中編
「グレイ、ただいま」
平常よりも、半刻ほど遅く帰ってきた彼は、両腕に私とは違うアンドロイドを抱いていた。
彼は壊れ物を扱うように慎重に、以前私が居たのと同じ場所に、そのアンドロイドを下ろした。
彼は、それから、何かに没頭するようにアンドロイドに夢中になった。
仕事に行く以外を、ほとんどそのアンドロイドと向き合い、食事はおろか眠ることさえ忘れたようだ。
私が作った料理にも、ほとんど口をつけない。
私が近寄ることさえも、彼は拒絶しているようだった。
穏やかな彼。私を見て笑う彼。
いつか、私の頭をその腕を伸ばして撫でてくれたこともあった。
その時、私は、俯いてしまったけれど、本当は嬉しかった。
初めて名前を呼んでもらった日。
あの日から、彼は、私の一番だった。
迷いなく動いていた彼の指が止まる。
考えあぐねたような顔をした彼は、そっと溜息をついた。
同じような顔を、私は知っている。
私の一部を探しながら、良いものが見つからなかった時、彼は決まってそんな顔をしてみせた。
だから、今も同じなのだろう。
私は、彼の袖をそっと掴むと、彼の前に自分の腕を差し出した。
意味は、彼に伝わったと思われる。少し困ったように、眉を下げてから「ごめん」と彼は言った。
彼に、謝られてしまっては、嫌だと拒絶することは出来なくなった。
本当は、彼に首を横に振ってほしかった。
私は、いらないのだと、そういわれたのと同じだった。
それならば、使えば良い。アナタの気がすむまで。使えば良い。私の、一部を。
くるくると動き回るアンドロイド。
オレンジ色の明るい髪、愛嬌のある顔をしていた。
くすんだ灰色の、ボロボロの私とは同じアンドロイドでも、共通点の方が少ないだろう。
両足の自由を完全に失った私は、そのアンドロイドをじっと目だけで追っていた。
彼は、優しい。
私の腕にだけは、決して触れなかった。
不自由な足の動きを奪っても、この両腕の自由だけは、私から取り上げはしなかった。
私の腕を使えば、あのアンドロイドは、もっと早く本来の動きを取り戻したことだろう。
「グレイ、おいで」
彼が、やっと私を呼ぶ。あのアンドロイドがやって来てから、ずっと自分の名前さえ忘れてしまったのではないかと思っていた。
それ程、彼は私を見てはくれなかったのだ。
這うようにして近づく私を、彼はその事実を忘れていたように、驚いた顔をした。
その顔に、後悔が滲むのを、私は感じていた。
アナタがそんな顔をしなくて良い。
私は、アナタに壊されるのを望んでいるのだから。
オレンジ色の髪のアンドロイドは、私より幾分速くそして正確に家事をこなした。
もともと家事搭載型のアンドロイドの前に、私が彼に出来ることは何一つ無くなってしまった。
もともと希薄だった存在意義を失って、私は落ち込んでいた。
彼は、そんな私を心配してくれたが、その理由が分かるはずもない。
それに加えて、彼があのアンドロイドを連れて出かけて行ったことが、更に私を鬱屈とした気分にさせた。
今より幾分か自由な足をしていたときも、彼は決して私と外出したりはしなかった。
そんなことを考えもしなかったのに、目の前で閉じられた扉の先に出て行った二人を思うと、取り残されたことへの悲しみが襲った。
「グレイ?」
彼に名前を呼ばれるまで、私は機能停止に近い状態だったらしい。
扉が閉まってからの意識が、ほとんど存在していなかった。
良かった、戻ってきてくれたのだという安堵が、彼を見た瞬間に広がった。
しかし、彼は一人で戻ってきたようで、その後ろにアンドロイドの存在はなかった。
首を傾げた私に、彼は「ああ、売ってきたよ」と告げたのだった。
あれ程夢中に、取り付かれたように修理をしたアンドロイド。
それでも、彼は何もかも手放していく。
そのことを、私は忘れかけていた。
だから、彼が嬉しそうに「今度は、グレイの番だよ」と言ったことが、どうしようもなく哀しかった。