後編
「どう?動く?」
足踏みをして、調子を確かめる。
この間が嘘のように、両足が軽い。
その場でぴょんと跳んでみせると、彼は嬉しそうに笑んだ。
あのアンドロイドを売ったお金で、彼は私の部品を買い集めてくれたようだ。
今では、私は発声できないこと以外は問題なくできるようになった。
「グレイ、ちょっとおいで」
彼が、いくら私の回路を確認しても、私が喋れない原因は判明しなかった。
私は、彼の前で欠陥品であることに不自由さは感じていなかった。
彼は、私の機能が回復すれば、修理することが終れば、私のこともあのアンドロイドと同様に手放すのだろう。
そんな日が来るくらいなら、声など些末なことだった。
彼は、いつの間にか簡単なジェスチャーで、私の想いを酌んでくれた。
ただ、私が彼に売られることを恐れていることだけは、気付いていなかっただろう。
「グレイの声は、どんなだろう。色々想像してみるけど、なかなか難しい。低いのかな、それとも思ったより高いだろうか」
そんな彼の無邪気な問いに、私は曖昧な笑みを浮かべた。
どうしたら、彼は諦めてくれるだろうか。
ある日、彼は新たなアンドロイドを連れ帰った。
そのアンドロイドを担いで来た男は、私を見てニヤッと笑った。
「これは、お前のアンドロイドか?」
「それが?」
「いや、なかなか高く売れそうだ。俺が、買取先を探してやっても良いぜ」
私は、その来訪者の言葉を聞いて固まった。
しかし、彼の「その必要はない。まだ、修理中で声が出せない」という言葉に息をつく。
しかし、いつか売られてしまうことに変わりはないのだと思うと、心が沈んだ。
それでも、男は諦めず、しげしげと下品な目で私を観察した。
「だったら、こいつより直すのは早いだろ。そいつを先に直して、俺のところに寄越してくれ」
担いできたアンドロイドをモノ扱いし、男はおもむろに私の腕を掴んだ。
彼に触れられるのとは違う嫌悪感が、私を包む。
彼が私の腕を取り返し、その胸に抱いてくれたとき、心から安堵した。
しかし、彼の告げた言葉は、その場の何もかもを忘れ去ってしまう程の衝撃だった。
「必要ないと言っているだろう。僕は、グレイを売るつもりはない!」
私を売らないと、彼は。彼は、そう言っただろうか。
何故?今は売らない、そういう意味だろうか。
それとも。
男が渋々帰って行った後、彼は少しだけ気恥ずかしそうな顔をした。
それでも、私が不安そうにしているのを知ってか、そっと頭を撫でながら、ボソッと声を落とす。
「情が移るから、僕は拾い物に名前はつけない。お前が、初めてだ」
そうだ。あのオレンジの髪をしたアンドロイドを、彼は呼ばなかった。
名前を呼ぶのは、いつもグレイだけで。
あのそっけない扱いも、彼なりの努力だったのだろうか。
「マス、タ」
自然と、喉から、声が漏れた。
私は、ずっと、ずっとアナタを呼んでいた。
アナタを、心の底から、呼びたかった。
アナタだけを、呼びたかった。
「マスター」
彼は、感極まったように何も言わず、ただ私を抱き締めた。
アナタを、マスターと呼びたかった。
私は、アナタが全て。アナタの傍にいる間だけ、私は、私でいられる。
私は、アナタのただ一つの存在。最後まで、アナタのその腕に残る唯一のモノ。
グレイ。その名前は、アナタからのたった一つの贈り物。