【6】
「エド、今日も部活なの?」
「うん。マルギットは部活してないんだっけ」
「色々とあるの。じゃあ、頑張ってね」
「うん。ありがとう」
放課後、エドとの会話を終え、マルギットは大きく息をついた。オッティとズザンネ、三人連れ立っていく背中を見送る。
あの事件から二日。ごく自然に会話ができるようになった。挨拶が精一杯だった頃から考えると進歩、いや躍進と言ってもいいレベル。この調子なら休日の約束を取り付けられるのも遠くはない。そんな都合の良い事を考えながらマルギットは帰り支度を進める。
「あ、良かった。まだ残っていてくれたのね、マルギットさん」
「はい?」
ハンナの声に顔を上げた。
「マルギットさんにお願いしたいことがあるんだけど、少しいい?」
そう言いながら、チラシを見せた。
「夏祭りのチラシですね。これがどうかしたんですか?」
カルディア王国第三の都市オルデンベルクは、祭りを派手に行うことで知られている。夏祭りは、その中でも特別。街中が派手に飾り立てられ、市民は凝った仮装で出歩く。
騒がしいのが苦手なマルギットではあるが、やはりお祭りは楽しみ。出来ることならエドと出店を見て回りたいとも思う。
「今回のメインイベントとして、仮装カップルコンテストがあるの」
「夕方、中央公園で行われるやつですね。それがどうかしたんですか?」
「マルギットさんに参加して欲しいの」
いきなりの申し出に言葉を失くす。
「メインイベントを盛り上げる為にね。各学年で一組ずつ参加することになったの。で、くじ引きで負けた私のクラスから出さないといけないんだけど」
「そ、そんなこと、急に言われても」
「大丈夫。マルギットさんはとっても美人だから」
「あの、そうじゃなくて」
「衣装なら心配しないで。私が準備するから。私、こう見えてもお裁縫が得意なの」
「いや、だから、そうじゃなくて」
「料理だってできるのに、どうして恋人ができないのかしら。運命の神様ってホントにいるのか疑問に思っちゃうわよね」
「先生、ちょっと私の話を聞いてください」
「あ、ごめんなさい。つい世界の理不尽について語っちゃうところだった」
てへっと舌を出すハンナに、マルギットは苛立ちを溜息に換えて吐き出した。
「カップルなんて無理です。私は付き合っている人とかいないですから」
「そのことなら大丈夫。相手役は決まってるの」
「そんな勝手に!」
「エレメンタリースクールからの友人で、とっても仲の良い子よ。それなら悪くないでしょ?」
エレメンタリースクールからの友人で仲の良い男子。その条件に見合うのは、クラスに一人しかいない。
「でも、相手の気持ちも考えないと」
「もう了解はとってあるの。とっても乗り気で、是非やってみたいって」
「え、うそ。そんな」
天から光が差し込んで、周囲を荘厳な輝きで満たしていく。マルギットはそんな錯覚すら感じるほどだった。
「ね、お願い。やってくれないかしら」
マルギットに断る理由があるはずがない。
* * *
週が明けた月曜日の放課後。日曜日に行われるコンテストに向けて、衣装合わせを行う事になった。
マルギットの衣装はゆったりしたロングドレスだった。淡いピンクの生地はふんだんにフリルがあしらわれ、キラキラと光るビーズが散りばめられている。短めの袖と大きく広がった三段飾りのスカート。ウエストラインを細く強調するデザインは、一昔前の流行を意識した物だろう。背中には蝶を思わせるカラフルな羽根がついている。
「うん。マルギットさん、とってもとっても素敵よ」
姿見に映るマルギットは微妙な顔をしていた。普段と違い髪を結い上げているのもあるだろうし、好みでないビーズ細工のティアラを着けているというのもあるだろう。
「テーマは妖精のお姫様なの。先生ね、春から頑張って作ってたの」
「はあ」
「私のイメージ通り、やっぱりマルギットさんにとっても似合うわ。ホントに似合うわ」
似合うわを繰り返すハンナにマルギットは、大きく溜息をこぼした。褒められるのは嬉しい。衣装も可愛い。悪くない。ただ、問題が一点あるのだ。
「さて、王子様の方はどうかな?」
マルギットの相方。衣装は妖精の王子をイメージした物だった。
マルギットのピンクと対象的に水色を基調にした上着とベスト、膝丈のキュロット。どれも金糸で鮮やかな刺繍が施され、袖口と襟元はレース飾りと豪奢な造りだ。踵のあるブーツを履き、腰には儀礼用の剣を提げていた。妖精という設定の為、背にはトンボ模した透明の羽根がある。
「とっても素敵よ。はい、この帽子を被って」
差し出された大きな羽根飾りのついた帽子を赤毛の上にのせた。
「うん。とっても似合ってるわ。ホントに似合うわ」
「うん、いい線いってると思う。やっぱ素材がいいからだよね」
「もう、オティーリエさんったら」
オッティは姿見に映った自分にウィンクしてみせた。その後、くるくると回ったり、ポーズを決めたりと実に満足そうだ。
そんなオッティにマルギットの吐息が大きくなる。
エレメンタリースクールからの仲の良い友人。確かにハンナは男子と言ってなかった。マルギットが勝手に誤解していただけと言えばそれまでだ。
「まさか男装女子が相手なんて思わないわよ」
都合の良い妄想と厳しい現実とのギャップに愚痴りたくもなる。
「これなら優勝も狙えるね、マルギット」
「狙わないわよ。そんなの」
ブーツで男子並の身長になったオッティ。本来目鼻立ちが整っている彼女は、美少年と言っても過言ではない仕上がりだ。
「そんなことないわよ。私が精魂込めて作った衣装なんだもん。誰にも負けないわ」
「はい、先生! 私達、この衣装に恥じないように頑張ります。そして勝ちます!」
「期待してるわよ。オティーリエさん、マルギットさん!」
盛り上がる二人を見ていると、マルギットは逆にドンドン冷めていく。
何度目かになる溜息をついたマルギットに、オッティが目を向ける。そのキラキラ光る瞳にマルギットは悪寒を覚えた。
「マルギット! 今から特訓だよ!」
「はぁ?」
「勝つ為に特訓だよ! 特訓!」
「言ってる意味が解んないんだけど。そもそも仮装の特訓って何するのよ」
「もちろん、走るんだよ。ここ一番で頼りになるのはスタミナと根性だから」
マルギット、開いた口が塞がらず。
「大丈夫だよ、マルギット。走ればそのキツキツなウエストも楽になるから」
「失礼ね! 私の腰はそんなに太くないわよ!」
首まで真っ赤にしてマルギットが怒鳴る。ウエストが少しキツイのは事実だった。
* * *
「夏祭りの日にプレゼント交換会をしませんか?」
マルギットとオッティがジャージ姿で校庭をランニングしている頃、ミステリィ研究会の部室でアリーセが唐突に提案した。
「素敵な提案だね。ズザンネはどう思う?」
「いいんじゃない。その為にプレゼントを買いに行ったんでしょ」
相変わらず身も蓋もない言い方をするズザンネ。
その一言に驚いたのはアリーセだ。
「エドさん、内緒にしておいてくださるようお願いしたのに」
「僕は喋ってないから」
「そうなんですか。じゃあ、どうして」
首を捻るアリーセに、ズザンネが「あのね」と切り出す。
「その計画のせいで、ホントにくっだらないトラブルに巻き込まれたの。今の話でピンとこないのは、どこぞの名探偵くらいよ」
「あの、その節はホントにご迷惑をお掛けしたみたいで」
「いいわよ。別に悪気が有った訳じゃなかったんだし。トラブルの原因はマルギットとオティーリエなんだし」
「ズザンネ、もう済んだことなんだから」
「エドゥアルト、アンタも原因の一つなのよ。反省しなさい」
「嫌というほど反省させられたよ。財布的に」
乙女四人にお茶とケーキを振舞わされたエドの財政は破綻寸前だ。
「ところで、オッティさんは来られないんですか?」
「オッティはお祭りの仮装カップルコンテストに出場することになってね。衣装合わせをしてるんだ」
エドの説明にアリーセが疑問符を浮かべる。
「エドさんは衣装合わせをしなくていいんですか?」
ストレートな問いにエドの顔が僅かに強張る。
その表情の微妙な変化にズザンネは、くくくと意地悪気な笑いを漏らした。
「別の日にやるってことなんでしょうか。でも二人が揃わないとバランスが」
「なんか誤解しているようだけど。僕はコンテストに出ないんだよ」
「はい?」
しばし間があった。エドの言葉の意味をじっくりと噛み締めたアリーセは。
「どういうことなんですか!」
バンッと机を叩いて、椅子を蹴った。
「オッティさんが別の方とカップルコンテストだなんて! エドさんはそれでいいんですか? いいえ、いいはずがありません!」
バンバンと両手で机を打ちながら力説する。
「こうなったら、こうなったら! もう! 決闘しかありません! エドさん、今こそ立ち上がる時です! 微力ながら私もお手伝いします!」
「アリーセ、ちょっと待って欲しいんだけど」
「やはり伝統的に剣で決着をつけるべきですよね。最近は銃というのもありだと聞きます。でも私としては愛を護るのは剣でないとダメだと思うんですよ」
妄想が暴走し始めたアリーセに、エドはズザンネにアイコンタクトで助けを求める。
しかし、当のズザンネは薄笑いを浮かべるだけ。展開を楽しんでいるのが見え見えだ。
「アリーセ、落ち着いて聞いて。オッティは男性としてコンテストに参加するんだ」
ピタリとアリーセの動きが止まった。あまりの衝撃に見開いた目をエドに向ける。
「つまりそれって……」
「そうなんだ。オッティは……」
「オッティさんは普段女装していたっていうことなんですか!」
アリーセの行き着いた結論に、ズザンネは堪えきれず吹き出した。
* * *
「なるほど、男役でマルギットさんと参加されるんですか」
エドの説明にアリーセはようやく納得した。
「解ってくれて良かったよ」
妄想に向かって何度も脱線しようとするアリーセを御するのは、エドにとって骨の折れる任務だった。
「マルギットさんとなら、素敵な組み合わせかもしれませんね」
「アリーセ、マルギットを知ってるんだ」
「はい。先日、偶然お会いしたんですよ」
「それは知らなかったな。実はこの参加、担任のハンナ先生の頼みらしくてね。マルギットも断り切れなかったみたいなんだよ」
「断らなかった理由ってのは、他にもあったのかも知れないわよ」
意味有り気にズザンネが継ぎ足す。
「確かにマルギットはクラス委員だし、友達想いなところもあるからね」
「ま、そういうことにしておくわ」
「でも、それならカップルコンテストが楽しみですね。私達も応援にいきましょう。この街の夏祭りは盛大だって聞いて、すごく楽しみにしてるんです」
「あ、そうだ。アタシさ、前からアリーセに聞きたいことがあったのよ」
うきうきと身体を揺らすアリーセに、ズザンネが疑問を向けた。
「アンタって一応さ、王家の姫様でしょ。そのアンタが王都を離れて、この街に来たのはどういうわけなの?」
途端にアリーセの表情が暗くなった。
「あ、別に答えなくてもいいのよ。気になっただけなんだし」
慌てて付け足すズザンネにアリーセは柔らかく微笑んだ。
「以前、オッティさんに言われました。友達同士隠し事は良くないって。だから、ここだけの話として聞いてください」
アリーセの言葉にエドとズザンネが首肯して同意を示す。
「今の王家は磐石ではありません。有力貴族との対立が起こっています」
「その話は聞いたことあるわ。イーヴァイン二世、アンタのお父さんね、は従来の貴族中心の政治を変革しようとしてるとか」
「情けない話ですが、今の中央は賄賂と権力がもたれあう形になっているんです。でも、時代は変わりつつあります。銃という武器が発明されたことで、これからは騎士ではなく一般市民が戦う時代になる、と父は言っています」
「そんなの有り得ないわよ。戦争なんて、貴族や騎士なんて連中のくっだらない暇つぶしなんだから。アタシ達一般市民が参加するなんてないない」
「いや、そうとも言えないよ」
ズザンネに異を唱えたのはエドだった。
「銃は誰でも簡単に扱える。剣や槍みたいに修行は要らない。そして簡単に扱えるその武器は屈強な騎士をいとも簡単に倒せる」
「エドさんの言うとおりです。これからは武芸に秀でた騎士や傭兵を雇うより、銃で武装した兵を多く集めるという形が主流になるでしょう」
「つまり、領地内の人間を掻き集めて銃を握らせるってわけか。野蛮な話ね」
「このことは近隣の国でも同じです。これからの戦いは数の勝負になっていくでしょう。もちろん、その数に見合うだけの銃を準備してというのが前提ですが」
「高価な銃を多く揃えられる軍隊が強い。これからはその国の経済力が軍事力に直結するようになっていく」
「つまり無駄なお金を浪費してたら、国の弱体化に繋がるというわけね。情勢が見えれば解らない話じゃないわ。だから、既得権益で、ぶっくぶく太っている貴族達をなんとかしたいってとこなのね」
「貴族は多くの特権を持っています。それをテコにして国や地域からお金を集めているというのが今の構造です。そして、これからもそれを続けようとしています」
「厳しい言い方かも知れないけど、大半の貴族は世の流れが見えてないってところかな」
エドの言葉にアリーセが頷く。
「父は貴族の特権を制限し、王家中心の強力な国家体制を作ろうと考えています」
「そりゃ、貴族の反発は必至ね」
「はい。少し前になりますが、王都で公務中の兄が狙撃されました。幸いにも怪我はなかったのですが、同様の事件が発生することを懸念し、未成年の王族は地方に退避させておくことになったのです」
「権力争いしてる暇があったら奉仕活動のマネでもしてりゃいいのに。どうせ貴族なんてお飾りくらいにしかなんないんだから」
ズザンネの毒舌に、アリーセは表情を緩めた。
「そういうわけで、私はこの街に来ました。最初はホームシックにもなりましたが、今では友人も出来て楽しいです。あ、私の滞在は極秘なので内緒でお願いします」
「王家の姫様が、毎日部室に忍び込んで遊んでるなんて、誰が聞いても信じてくれないわよ。しっかも、その姫様がお間抜けを絵に描いたような人間だなんて」
「そうです。まさかこんな間抜けな人間だなんて思わないでしょう。敵を欺くには味方もろとも、というヤツです」
「いや、アリーセ。そんな言葉はないから」
「へ?」
アリーセの間抜けな返事にチャイムが重なった。部活は終了。下校しなければならない。
「もう時間なんですね。ここで話していると、あっという間です」
「ふん。時間の浪費以外の何物でもないわよ」
ズザンネが鞄を手にして立ち上がる。
「ま、でもこうして親しくなれたんだから。貴族の争いも悪いばかりじゃないのかもね」
らしくない言葉に、固まるエドとアリーセ。
「な、なによ。その反応。アタシだってそんな風に思ってもいいでしょ! ったく!」
そんな二人にズザンネは頬を朱に染めて怒鳴った。
* * *
翌日、午前六時。
「私、なにやってんだろ」
マルギットが愚痴る。
彼女はまだ人の少ない少ない大通りで屈伸運動を行っていた。学校指定のトレーニングシャツに短パンという格好。銀髪も小さくまとめ、傍目には気合十分だ。
「なんで特訓なのよ。なんで走らないとダメなのよ」
アキレス腱を伸ばしながら、彼女にしては珍しく悪態を漏らす。
「明日から毎朝走るよ。勝利をこの手に掴む為に。だから、大通りの花屋さんの前で六時に待ち合わせね」
昨日の放課後、グラウンドを十周も走らされ、息も絶え絶えになったマルギットにオッティは一方的な約束を取り付けたのだ。
無視して眠っておこうかとも考えたマルギットだが、生来の生真面目な性格が災いして来てしまった。開店準備を始める花屋の前で、ぼんやり立っているのもバツが悪い。とりあえず準備運動をしながら、待っているという状況だ。
「大体さ、仮装に特訓っていうのが理解できないわ。しかもランニングってどうなの? 可愛いポーズの練習するとかなら解るけど」
「おはよう、マルギット。こんなところで珍しいね」
「なに、私がここにいたらおかしい?」
不意に名前を呼ばれた。苛立ちも手伝って不機嫌な一言を添えて振り返る。
と、その目を見開いて固まってしまった。
「ごめん。変な言い方しちゃったかな」
申し訳なさそうに告げたのはエドだった。
ランニング用のジャージ姿。流れる汗を首に巻いたスポーツタオルで拭っていた。
「ど、どうしてエドがここに?」
「毎朝ジョギングしてるんだ。文化部だから運動不足になっちゃうしね」
「そう、なんだ」
シャツと短パンという自分の格好が恥ずかしい。両腕を軽く組んで胸元を隠す。
「マルギットは?」
「え、私? 私は、その」
ジャージにすれば良かったと後悔しつつ返事を探す。カップルコンテストの特訓と正直に答えるべきだろうか。それともダイエットと答える方が自然だろうか。
「特訓だよ! 私達、カップルコンテストで優勝するんだ!」
迷うマルギットを押し退けて、快活な返事が飛び込んできた。
「おはよう、オッティ」
駆け寄って来たオッティにエドが笑顔を向ける。
「おはよ、エド。ごめん、マルギット。ちょっと遅れちゃったかな」
「もっと遅くてよかったのに」
聞こえないボリュームで呟く。
「二人ともコンテストに本気なんだね」
「私は別に……」
「そりゃ、折角のお祭りだもん。楽しまないとさ」
「そうだね。一生懸命頑張るのって、凄く素敵だと思う」
「え?」
「ふふふ。名探偵、オティーリエ=ヴァイカートの実力を見せてあげるよ」
まだまだ膨らみの小さい胸を張るオッティに、エドは「名探偵は関係ない気がするけどね」と苦笑を浮かべる。
「二人とも頑張って。応援してるから。じゃあ、また学校で」
そう言うと踵を返した。これ以上、二人の邪魔にならないようにという気遣いだ。
「じゃ、また後で」
大きく手を振るオッティの傍らで、マルギットも無言で小さく手を振る。彼女にしては精一杯の親愛表現。
「一生懸命に頑張っている私は素敵」
エドの残した言葉をマルギットが、もぐもぐと噛み締める。
「ん? どうしたのマルギット」
「な、なんでもないわよ。それより早くランニングよ」
「それなんだけどさ。昨日、寝る前に考えたんだけど、仮装コンテストに体力は要らない気がするんだよね。だから……」
「何甘いこと言ってるの、オッティ」
睨み付けるマルギットにオッティが言葉を止めた。
「最後の最後に勝負を決めるのは気合と根性。だから、己の心を鍛える為に走るのよ」
「いや、でもさ」
「ほら、口答えしない! 私達は勝つしかないの。優勝以外はビリと一緒なのよ!」
ぐっと拳を握って力説する。
「あれ? マルギットってこんな熱いキャラだっけ?」
「ほら、ぼんやりしない。行くわよ。もう時間は少ないんだから」
「あ、そういうことか」
名探偵としての分析能力がようやく結論を導き出した。
「あの服かなりウエストがキツキツだったんだ。そう言えば、マルギットの腰、少し残念なことになってきてるもんね」
「失礼ね! 全然違うわよ! このへっぽこ探偵!」
頭から湯気が出そうなほどの勢いでマルギットが吠えた。
* * *
「行ってきます」
翌日、水曜日の早朝。靴を履きながらジャージ姿のマルギットが告げる。
「さ、今日も頑張らないと」
頬を手の平で軽く叩いて気合を入れた。昨日、一昨日のランニングで身体のあちこちが筋肉痛。動くたびに鈍い痛みで不満を漏らす状態だ。しかし、そんな事にめげてはいられない。
「一生懸命に頑張っている私は素敵。一生懸命に頑張っている私は素敵」
ぶつぶつと唱えながら、外に出る。
「ね、マルギット」
姉、ヘルミーネの声に振り返った。
いつも昼過ぎまで惰眠を貪ってる姉が起き出して妹を見送る。普段はない珍事だ。
「昨日もジョギングだったよね。ダイエットでもしてんの?」
「先生に頼まれて週末のカップルコンテストに出ることになってね。その準備なの」
「カップルコンテストの準備でジョギング?」
どうにも繋がらない点に首を捻る。
「色々あるの。出るなら優勝を目指したいしね」
「あのコンテストってさ、体力審査とかあったっけ?」
「いいの。色々あるんだから」
「あ、ひょっとしてエドくんに何か言われたとか?」
いきなり飛び出した名前にマルギットが固まる。
「あ、図星? なに? マルギットは腰がちょっと残念だねとか言われた? そういう時はちゃんと言い返してあげないと。胸はもっと残念な状態だよって」
「し、失礼なこと言わないで!」
胸元を両腕で庇いつつ怒鳴った。
確かに女性として控え目な体型だ。しかしマルギットは、伸び代がまだまだ十分にあると信じている。
「あはは。頑張るのもいいけど遅くならないようにね。この頃、どうにも物騒な気配がするんだ」
「なにそれ。全然いつも通り普通よ」
「最近さ、街以外の人を見かけたりするんだ」
「もうじき夏祭りだから観光客が増えてるだけでしょ」
「いや、そういうんじゃなくてさ。なんていうか危ない目つきしてるの。私の勘だとあれはプロね」
珍しく真面目な顔で話す姉に、マルギットは大きく息をついた。
「なんのプロなの? 出店とかそんなの?」
「だから、そういうんじゃなくて」
「解ったわよ。あまり遅くならないように帰るから。それよりお姉ちゃん、早く仕事を見つけて……」
「ほら、急がないと時間がないわよ。いってらっしゃい。愛しのエドくんによろしくね」
嫌な方向に転がりかけた話題を強引に終わらせドアを閉める。
「ちょっとお姉ちゃん! そういうのじゃないんだってば!」
床を踏んで声を荒げる。しかしドアはあくまで無反応。仕方なく諦めて踵を返した。
ロスした時間を取り戻す為に小走りで向かう。待ち合わせ場所は大通りの花屋だ。
花屋の前で柔軟運動をしていた赤毛の少女が、近づいてくるマルギットに気付いて愛らしい笑みを浮かべた。
「おっはよ、マルギット」
「おはよう、オッティ」
挨拶を交わしつつマルギットは周囲に視線を走らせる。
「なに? なにか気になることでもある?」
「ううん。別になんでもないわ」
残念ながらエドの姿はない。
「ね、オッティ、エドも毎朝走ってるのよね」
屈伸を始めながら、なんとなく尋ねる。
「うん。私も毎日走ってるんだよ」
「ひょっとして、一緒に走ってるの?」
「まさか。それはないよ」
「ふうん。そう、なんだ」
マルギットは少しだけ安堵する。普段の立ち位置は圧倒的に不利。これ以上のアドバンテージは避けたい。
「ね、どうせ走るならエドも誘ったらどうかなって思うんだけど」
思い切ってマルギットは提案してみる。しかし。
「それはちょっと。走ると汗かいちゃうから」
考えてもなかった指摘。オッティの意外に女の子らしい発言についても驚く。
「大体さ、ダイエットとかは乙女の秘密だし」
「そうね。そういうのは男子に知られたくない……」
と言葉を止めた。少し発言の意味を考える。
「これはコンテストで優勝するためにやってるのよ。ダイエットとかじゃなくて」
「解ってるよ。マルギットのウエストはあくまで副次効果ってことだよね」
「だから、私の腰はそんなに残念じゃないわよ!」
* * *
中央公園まで移動。広い園内に造られたジョギングコースを、ゆったり三十分ほど走った。
公園の芝生にぐったりと座り込むマルギットに比べ、オッティにはまだまだ余裕があるようだ。息を整えながら柔軟運動をしている。
「マルギット、ちゃんと柔軟しておかないと筋肉痛になるよ」
「アンタ、どんだけタフなの」
「毎日、倍くらい走ってるから、このくらいは余裕だよ」
「運動だけはオッティに敵わないわ」
「名探偵としての推理力もでしょ」
「ごめん。今は突っ込む気力がないの」
「ん? どういう意味なんだろう?」
首を捻るオッティに、マルギットは小さく笑いをこぼした。
「それにしても暑いね。早く夏休みにならないかな」
「お祭りが終われば直ぐよ」
「今年は部活に青春を燃やすんだ。合宿とかも計画してるんだよ」
「ふうん」
「ね、マルギットも参加しない?」
「私はアンタのクラブと関係ないでしょ。それに私はアンタほど暇じゃ……」
と、そこである可能性に思い至った。
「ね、オッティ。合宿って誰が参加するの?」
「みんなだよ。強制イベントだから」
「じゃあ、ひょっとして……」
「もちろん、ハンナ先生も参加するよ。引率として」
「先生なんか、どうでもいいの!」
つい声を荒げてしまった自分に気付いて、小さく咳払い。
「その、ズザンネとアリーセだっけ? 彼女達も参加するのよね」
「アリーセは微妙だけど、ズザンネはもちろん参加だよ」
凄まじい不満を垂れ流しつつも最後には参加するだろう。
「あとエドもね」
やっぱり、とマルギットは思った。
「それって良くないんじゃない? ほら、男子と女子なんだし」
マルギットの指摘にオッティが視線を泳がせる。普段の延長線という事で特に意識していなかったようだ。
「あ、でもさ、先生も一緒だし、ズザンネもいるし」
頬を微かに上気させながら、うんうんと頷く。
「あの二人だと不安ね。いいわ。参加してあげる。私、クラス委員だし」
「え、ホント?」
オッティの確認に、マルギットは首肯した。
エドと自然に距離を詰められるチャンス。予期しない幸運に内心では小躍りしたくなる。しかし、それをぐっと堪えてポーカーフェイスを維持。
「マルギット、どうしたの? にやにやして気持ち悪いよ」
「べ、別になんでもないわよ」
眉をひそめるオッティから、ぷいっ視線を逸らす。と、視界の端に一匹の猫が入った。
もふもふとした抱き心地が良さそうな体毛の白猫。高価そうなシルバーの首輪を付けている。
「おいで、おいで」
マルギットがちっちと舌を鳴らして猫を呼ぶと、鈍重そうな外見と裏腹に身軽な足取りで駆け寄って来た。
「よしよし。可愛いわね」
優しく頭と首を撫でると、心地良さそうに目を細める。
「あれ? その猫」
覗き込んだオッティの顔を見るなり、猫が距離を開けた。身を低くし警戒している。
「オッティ、何してるのよ。怖がってるじゃない」
「別に何もしてないってば」
オッティの主張を否定するように、白猫はくるりと背中を向けて逃げ出してしまった。
「ほら、逃げちゃったじゃない。前に苛めたりしたんじゃないの」
「その言い方は酷過ぎない? 大体さ、私が動物苛めるような人間に見える?」
「それは見えないけど。でもお腹が空いてたとか」
「猫を食べたりしないよ。余程困ってない限り」
「困っても止めて。そんな時は、私が何か作ってあげるわよ」
「あ、マルギットって意外に優しいんだね」
「意外? 意外ってどういう意味?」
「えっと、さっきの猫さ、どっかで見覚えがあるんだよね」
強引に話題を変える。
「まあいいわ。あの猫なら夕方に商店街でよく見かけるわよ。飼い主は知らないけど」
「思い出した。ペテレイト侯爵の猫だよ。先月、逃げ出したって言う話でさ。懸賞金が掛かってたんだ」
「その話なら知ってる。あれがその猫だったのね」
不肖の姉、ヘルミーネが捕まえてかなりの謝礼を貰ったはずだ。そのお金は全額寄付されて教会の修理に使われた。
「私達も捕まえようとしたけど、無理だったんだ」
「そうやって追い掛け回したから嫌われたんじゃないの」
「そんなことないよ。ちゃんと愛情込めて追いかけてたから」
「どんな愛情よ。でも、また抜け出して遊んでるのね」
「まあ、猫だからね。今度、懸賞金が掛かったら、絶対に捕まえてやるんだ。名探偵の名に賭けて!」
「猫に出し抜かれる名探偵って、凄いって思うけどね」
「ん? それどういう意味?」
「さて、戻って支度しないと。シャワーも浴びたいし」
オッティの追求を無視して、マルギットが立ち上がる。途端に身体中が鈍い痛みを上げた。