉を開けた先にいのはヴィーチェルで、彼女の後ろにはソイルとアイラもいた。
ヴィーチェルはドラグスの眠そうな様子に少し申し訳なさそうに尋ねた。が、ドラグスの夕飯を食べ損ね無いで済んだと言う言葉を聞きホッと息を吐いて、それでは行きましょうかと笑顔を浮かべて階段を降りて行った。ソイルとアイラもそれに続く。そんな森人の魂の面々にドラグスはうむと頷き部屋をきちんと施錠した後、自分も三人が消えて行った階段を降り、用意された食事に舌鼓をうった。
本日の夕食は街周辺に生息しているスローシープの肉に、コンソメのような味をしたスープ。それに薬草を使ったサラダ。そして焼き立てのパンであった。
***
「ふぅ、さっぱりした。まさかこの宿、風呂も付いているとはな。正直驚いたぞ」
ドラグスは体からモクモクと健康的な蒸気を発生させながら笑顔でそう言った。
現在ドラグスがいるのはこの『勇者のやすらぎ亭』に設置されている大浴場の待合室のような場所。目の前には同じく体から健康的な蒸気を放つ森人の魂の面々がいる。
先程までのロングコートとスボンを脱ぎ、この宿備え付けの白い浴衣のような服に身を包んだドラグスは、同じように装備を解除し、浴衣のような服装をしている森人の魂と共に風呂上がりの一杯として果実水をゴクゴクと飲んでいた。
あの後、食事を終えたドラグスは森人の魂の三人に促されて宿屋の内部に造設させられている大浴場で迷宮探索でかいた汗を流していたのだ。勿論男女別である。お風呂で十分に体の疲れを取った彼等は湯上りの果実水を飲みながら談笑を楽しんでいた。
「そうなんですよ!ここのお風呂はとても気持ち良くて、私ここに初めて泊まった時なんか感動で涙を流してしまいました!」
ドラグスの呟きに大きな反応を示したのはなんとヴィーチェルであった。ドラグスは先程までの落ち着いた雰囲気を放っていたヴィーチェルの予想外の豹変ぶりに「お、おう……」と少したじろぐ。
「あはは、ヴィーチェルはお風呂大好きだもんね。ボクもお風呂は好きだけど、ヴィーチェル程じゃ無いよー」
「ふふっ、そうですね。あの時のヴィーチェルのはしゃぎっぷりったら……思い出しただけで少し笑っちゃいます」
「も、もう、止めてよみんな!ごめんなさいドラグさん、つい興奮しちゃって……」
「ククッ、良い良い。風呂を楽しむのは女ならば仕方無き事だ」
ソイルとアイラの唐突な暴露にヴィーチェルは、あっ!と口を押さえ、次には顔を赤くさせて俯いてしまった。ドラグスは本当に仲良いのう、と微笑みを浮かべて仲睦まじく戯れあっている三人を見守っていた。
「さて、そろそろいい感じ体の火照りも取れたし部屋に戻るか」
その後数分程の戯れあいを終えたヴィーチェル達にドラグスは立ち上がりながらそう言った。
「そうですね。私も今ので少し疲れちゃいましたし丁度いいタイミングです」
「うん、ボクも眠くなっちゃった」
「私は夜型なのでまだ行けますけど……ドラグさん、よろしければ一緒に飲みますか?」
ドラグスの提案にヴィーチェルとソイルは欠伸を噛み殺しながら頷き、アイラはくいっとお酒を煽る動作をしてドラグスを誘う。ドラグスは丁重にお断りした。それにドラグスにはまだ確認しなければならない事が残っているのだ。
(さて、ではそろそろ核心に迫らせて貰うかの)
「それではおやすみなさいドラグさん」
「また明日〜」
「おやすみなさい」
「待て」
部屋の前でドラグスにおやすみと告げて部屋に入ろうとするヴィーチェル達にドラグスは先程までとは違い何処か真剣味の帯びた声音でそう告げた。
「まだ少し話したい事があるのだが構わぬか?」
「え?大丈夫ですけど……あ、ならお部屋へどうぞ」
ヴィーチェルはドラグスの言葉に不思議そうな表情をし、取り敢えずとドラグスを部屋へと促す。
「すまぬな」
ドラグスはそうとだけ言って森人の魂の部屋の中へ足を踏み入れた。
彼女達の部屋は意外と整っており、長い間住み着いていたからか、エルフ特有の森林を彷彿させるような香りが僅かに鼻腔をくすぐる。
部屋の作りこそドラグスの部屋と然程の変わりは無いのだが三人で泊まれる部屋であるため、広さはドラグス借りている部屋の3〜4倍はあった。
「で、お話とは?」
部屋に四人全員が入ったのを確認したヴィーチェルが扉を閉め、森人の魂の面々は各々が使っているベットに腰を掛け、代表としてヴィーチェルがドラグスにそう問いかけた。
ドラグスはヴィーチェル達に許可を取った後、部屋に置いてあった椅子に腰を掛けた。
「ああ、その前に……」
ドラグスはパチンと指を鳴らし、部屋全体を自身の魔力で覆う。
「これは……防音コーティング?」
三人の中でも魔法に精通しているアイラが真っ先にその魔力の正体に気付き、次いでヴィーチェル、ソイルもドラグスが張った防音コーティングに気付いた。
「あの、防音コーティングを施してまでする話とは……」
話とは何ですか?ヴィーチェルがそこまで言い切ろうとした瞬間、ドラグスから剣呑な雰囲気が放たれ強制的に黙らさられる。
「御託はもういい……ヴィーチェル、ソイル、アイラ、主等の目的はなんだ?」
嘘を吐く事等許さないとばかりに言葉に覇気を乗せて問いかけるドラグスにヴィーチェル達はどっと冷や汗をかいた。
「まさかあんなあからさまな態度を取っておきながら気付かれていないとでも思ったか?もしそれなら主等は我を甘く見過ぎだ」
「っ!?」
心臓は警鐘を鳴らし、それに応じるように呼吸がどんどん荒くなる。
ドラグスの口から紡がれる言葉の一つ一つには槍の如き鋭さがあり、それらの全てが森人の魂の三人に深く深く突き刺さって行く。最早物理的威力を誇るその言葉の重さに嫌でも確信させられる。ドラグスにはもう全てがばれている、と……。
何も言えずにいる森人の魂の面々を黄金の双眸で射抜きつつ、ドラグスは小さな声でやはりな……と呟き、言葉を続ける。
「そもそも主等には最初に会った時から何処か違和感を感じていた。先ず一つ目に主等のような見目麗しい女達が男である我に出会って半日程度であそこまで懐くわけがない。そこが既に不審過ぎる。二つ目はヴィーチェル、主のような性格をした者が我にあからさまに引っ付く二人に苦笑するばかりで止めようとしないのはおかしい。まるでそうしなくてはならない理由があるようだ。こう見えて我は人を見る目には自信があるのだぞ?そして三つ目、主等の表情には何処か陰りがある。楽しく感じている時でも心の何処かで不安を抱えている……」
そしてこの言葉が決め手となる。
「いや違うな。楽しく感じる事で不安を誤魔化しているんだ」
それを合図に森人の魂はもう無理か……とゆっくりと顔を上げる。だがその顔は先程までの華が咲くような笑顔とは違い、何かに怯えるか弱い女の子のそれであった。
「ドラグさんには全てお見通しですか……」
ヴィーチェルははぁ……と息を吐き降参ですと言わんばかりの表情で語り出した。
「ドラグさんの言う通りです……私達は貴方に隠し事をしていました」
「ごめんねドラグさん……実はボク達、ドラグさんを利用していたんだ……」
「……」
ヴィーチェルの言葉をソイルが引き継ぐ。ドラグスは口を結び先程までの元気はすっかりなりを隠し、沈痛な趣きをしたボーイッシュな容姿のエルフの言葉に耳を傾ける。
「ボク達、実は以前から何者かに後を尾けられていたんだ。それで……」
「最初はただ尾けて来るだったので、Cランクの身体能力にものを言わせて尾けて来る度に何度も撒いていたんです」
ソイルが言葉に詰まったタイミングで次に口を開いたのは知的な風貌をしたこのパーティ最年長のエルフ、アイラ。
「ですが最近、迷宮内でもその何者かの気配を感じる様になって……そして遂に一昨日、私達が宿屋に帰って来た時にもその気配を感じるようになったんです……」
アイラが言うには、その何者かは今まで宿屋までは尾けてこなかったらしい。なのに最近になってはその何者かは遂にアイラ達が借りている宿屋まで特定したらしく、宿屋にいる時ですらその気配を感じるようになったとの事。
「なるほどな……大体読めた。つまるとこ、主等は我をその気配の者に対して牽制の意味合いで用心棒とした、と言う事か」
「はい……概ねそれであっています……その、ドラグさんの強さなら仮に犯人が現れても遅れは取らないと思いまして……いえ、何を言っても私達がドラグさんを利用してしまった事には代わりないですよね……本当にすみません……」
ヴィーチェルは顔を伏せながら謝罪を口にする。責任感の強い彼女は仲間の為なら何でもすると言う強い意思を伺わせ、ドラグスの次の言葉を持つ。
「ふむ、では犯人の顔を見た事はあるか?」
ヴィーチェル達はドラグスの質問に何かを思い出すような仕草を取り、三人同時にあっ!と何かを思い出したように声をあげた。
「一度だけあります。迷宮内で気配を感じた時の事なんですが、気配を感じた私達は気配のする方を一斉に見やりました。その時、気配の主にモンスターが襲い掛かって、気配の主が慌てて応戦した時に顔を隠していた仮面に敵の攻撃を喰らって仮面が壊れた時チラッとだけ見ました。20代前半程の人間の男性だったと思います」
「ふむ、では次の質問だ。主等が見た男って言うのは……」
ドラグスはそこで言葉を切り、ギラッと音が出そうな鋭い眼つきで机の上に置いてあったソイルの矢を部屋の外向けて思いっきり投擲した。
ドラグスに投擲された矢はそこにあった壁を何事も無いように貫通し、夜の闇の中に消えて行った。
「この男か?」
そして次の瞬間、ドラグスと森人の魂達の目の前に先程ドラグスが投擲した矢を肩に深々と突き刺した人間が現れた。全身に闇に紛れるような黒い服を纏い、顔全体を覆うように仮面を被った人間……見るからに怪しい。
ドラグスが仮面を無理矢理取ると、そこに現れた顔は20代前半程の男性であった。男は苦悶の表情で呻き、憎々しげにドラグスを睨み付ける。
「あ……この人……」
「う、うん……あの時の男の人だよ」
「ええ……確かにこの人でした」
「迷宮内で主等と出会った時からずっとこの者の気配を感じていたから主等の話を聞きもしやと思ったが……やはりこの男であったか」
ドラグスがどうやってこの男をここに連れて来たのか等最早気にならない。ヴィーチェル達は怒りに満ちた目で肩から血を流している男を睨み付ける。
「ぐっ……俺の隠密は完璧だった筈だ、何故俺の気配に気付いた!?」
男はヴィーチェル達の視線等知らないとばかりにドラグスに唾を飛ばしながら怒鳴りかかる。それに対しドラグスはふんっと嘲るような笑みを浮かべ、冷静に返した。
「あの程度で完璧だと?ククッ、まさか本当にあの程度の隠密力で我の目から逃れられるとでも思ったのか?おめでたい奴だな貴様は」
「くっ、化け物め……」
男はドラグスの笑みで最初から全てがお見通しであったことを悟り、悔し気に顔を背ける。そしてその先には般若が三人……
「貴方だったんですねストーカーは……」
「ずっとボク達を尾けて来て何をするつもりだったの……?」
「まさか、逃げられるとは思っていませんよねぇ……?」
ユラァ〜と男に詰め寄る森人の魂の面々に男の額につーっ……と汗が垂れる。
「諦めろ」
そして止めにとドラグスが矢を媒介に状態異常を引き起こす魔法を発動させた。男の体はビシッと動かなくなる。状態異常麻痺だ。森人の魂は麻痺で動けなくなった男にゆっくり、ゆっくりと近付いて行く。それはまるで忍び寄る死神の如き歩みであった。男は顔面を蒼白に染める。
「ひ、近付くな!俺が悪かった!止めろ!止めろ!……う、うわぁぁぁぁぁぁあ!!!!」
月夜に吠える男の絶叫はドラグスの無駄に強度の高い防音コーティングに阻まれ、誰かに聞き取られる事無く一晩中響き渡ったと言う。
「ククッ、女とはかくも恐ろしいものであるな」
その一部始終を見ていたドラグスは愉快そうに笑っていた。
因みにドラグスが男を無理矢理転移させた技の正体は強制転移の魔法を矢に付与したからです。