多分傍観者です!
「――わかってるわよね、貴方に断る権利なんてないってことぐらい」
ふむ、こんなものかしら。艶めいた目線をカメラに流して意地悪く笑ってみせる。
私は今ベッドに軽く腰掛けて男を待っている。服装は、バスローブ一枚(しかも風呂上り風)でその上そのバスローブの色が白じゃなくて、あれだよあれ、悪役感満載の黒ときたもんだ。
とはいってもバスローブの中はちゃんと水着だし、着ていないわけではないんだけどもね。
「ふふ。そんなに睨まなくてもいいでしょう? 私と結婚した方が貴方には得だって、わかってるくせに」
ちろり、と生足をカメラに見せ付けるように組み替える。
「いいのよ、私のこと、好きにして」
このシーンは多分、私の支持層であるおっさん向けのサービスシーンだろうなと思いつつ、私は立ち上がり男に近寄った。
私の視界には二十代後半のイケメン俳優。ああ、確かこの俳優もあの子の取り巻きになりさがるんだったな、などど思いながら、腕をその広い肩へとかけた。
はっとしたように男はその身体を硬くして、そして私の身体へとその腕をのばして――。
「だめだ、俺には、あいつが!」
ベッドへと私は突き飛ばされ、男は振り返ることもなく部屋を去っていく。そして私は取り残され、見てなさい絶対に貴方を私の物にしてみせるわ――と呟くのだった。
しん、としたスタジオ内には「カット!」という言葉が響き渡った。
やれやれと私は突き飛ばされていたベッドから起き上がると、マネージャーから上着を取り上げて羽織った。長い上着なので足も隠れる。
今日の私は悪役女だ。ヒロインへの愛を貫こうとする主人公を誘惑する社長令嬢というのがそれだ。いっこうになびかない彼をあの手この手で誘惑してヒロインを苛め抜くというわけ。
「いやーレイラさん、最高でした。いい悪女っぷりですよ」
「どうもありがとうございます。最高の褒め言葉です、嬉しい」
アイドルあがりとはいえセクシー路線で売ってきた甲斐があった、と私は思う。うだつのあがらないアイドル時代、可愛さだけでドラマに出ていた同じグループの奴らを見るたび何度泣いたことか。
悪女役でいいのかって?仕事さえあれば文句は言いませんよ、しかも地上波のドラマのレギュラーですもの。そもそも私の支持母体はセクシー大好きおっさん世代なので、今さら悪役女の役ごときでひるむはずもない。せいぜいチラリズム的に露出をしておっさんを喜ばせるぐらいしかないんだし。
レギュラーってのは大きい。少なくともワンクールは定期的にテレビで露出するわけだし。
もともと正統派可愛い路線で売れなかったのだから、芸能界の片隅にでもなんとか生息していられたら御の字よね。
「レイラさーん!」
スタジオの片隅から聞き覚えのある声がするので、そちらを振り向くと。私には到底叶わないであろう天然物の輝きを持つ乙女が手を振っているのが見えた。
どじっ娘属性を持つ現役女子高生アイドルの声に、私だけではなく周囲も振り向く。
そりゃあ、あの子可愛いし。私みたいなうだつの上がらないグループにいた子なんかと違うしな。
一人で売れるっていうのは大きいわ。
「レイラさん、すっごいセクシーでした!」
私が気づくとすっとんでやってくる。なんだろうこの懐かれようは。
「あんな大人の色気なんて絶対私にはできないから羨ましいです! もうぞくぞくしちゃいましたよー」
「でも私にはまいちゃんみたいな可愛らしさがないからね。私が高校生の時だって可愛げなんてゼロだったもの」
誇張でもなんでもなく、正統派アイドルの時からどうにも可愛げというものが欠けていたわね。
ハーフで仏頂面なんてアイドル好きにとっては永遠に相容れないんじゃないだろうかと気づいたときにはもう遅かったわ。
幸か不幸かこのドラマ、よりによって私がいじめる相手というのがこの子だったりするのだ。
――叶まい。
私が前世で楽しみに読んでいたアイドル恋愛サクセスストーリーのヒロインが、この子だ。そして私は彼女の人気を妬み嫌がらせをした挙句芸能界を去ることになるという落ちまでついている。
ドラマどころか現実に、私はよりにもよって悪役女に転生してしまったというわけだ。
でも大丈夫。ホテルの洗面台で頭を打った衝撃でそのことを思い出した私は回避する方向に動いたのだから。
……その結果、ライバル悪役女どころか姐御な先輩になってしまったというところがなんとも詰めの甘い私らしいといえば私らしいけども。
仕方がない。とりあえず芸能界で生きていくには一番良いポジションだもの。まいちゃんが嫌な子だったらそれでもその立場は嫌だったけど、この子。
漫画読んでたときにも思ったんだけど人が良すぎて放ってはおけないというか、世話せざるを得ないというか。
初めての邂逅の後に、向こうのマネージャーに泣きつかれて同じ事務所に移籍してしまったのが運のつきね。
なんでも、まいちゃんはやっぱりこれまでも幾たびか危ない目にあったらしく、事務所側はそれを憂えてたらしいの。そこにスキャンダルなにそれおいしいの的な私がまいちゃんと仲良くなったから(というかそういう風に見えていたのか)これ幸いにと勧誘に至ったと。
自分としては覚えのない浮名を流しまくってる傍から見たらスキャンダルまみれの恋多きセクシータレントを勧誘とか、何考えているんだよ事務所、とつっこみそうになったじゃないの。
どうやらまいちゃんにかかる火の粉を私が取っ払ってかわしてくれることを期待されている模様。
恋多き(ということになっている)私に課せられた使命は重大らしい。
まあ前世であんなにはまった漫画のヒロインが無事彼氏と添い遂げるまで見守るのも悪くはないか、とも思っているけどね。
「レイラさんは今日の撮影もう終わりなんですか?」
「ええ、今日はこれで終わりよ。あ、でもちょっと見学してから帰るつもりよ。まいちゃんはこの後でしょう、どうせなら終わるの待ってるから一緒に帰りましょう」
「えーいいんですか!」
どうせ帰るマンションは事務所お買い上げマンションで挙句隣の部屋ときてるのだ。
売れてない私は車なんてつかないけど、まいちゃんと一緒に帰れば帰りの交通費が浮くし、などという下心もある。
そして、私はさっきからこのやりとりを呆然と見ていたらしい男をちらりと見る。
そうだろうそうだろう。役の中ではものすごい苛めをしている私がまいちゃんと仲良く話しているのだから驚愕もするわよね。原作だったらありえない光景だわ。
本来の原作なら、プライベートでもいびってるところだし。ちなみにそれを知った男がまいちゃんかわいそうから恋に至るわけなんだけど、今のところ恋は芽生えていないらしい。
「あっ、そうそう。今日の現場の差し入れってレイラさんの手作りですよね?」
「嫌ね、たかがクッキーごときで大袈裟じゃない。確かに私が朝焼いてきたけど、たいしたものじゃないし」
「いやいやいや。私全然料理できないんでクッキーだってハードル高いですもん。レイラさんって本当お料理上手ですよねー、綺麗で優しくてお料理上手で。なんで世間は誤解してるのかしら」
「一人で暮らしてればそこそこはできるようにはなるけど……」
「いやいや。私も一人だけど全然できなくて、下手したらあっちの方が料理上手かったりして不公平ですよー」
あっち、というのはまいちゃんの秘密に付き合っている美少年彼氏こと東堂龍司君のことだろう。
まいちゃんと同じ事務所に所属している常にミリオンを叩き出す超人気バンド「アステリオン」のボーカリスト様なのに、純情一直線の美少年だ。
まいちゃんと知り合うきっかけは実は彼にあるのだが、彼もまあ、なんというか、よく騙されずにここまできたよね、っていう感じの子だ。
私と普通に今付き合いがあるという時点で、その危機管理能力を疑いたくなるもの。
ともかく私の稚拙な言い訳をまるっと信じ込んで、その上二人の関係を守ろうとしてくれる姐御として認知されてしまったらしく、彼もまいちゃん同様慕ってくれてるのはいい。いいんだけども。
手っ取り早く餌付けした方が疑われずに仲良くなれるかと思ってまいちゃんとアステリオンの面々を招いて鍋パーティーをしたのが運のつきだった。
……オフの日に二人揃ってご飯食べにくるのを何とかしてください……。
事務所ぐるみで餌付けするつもりもなかったのにアステリオンの他のメンバーも食べにくるのだから勘弁して欲しい。リーダーの巧さんはそれでなくとも以前からちょっかい出してくる人だし。
そうそう。
巧さんといえば、まいちゃんと知り合うきっかけになった例の事件だけど、華麗にあのメールはスルーさせてもらっている。
見かけだけセクシーな小心者な私には巧さんはハードルが高すぎるのよね。
「そういえば以前に差し入れてくれてたマドレーヌでしたっけ、あれも美味しかったあ。あと、プリンもありましたよねーフルーツとかいっぱいのってて」
「ありがと。まいちゃんが食べてくれると作りがいがあるわね」
「もう現場来るの楽しくって。こんなに差し入れ充実してるとこ他にはありませんよー。あ、じゃあそろそろ、私行きますんで! 今日の夕飯はレイラさんのとこお邪魔してもいいですか!?」
「いいわよ。それじゃあまいちゃんの好きなハンバーグとかね」
「やったあ。あっちも喜ぶと思います!それじゃあ」
……二人で来る気か。リア充め……という内心の呟きは顔には出さない。
それにしてもあの差し入れは私からとはしてたけど、私の手作りとは言ってなかったはずだ。なのにまいちゃんはそれを食べて見破ったということか、恐ろしい子だわ。
この子はともかく食い意地がはってるのだ。しかもグルメ。それなのに体型は維持っていう、なんとも腹の立つ子なのよ。
来た時と同じようにすっとんで去っていくその背を見送ると、ようやく私は控え室へと向かおうとしたんだけど。目が合ってしまったのだ。……呆然とこちらを見つめる例のイケメン俳優と。
彼の名前は西崎周君。君というからにはそう、確か龍司と同じぐらいの年齢でもちろん私より年下なんだけど。見た目がもう美少年な龍司とは違って男前で背も高めで、ともかく男って感じの子なのだ。
確か某雑誌ランキングの抱かれたい男ランキングでは初登場ながら10位以内には入っていた(ちなみに一位は歩くフェロモンな巧さん)はず。
ひょうひょうとしてるのに色気だだもれな大人の男巧さんと、美少年龍司君と、このきりっとした男前周君の三人は、最後までまいちゃんを巡り揉めるのだ。ちなみにこの周君も純情一直線でまいちゃんに迫るわけで、巧さんなんかと比べるとよっぽど誠実な子なんだよね。
隙のありすぎる龍司君が悪い女の策略にはまり(というかそれ私)別れる!?となった時に現れるのが彼で、その一途さにはよく泣かされたわ。もう龍司なんてやめちゃえよ、と。
……しかし、邪魔するどころかお守になりさがってるのよね、今の私。
事務所ぐるみの隠蔽工作に加担しちゃってるわけだし、どっちかというと味方状態だし。
ここはどうしたらいいんだろう。やっぱりまいちゃんに接近するのを阻止したらいいのかな。
少し考え込んでから、私は無視することにした。関わらないのが一番よね。うん、それでいくわ。
目なんかあってませんよ勘違いですよと無視を決め込むと、私は控え室へと消えることにした。
あれ? なんか後ろからついてくるような気がするけど、気のせいよね。
控え室に入ろうとして扉を開けてそれを閉めようとしたときだった。扉がぐいっと大きく開かれたのだ。え、と思う間に、私はバランスを崩して、前へと倒れこむ羽目になった。
だけど床に倒れるってことはなかった。なぜならば――。
「大丈夫ですか、高木さん」
イケメンって声まで男前なのかしら。気づけば私はイケメン俳優の周君にしっかりと抱きとめられていたのだ。
いやいや、貴方が戸を開けようとしなければ別によろめいたりしないんですけど、とかいう冷静なツッコミはもはや無理ね。駆け巡る噂ほど経験のない私はちょっぴりうろたえた。
大丈夫、私はセクシータレント、恋多き女大丈夫、小悪魔対応、小悪魔対応、と心の中で何回も唱えた。ようやく持ち直して私は顔を上げた。なんということ、近すぎるわ顔が。
素ならうっとりするほど眺めていたい男前のきりりとした顔が至近距離で心配そうにこちらを覗きこんでいた。
「ごめんなさい、ちょっとびっくりしちゃってよろけちゃったわ。ありがとう、支えてくれて」
小悪魔な私にはこんなのなんでもありませんから、みたいに取り繕って即座にその腕から逃げることにする。
「あ、いえ。俺のほうこそ急に開けちゃったから……」
「気にしなくていいわよ」
本音としては気にしろと言いたいところだけど世間様の好感度高めなイケメン俳優を敵に回すのは得策ではないから、そう言っておく。こんなところで敵を作ったら芸能界片隅でひっそり生き残る作戦がおしまいだもの。
「……やっぱり噂なんてあてにならないな。あんなに叶さんが嬉しそうにしてるってことはやっぱり良い人なんだ……叶さんも大好きな先輩って言ってたぐらいだし……」
「あの? どうかしたの」
「あ、いえ、なんでもないです。あの、それより、さっきの叶さんとの会話を俺も聞いちゃったんですけど」
「ああ、クッキーどうとか言う話でしょ? ごめんなさいね、私のへたくそな手作りクッキーって聞いて興醒めだったんでしょう」
「いや、そんなことないっていうか、むしろ、あの、美味しかったから地味に感動してたっていうか……俺男だけどスイーツ好きで、けっこう詳しいしうるさいほうっていうか……」
なにかわからないけどどんどんしどろもどろになっていく周君。きりりとしていた眉がいわゆる困り眉になっていく。
ふむふむ、イケメン俳優はその男前な容姿のわりにはスイーツが好きとな。
「初めて現場に入ったとき置いてあったマドレーヌがすごい美味くてどこのお店だろうとか思ってたら、そのうちまた奇跡のように美味いプリンが出て、さりげなく叶さんにも探りを入れてみたんだけど知らないっていうし……今日は今日であんな美味しいクッキーが……」
まいちゃん……私が作ってると知られたら取り分減ると思ったのね……食い意地張った子だわ。
まったくもうとか脳内でツッコミいれていたら、なぜか周君が間合いを詰めてきた。
イケメン至近距離とかなんの拷問ですか。小悪魔対応、小悪魔対応とは思うけど、無理よ!
そのまま私の手を両手でぎゅっと握り締めてなんか熱っぽい瞳で見つめてくる。やだなにこのワンコ!
「――今度、俺だけのために是非スイーツ作って下さい!!」
……愛の告白かと思ったらそんなことかよ、と一気に脱力した私は。ものすごく熱っぽい瞳の周君に多少引きつつも「いいわよ」とだけ言ったのだった。
「本当ですか!? じゃあ叶さんと一緒に今日早速部屋にお邪魔しますね!」
「……え、そこまで話聞いてたの……」
「もちろん! スイーツの話から、俺の耳はずっとお二人の会話を追ってました!」
とんだワンコだよ、と私は早速後悔し始めていた。
「お子様味覚って笑われるんですけどハンバーグ好きなんですよ! ……それに部屋に堂々とあがれるなんてチャンスめったにないし、これを利用しない手はない……あ、え、なんでもないです! ちょっとこっちの話で」
きりりとした眉に戻りつつ、周君はとっても良い顔で笑う。後ろ暗いところなど何もないというような爽やかすぎる笑顔だ。世のお姉さま方の気持ちがよくわかるわね。
「わかったわよ、スイーツでも鍋でもなんでもいいわよ」
とりあえず今のところまいちゃん狙いでもないみたいだし、うまく餌付けにひっかかったのならこのまま味方にするのもありか。リア充なあの二人を見てしまえばまいちゃんに惹かれるってこともないだろうし。そもそも周君のまいちゃんに惹かれるきっかけは、彼女が私にいびられて落ちこんだってところからきているから、惹かれようもないんだけどね。
「やった! じゃあ今日お邪魔しますね!」
無邪気な爽やか笑顔で控え室を後にした周君をやれやれと見送った私は全然気づいていなかったのよ。
控え室を出た周君の爽やか笑顔の瞳が全然爽やかじゃなかったなんて。
ぎらぎらとした、あれは男の目で、獲物を狙う目だったってことなんてね。
――しょせん私なんて付け焼刃の大人の恋多き女でしかなかったってことよ。まがいものじゃないイケメン俳優の本物、には気づけなかったってこと。
最初のベッドシーンでちょっと本気になりかけて、挙句のクッキーでとどめをさされた周君がワンコどころか狼になってしまっていたなんて。
――そういうわけで我が部屋はいつもフェロモンタレナガシの大人の男とワンコの皮を被った狼が闊歩する場所となってしまったわけで、今もって決着はついておりません。
ついでにいうとそのうちもう一人まいちゃんの取り巻き予定だった御曹司も参戦してくるのだけど、それは別の話だ。