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人の手で掘り進んだようなどうくつ。ゴツゴツとした岩肌。赤茶色の土。大人三人が横に並んでも余裕で歩けるぐらいの幅がある。
木のうろの中に入ったはずなのに、どうして土なんだろう。それに幹の太さよりも明らかに長い。良一はそっと振り返って見たけど、後ろにも暗い長い横穴が続くだけだった。
「木の中じゃない。……ここ、どこ?」
良一は、どうしようかと途方にくれて前を向いた。
突然、古い映画のような映像がどうくつの岩肌に映し出された。
若い男女が喫茶店で見つめ合ってる姿。波打ち際でたわむれている姿。イチョウ並木の中を寄り添って歩く姿。結婚式場で将来を誓い合う二人。産まれたての赤ちゃんを前に微笑む二人。
ここで良一は、はたと気が付いた。
父さんと母さんと僕の姿だ。とても楽しそうに幸せそうに微笑んでいる。
「母さん……」
良一は優しかった母さんに会いたくなって、胸がギュッと苦しくなった。
会いたくて会いたくて、涙がこぼれた。
良一はフラフラと走馬灯の中を歩いて行く。
父さんも母さんもよく笑っていた。三人でいた時はとても楽しかった。
とても……幸せだった。
ホーホーとフクロウの鳴き声が聞こえて、突然。いっさいの灯かりが無くなった。良一は心細くなって、土かべに手を伸ばし、ほんのりと暖かい感触にすがり付いた。
怖いよ……ここはどこ? 助けて、誰か助けて! 父さん!!
――――大丈夫だよ、怖くないよ――――
「立てるか?」
うずくまっている僕の耳に、確かに聞こえた声におどろいて顔を上げると、良一と同じぐらいの歳の、いがぐり頭の男の子が見下ろしていた。
「どうしたんだ? 具合わるいのけ?」
真っ暗だった場所は、またほんのりと明かりが灯っていて、男の子の姿もはっきりと見えた。
「俺、正太」
「あっ、僕は良一」
宜しくなと、正太は右手を差し出した。
良一がそっとその手をつかむと、正太は勢いよく手を引き良一を立ち上がらせてくれた。
聞くと正太も雨宿りで木のうろの中に入って来たのだと言った。
「不思議だよなぁ。木の穴ん中さ入ったら、どうくつになっててさ! 面白そうだから探検してたんだぁ。良一もそうだろ?」
「えっと……僕は……」
「正太君は、えっと……なんか見た?」
正太も、自分の生い立ちを見たのだろうか。そう思って聞こうとしたけど、いい言葉が見つからなかった。
「呼びすてでいいよ! えっと、なにを見たかって?」
良一は、えっと、何と言うか、映像と言うか、なんと言うか、とゴニョゴニョつぶやく。
「う~ん、別に? 土でできた普通のどうくつだよな。でも何で明るいんだろうな」
懐中電灯も、電球も無いのになと言われ、良一も不思議に思った。
何となく二人でどうくつの中を歩きながら、学校の事や友達の事を話した。
「俺さ、父ちゃんが死んで母ちゃんと二人暮らしなんだぁ。すっげえ貧乏で。俺、一生懸命勉強して、いい学校に入って、いい大学さ入って、いい会社に入るんだぁ。そんで金持ちになって母ちゃんに楽させてぇんだ」
正太、父さんと同じ事言ってる……
「そうなんだ……僕には母さんがいなくて、父さんは街の会社で働いてて、お婆ちゃん家に預けられてるんだけど、……僕はお金があっても幸せとは限らないと思うんだ」
「でもさ、美味しい物がお腹一杯食べられるだろ? それにこんなにボロだらけの服じゃなくて、穴の開いてない服が買えるじゃないか!」
そう反論され、正太のかっこうをよく見ると、所々あて布がされた粗末な物を着ていた。くつもボロボロだった。
その姿を見て、良一は何も言えなくなった。
しばらく沈黙が続いた後、良一は自分の事を、ぽつりぽつりと話し始めた。正太は時々相づちを打ちながら、だまって良一の話しを聞いてくれた。
「そうか。人は自分が持っていない物を欲しがるのかな。俺は貧乏だからお金。良一は寂しいから愛情が欲しいんだな」
良一の話しを聞き終えて、正太はそう言った。
「自分が持っていない物?」
「うん。誰だって自分が持っていない物を他人が持っていたら欲しくなるだろ? きっとそれと同じだよ。良一は四歳ごろ母ちゃんと別れたんだろ? だから、もっと抱きしめて欲しかったとか、一緒にいたかったって思うんだよ」
正太の話しを、良一も相づちをうちながら黙って聞いた。正太はさらに続ける。
「でもさ、俺も良一も大人になっていく。その内に、親と一緒にいたいなんて思わなくなるよ。もっと先の事、考えた方がいいんじゃないのけ?」
「もっと先の事?」
「うん。将来の事だよ。将来の夢はあるか?」
「将来の、夢……」
「夢、ないのけ?」
「……分からない。考えた事、なかった」
「過去の事ばかりじゃなくて、もっと先の事、考えろよ」
――――きっとお母さんもそう思っているよ――――
急に、正太の声が遠くに聞こえた。
「えっ?」
良一は不思議に思って顔を上げると、正太の姿がはるか前方に見えた。
「正太、何でそんな所にいるの? 待ってよ。置いて行かないで!」
「良一、早く来い! どうくつが崩れるぞ!!」
正太はそう言いながら、良一の後ろを指差す。良一が恐る恐る振り向くと、はるか後ろの方でガラガラとどうくつが崩れ始めた。
「走れ!!」
その声を合図に、良一は弾かれたように走り出した。
良一は必死に手足を動かすが、思うように前に進まない。良一の走るスピードよりも、どうくつの崩れ落ちるスピードの方が早い気がする。
「早く! 早く来い!! 良一」
正太の足は動いていないのに、どんどん前に進んで行く。良一を置いて、離れて行く。
どうくつの奥の方からフクロウが勢いよく、良一を追い抜いて飛んで行く。あっという間に正太に追いついてしまった。
待って、待って、僕を置いて行かないで!
良一は走る事で精一杯で、声を出す事もできない。
光を背に立つ正太の横に、大人の女の人の姿が浮かび上がった。
『良一、急いで。』
母さん? どうして? 母さん待って、行かないで。会いたかったよ。
良一は必死に足を動かす。母さんと正太が、光りの中で手を差しのべる。
――――早くおいで、良一――――
二人が同時に言った。
良一は、走って走って、がむしゃらに走って、明るい光りの中に包まれた。
夢中で走っていると、ドスンと何かにぶつかった。
あいたたとぶつけた鼻を押さえていると、「良一!」と呼ばれた。
目を開けると、目の前には父さんが立っていた。
「良一! 良かった。無事だったんだな。探したんだぞ! けがは無いか?」
そう言って父さんは僕の体を痛いぐらいに抱きしめた。
久しぶりに抱きしめられて、暖かくて、痛かったけど、嬉しかった。
それから僕たちは、話し合いをした。父さんも怒らずに僕の話しを聞いてくれた。
「僕は、父さんと一緒に暮らしたい」
そう言うと、お婆ちゃんは淋しそうにしていたけど、取りあえず、一度、お母さんの思い出のつまった家に帰る事になった。
「ほれ正太、これも持っていきんさい」
車に乗り込む僕と父さんに、お婆ちゃんが荷物を手渡した。
「えっ? 正太?」
「なんだ良一。父さんの名前も忘れたのか?」
父さんとお婆ちゃんに笑われてしまった。
そうか。正太……、正太は、父さんだったのか……
正太は夢を叶えたんだなと思いながら、運転する父さんの横顔を見ていると
「なんだ? 俺の顔になんか付いてるか?」
と聞かれてしまった。
良一はぶんぶんと首を横に振る。
「父さん、あのさ。良一って名前、どうしてつけたの?」
良一は、ふと思い立って聞いてみた。
「ん? 昔な、俺がまだ子どものころ、友達とどうくつ探検してな、その子が良一って名前だったんだけど、なんでかその名前が頭に残ってて、お前が産まれた時に、『良一』だと思ったんだ」
「でも、あの後、あの子を探したんだけど、同じ学校の子じゃなかったんだよなぁ。どこの子だったんだろうな」
と父さんは不思議そうに首をかしげた。
話しを聞きながら「ふふふっ」と笑う僕を、父さんは不思議そうに見ていた。
「僕ね、将来の事ちゃんと考えるよ。過去ばかり振り向いてちゃ、ダメだもんね」
そう言うと、父さんは僕の頭をなでながら、偉いぞとほめてくれた。
あれは、父さんと母さんが僕を助けてくれたって事なのかな……
そう思いながら、車の窓から空を見上げると、正太と母さんの笑顔が浮かんで見えた。
最後まで読んで頂き、有り難うございました!
なかなか難産な作品でした。(これで? とか言わないで!)