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【5】

 真っ赤に充血した瞳。目の下にできたクマ。口はへの字に歪み、銀髪はくすんでもつれていた。左手で頬杖をついて、いらいらと身体を揺すっている。

 翌朝、教室に座るマルギットは徹夜で泣き続けた結果そんな有様だった。

 クラスメイト達はその只ならぬ様子に声すら掛ける事もできない。

「おっはよ!」

 右手を高々と上げて、いつも通り元気なオッティが教室に入ってきた。

 それを待ち構えていたかのようにマルギットが立ち上がる。

 昨日の出来事を思い出し、制止しようと動く者が数名いたが、マルギットのひと睨みでおずおずと自席に戻ってしまう。

 次に入ってきたズザンネが、マルギットの形相に小さく悲鳴を漏らした。しかし、それも意に介さず無言のままオッティに向かう。

「マルギット、どうしたの?」

 近づいてくる友人、その普段とは違いすぎる容貌にオッティが目を丸くした。

「話があるの。来て」

 呆けるオッティの手首を掴むと、強引に引っ張っていく。

「ちょっと、なに、どうしたの?」

「いいから。早く」

 廊下に出てもマルギットは止まらない。なんの説明もないまま進むマルギットに、オッティはとりあえず従う事にした。

 マルギットがオッティの手を離したのは校舎裏だった。

「えっと、話ってなに?」

 手首にくっきりと残った跡をさすりながら、オッティが尋ねる。

「オッティ、正直に答えて。エドは誰かと付き合ってるの? 彼女がいるの?」

「ち、違うよ。私とエドは、その、ただの幼馴染だよ。なんて言うか、そう、腐れ縁って言うか。まあ弟みたいなもんって言うか」

 いきなりの質問にオッティの頬が上気した。視線を外し、やや上ずった声で答える。

「はぁ? なに勘違いしてんの。アンタのことじゃないわよ」

「ん?」

「そもそもさ、アンタなら余裕で勝ってるからいいの」

「んん?」

 見えない話にオッティは首を捻る。しかし、腐っても自称名探偵、ある可能性に行き着いた。

「ね、マルギット。ひょっとして、私をバカにしてる?」

「冷静かつ客観的に一般論を述べてるだけよ」

「やっぱりバカにしてるでしょ。バカにしてるよね?」

「そんなことはどうでもいいの」

 オッティの不満をバッサリと切り捨てた。

「昨日、偶然見たの。エドが女の子と歩いてるのを。それもすごく楽しそうに」

「そりゃエドだって、女の子と出かける時くらいあるよ」

 と言いつつも、どうしても面白くない顔になる。

「そんなんじゃないの。すっごく楽しそうで、相手の子もすっごく可愛くて」

「有り得ないってば、エドってモテないもん。きっと何かの間違いだって。きっと友達と偶然会って話してたとか。そんなだと思うよ」

「だから! そんなんじゃないんだってば!」

 マルギットが地面を踏みつける。

「私も間違いだって思いたかったわよ! でも、友達にアクセサリーをプレゼントする? 身体を寄せ合って歩くと思う?」

「ちょっと、それどういうことよ! エドが誰かと腕を組んで歩いてたって言うの!」

 オッティが声を荒げた。

「そうよ! そんな雰囲気だったのよ!」

 マルギットも負けじとボリュームを上げる。

「オッティなら何か知ってるかもって思ったんだけど」

「そんなの、そんなの有り得ないよ。だってエドは私に何も……」

 オッティの呟きを始業のチャイムが遮る。

 力ない足取りで二人は、とりあえず教室に戻る事にした。


                    * * *


 まったく心当たりがない。というのがエドの正直な感想だった。

 教壇ではハンナが板書した内容の間違いを指摘され、頭を掻きながら笑っている。いつも通りの微笑ましい光景。しかし、エドは授業に全く身が入らない。

 原因は二人の少女にあった。不機嫌な顔でずっと睨みつけてくるオッティ。後ろの席でぶつぶつと繰り返しているマルギット。二人とも視線が合いそうになると露骨に目を逸らす。

 エドは今日何度目かになる溜息をこぼした。この授業が終われば昼休み、二人に声を掛けてみるか。ズザンネの力を借りようかと考える。

 ようやくにしてチャイムが終了を告げた。

 起立、礼が終わり、エドが振り返る。

「マルギ……」

 既に姿はなかった。慌ててもう一人のターゲット、オッティに目を向ける。しかし、誰もいない椅子があるだけだ。

「ちょ、ちょっと、なんなの?」

 ズザンネの上げた声に視線を移動。

 彼女は左右の腕をオッティとマルギットに掴まれていた。そのままひょいっと持ち上げられ、あっという間に運ばれていく。

 息の合った見事なコンビワークにエドは唖然とするだけだった。

 廊下を駆け抜け、三人が行き着いた先はやはり人気のない校舎裏。そこでようやくにしてズザンネは開放された。

「な、なんなのよ、アンタ達」

 鬼女を思わせる形相のオッティと、幽鬼のような顔になっているマルギット。流石のズザンネも声が震えてしまう。

「ズザンネ、正直に答えて。エドは誰かと付き合ってるの? 彼女がいるの?」

 二人が声を揃えて尋ねる。

「はぁ? なにそれ?」

 呆れ全開になったズザンネに、二人が今までの経緯を説明する。

「つまりエドゥアルトが女の子と商店街でキスしてたと。ホントなの、それ?」

「きっと、そういうことしてたに違いないの!」

 力説するオッティに、マルギットが頷いて同意を表す。

 そんな二人にズザンネは嘆息してしまう。ズザンネは他人の言葉を鵜呑みにしない。常に斜めから見るのだ。

 そんなズザンネは、二人の主張には多分に妄想が混じってそうだと判断する。

「まったく、こういうのって管轄外なのに」

 らしく愚痴てから。

「落ち着きなさいよ。エドゥアルトって、女の子にモテるタイプじゃないでしょ」

 二人の上がりきった熱を冷まそうと定番の台詞を口にした。

 実のところズザンネはそう思っていない。顔つきこそ平凡なエドだが、こざっぱりとして清潔感があるし、穏やかで優しい性格をしている。成績も優秀だし、運動もそれなりにこなせる。要領の悪い点を除けば、なかなかの優良物件という見立てだ。オッティさえ居なければ、と思っているクラスメイトもいるだろう。

「っていうか、マルギットがそうだったとはね」

 ややこしい事態に巻き込まれつつある自分に溜息が大きくなる。

「確かにエドは優柔不断で頼りないけど、物好きってどこにでもいるでしょ」

 ズザンネの弁を受けてオッティが反論する。

 その物好きの筆頭はアンタでしょと言い返したくなるが、ズザンネはぐっと堪えた。

「エドの断れない性格に付け込んで、しつこく言い寄ったに違いないわ。なんて女なの。最低よ。最低だわ」

 マルギットが付け加える。

 知らない相手にそういう評価を下せるアンタが最低ね。と悪態の一つも言ってやりたくなるが、ズザンネはぐぐっと我慢。

「で、相手はどんな子だったの?」

 このままでは埒が明かないと判断し、話を先に進めた。

「この学校の子、制服着てたから。綺麗なハチミツ色の髪で、でもあれは染めた色ね。不自然だったもの。肌は白かったけど、ただ不健康なだけよ。瞳の色は……」

 マルギットの悪意が滲む説明に辟易しながらも、ズザンネは聞き終えた。

 そこからマルギットの主観を差し引いて特徴を把握する。淡い赤黄色の髪に、白い肌。透き通るような碧の瞳に、桜色の愛らしい唇の女の子。マルギットがこれほど妬むのを考慮すると、かなりの美少女のようだ。

「でもねぇ」

 ズザンネが首を捻った。この学校に美少女と言われる少女は何人もいる。しかしズザンネの知る限り特徴が一致しない。それほどの美少女が噂にならないはずがないのだ。なにせ物語に登場するお姫様のような……。

 はっと思い至った。心当たりがある。あり過ぎる。反射的にオッティに目を向けるが。

「なに? 知ってる人だった?」

 ズザンネががっくりと肩を落とす。

「この子、なんでこんなに間抜けなんだろ」

「なによ、それ。失礼ね」

「ま、こういうのはね。エドゥアルト本人に直接聞くのが手っ取り早いの。放課後にアタシが聞いてあげるから」

 一応の決着と同時に昼休みが終わった。


                    * * *


 事態は悪い方に進行している。とエドの直感が告げていた。

 相変わらずの二人、オッティとマルギットに加え、午後からはズザンネも右側に首を傾げながら授業を受けている。

 何か自分に関する事のはずだが、心当たりは欠片もない。

「なんなんだよ。一体」

 情けない愚痴を漏らしてしまう。

「今日の授業はここまで、宿題は週末までに提出すること。いいね」

 数学教師のダグマルがそう告げた。ほどなく終業を告げるチャイムが鳴り響く。これで今日の授業は終了だ。

 一日、授業に身が入らなかった。がっかりと溜息をついたところで、後ろから肩を掴まれた。

 反射的に振り返り、ぎこちない笑顔を作る。

「ま、マルギット、今日は調子悪そうだね」

「誰のせいだと思ってるのよ」

「え? どういう意味?」

「エド、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 不機嫌なオッティの声が会話を遮った。

 数年に一度見るか見ないかの怖い顔に、エドの背筋を冷たい何かが駆け下りる。

「ちょっと場所を変えましょ。その方がお互い都合がいいでしょ」

 いつも以上に冷め切った目をしたズザンネの提案に、エドには頷く以外の選択肢はなかった。

 移動先はまたも校舎裏。

 三人の少女と対峙する形になったエドは、当惑しながらも切り出した。

「えっと、なんの用かな?」

「エドゥアルト、前もって忠告しといてあげるけど」

 三人を代表して答えたのは、意外にもズザンネ。

「正直に答えるのよ。そうすれば直ぐに誤解が解けるんだから」

「うん。解ったよ」

「単刀直入に聞くわ。昨日、アタシが帰った後、どこでなにをしてたの?」

「少しアリーセと話してから部室を出たよ。特にすることもなかったしね。それがどうかしたの?」

「あのね」

 ズザンネが大きく息をついた。

「さっきも言った、いたっ。いたたたっ!」

「ちょっとどいて」

 オッティがズザンネのポニーテールを引っ張って、立ち位置を強引に入れ替わる。

「エド、何か私に隠していることはない?」

「隠してることなんて、別に」

「解った。もういい」

「オッティ、あのさ」

「話しかけないで! エドなんて大っ嫌い!」

 そう怒鳴ると、踵を返し駆け出した。

「待って。待ってよ」

 マルギットが慌てて追いかける。

 残されたエドは困った顔をズザンネに向けた。途端に。

「アンタ、バッカじゃないの。っていうかバカでしょ。バカよね。このおバカ」

 バカの四段活用が飛んで来た。

「アンタ、昨日アリーセと一緒だったでしょ。マルギットが見てたのよ」

 エドの表情が強張る。その変化に図星を悟ったズザンネは、容赦なく一歩踏み込んだ。

「まあね、アリーセは確かに可愛い子だし。気立てもいいし。惚れちゃうのも解るけど」

「ちょっと待って。話が全然見えないんだけど」

「仲睦まじく肩を抱いて歩きながら、キスしてたんだって?」

「そんなのするわけないだろ」

「じゃあ、なんで嘘をつくのよ」

「嘘なんてついてないよ」

「ん?」

 そう言われてズザンネはやり取りを思い出す。

「確かにね、部室を出たとしか言ってないし、その後のことには触れないようにしてたか。なんで、そんなマネすんのよ」

「それは……」

 珍しく言葉を揺らすエドにズザンネは悟った。

「口止めされてるのね。アタシとオティーリエには内緒って」

 エドは肯定も否定もしない。その反応をズザンネは肯定と受け取った。

「ったく、下らないとこで律儀なんだから。エドゥアルトらしいって言えばらしいけど」

「ごめん。なんか変なことになってるみたいだね」

「アンタが話をややこしくしたの。こういうのにアタシを巻き込まないで欲しいわ」

 心底やれやれと言いたげだ。

「ところでアンタさ、アリーセのことどう思ってるの?」

「いい子だと思うよ。世間知らずなとこもあるけど、純粋で綺麗な心を持ってるし」

「ふうん。じゃあ、オティーリエのことはどう?」

「ん? どうって?」

「いいわ。もう解ったから。っていうか、解ってんだけどね」

 微妙な差に気付かないズザンネではない。

「あ、そうだ。ついでにアタシのことはどう思ってる?」

「それって、とりあえず褒めておいた方が無難だよね。となると、難しいな」

「難題ふっかけて悪かったわね!」

 真剣な顔で首を捻るエドの脛を、ズザンネが豪快に蹴り飛ばした。


                    * * *


「待ってよ、オッティ。待ってってば」

 マルギットとオッティ、二人の差はみるみる開いていった。追いつけたのは教室。先に入ったオッティが帰り支度をしている間に、なんとか追いつけたのだ。

「待ってって言ってるのに」

 全力疾走で跳ねた息を整えながら近づく。

「マルギット、私ね」

 オッティが鞄を提げて顔を向けた。呼吸は殆ど乱れていない。

 その身体能力の高さに驚きつつも、マルギットは続きを待つ。

「エドに彼女が出来たって別にいいんだ。ただ、黙ってたり嘘をついたりするのが気に食わないの。だって、今までずっと一緒にいたのに。ずっとずっと一緒だったのに」

 涙で一杯になった目を見れば、強がりなのは明らか。それでも。

「はぁ、なんか走ったらお腹空いちゃったな。マルギット、ケーキでも食べて帰ろっか」

 そう言って精一杯の笑みを作る。

「そうね。私、いい店知ってるから教えてあげる」

「へえ、マルギットって一人でケーキ食べに行ったりするんだ」

「ごくたまにね。って、なんで一人って決め付けるのよ。じゃあ、ちょっと待っててね」

 手際良く帰り支度を済ませると、極力明るい話を弾ませながら外に向かう。

 校門から外に出たところで、「こんにちは、オッティさん」と呼び止められた。

「あ、アリーセ」

「今日もクラブには参加されないんですか?」

「うん、ちょっとね。ズザンネによろしく言っておいて」

「解りました。あの、そちらはご学友の方ですか?」

「うん。クラスメイトのマルギット。昔からの友達なんだ。ん? どうしたのマルギット、変な顔しちゃって」

 目を限界まで見開いて固まっているマルギットを覗き込む。

「アンタ」

 小刻みに震える指をアリーセに向ける。

「申し訳ありません。自己紹介が遅れました。私、オッティさんの友人でアリーセ=フェルステと言います。よろしくお願いしますね」

 左足を半歩下げると、胸元に手をあてて小さく一礼した。

「マルギット、マルギットってば」

 頬をぺちぺちと叩かれ、マルギットがハッと我に返った。

「ぼんやりしちゃってどうしたの?」

 尋ねるオッティの肩にいきなり手を回すと、引きずるようにしてアリーセと距離を開ける。

「ちょっと、どうしたのよ。マルギット」

「どういうこと? あの子と知り合いなの?」

「そうだけど。それが……」

「あの子なの。あの子なのよ」

「あの子ってなにが?」

「昨日、エドと一緒にいた子なの」

「えぇ!」

「あの、どうかされました?」

 背中を向けてひそひそと意見交換している二人に、アリーセは疑問符を浮かべつつも声を掛ける。

「あのさ、アリーセ。ちょっと聞きたいんだけど」

 オッティが向き直る。やや強張った顔つきになっていた。

「はい。なんでしょう」

「昨日、エドと出かけた?」

 その問いにアリーセが悲しそうな表情になる。

「どうしてそのことを。エドさんから聞いたんですか?」

「そうじゃないんだけど。やだな、そんな顔しないでよ」

「私が見たの。アンタ、エドと一緒に商店街にいたわよね」

 オッティに代わってマルギットが質問を重ねる。

「あぁ、良かった。私、エドさんが話してしまったのかと」

 ほっと息をついて明るい顔に戻った。

「ちょっと、質問に答えなさいよ」

「あの、それは内緒です」

「はぁ?」

「来週の夏祭りまで内緒です。だから答えられません」

 マルギットがオッティの首を抱え込んで再び反転。

「あの子なんなの? 頭の中が乏しい子なの?」

「ちょっと変わってるけどいい子だよ。でも、エドと出かけてたのはホントみたいだね」

「あの、どうかされました?」

「昨日、アリーセとエドは一緒に出かけていた。でも、それは内緒で話すことができない。そういうことね」

 振り返って確認するオッティにアリーセが首肯する。

「つまり、これは……」

 腕を組んで真剣な顔になるオッティ。その思慮深い横顔は意外にも探偵然としていた。

 アリーセもマルギットも普段見ることのないオッティの様子に、言葉を止めて続きを待つ。

 数十秒、思考を十分に巡らせた後でオッティが口を開いた。

「つまり、これはどういうことなんだろう? 良く解んないな」

「なによ、それ! 変に期待だけさせといて! へっぽこ探偵!」

「名探偵と言ってもタマゴなんだからしょうがないでしょ」

「オッティは黙ってて。私が話すから」

 オッティの反論を切り捨てて、アリーセと向き合う。

「アリーセと言ったわね。ハッキリ聞かせて。エドのことをどう思ってるの?」

「エドさんですか。そうですね。シンプルに言えば大切な……」

「大切な?」

「大切な友人の一人です」

 予想と違った答えにマルギットが言葉を失う。その隙にオッティが割り込んできた。

「ねね、アリーセ。アリーセは好きな人いるの?」

「え?」

 オッティの問いにアリーセの頬が赤く染まる。

「やっぱりアンタ……」

 声を荒げようとしたマルギットの口をオッティが乱暴に塞ぐ。

「どんな人なの。誰にも言わないから教えてよ」

「私が淡い恋心を抱いているのは王家に仕える騎士様なんです」

「そうなんだ。良かった」

 オッティがほっと安堵の息をついた。

 力の抜けたオッティの手を、マルギットがようやくにして振りほどく。

「ちょっと、何納得してんのよ。こんなの嘘に決まってるでしょ」

「いいんだよ。色々と理由があってさ。騎士とかそういうのに縁がある子なの」

「なによ。それ」

「アリーセ、昨日さ、仮にエドと商店街に出かけてたとしてよ」

「はい。仮にの話ですね」

「二人で、その、抱き合ったりしてた?」

「そんなのするはずないですよ。そういうのは将来を誓い合った恋人達がすることなんです。夕日に照らされる街路樹の下で、結ばれない愛を誓い合う。あぁ、とても素敵」

 うっとり中空を見つめるアリーセ。

 そんな彼女にマルギットは露骨に眉をひそめる。

「この子なんなの? 色々と残念な子なの?」

「ちょっと変わってるけど、いい子なんだよ」

「ま、どうでもいいわ。エドとはただの友達みたいだし」

「誤解だったみたいだね。それにしても、どこで話がややこしくなったんだろ」

「でもほら、無事に一件落着だし。あんまり深く考えなくてもいいんじゃない」

 マルギットが慌てて収束を図る。自身の誤解と妄想が招いた状況であったのは、ちゃんと理解していた。

「そうだね。無事解決したんだから。あっ」

 不意にオッティが表情を曇らせた。

「まだ解決してなかったよ。ごめん。私、行かなきゃ」

「行くってどこへ?」

「どうしたんですか?」

 二人の質問よりも早く、オッティは駆け出していた。一目散のスピードは、陸上部の生徒にだって負けない速度だ。

「すっごく急いでますね」

「そんなに急ぐ用事なんて……あ、まさか!」

 ある可能性に思い至ったマルギットも、すぐさま後を追って走り出す。

「オッティ! アンタはなんでいつも抜け駆けするのよ!」

 届くはずないと解っていつつも、叫ばずにはいられなかった。


                    * * *


「しばらく部室には顔を出さない方がいいよね」

 教室。帰り支度を終えたエドがズザンネに切り出した。

「エドゥアルト、こういうのって時間が解決してくれる問題じゃないの。ちゃんと本当のことを話すべきだと思うんだけど」

「それはできないよ」

「約束って言っても、そんなに重要なことじゃないでしょ」

 ズザンネの言葉に、エドはそれでも首を振った。

「僕はもう約束を破りたくないんだ。どんな些細なことでも」

 真っ直ぐに言われると、ズザンネも引き下がらざるを得ない。反論を溜息に置き換えると不機嫌な顔で腕を組む。

「じゃあ、どうすんの?」

「なんとかしてみるよ」

「なんとかって? 具体的に言ってみなさいよ」

 普段のズザンネなら「あっそ。じゃあ、好きにすれば」と突き放していただろう。そもそも人と距離を置くのが彼女のスタイルなのだ。しかし。

「アタシはね、こんな下らないことで終わりにしたくないの」

 口に出して、らしくない発言に気付いた。途端に恥ずかしくなってしまう。

「ご、誤解しないでよ。アンタ達が喧嘩しようがどうでもいいの。乗りかかった船を途中で降りると後味が悪いって意味よ」

 赤くなった顔をぷいっと逸らした。

「ありがとう。正直、僕一人じゃ荷が重いかな。力を貸して欲しいんだけど」

「ったく、しょうがないわね。報酬はちゃんと貰うわよ」

「解ったよ。ケーキとお茶だね」

「最低でも三回はおごってもらわないと割りに合わないわ」

「解ってるよ。やれやれ、随分と高くついちゃったな」

「あら、アタシ的には特別に安くしてあげたつもりよ。ま、とにかくどうするかよね」

 本題に入りかけた矢先、ドアが力いっぱい開け放たれた。

 ドアと壁がぶつかる音に、二人はびっくりして視線を向ける。

 立っていたのは赤毛の少女、オッティだった。校門からの全力疾走で頬は上気し、肩で息をしている。

 数回の深呼吸で乱れた息を整え、唖然とするエド達に大股で近づく。と、深く頭を下げた。

「ごめん。エド。全部、私の誤解だったの」

 思いもよらない展開に顔を見合わせるエドとズザンネ。

「大嫌いとか言っちゃってごめん」

「頭を上げてよ、オッティ」

 エドの優しい声に顔を上げた。普段の彼女からは想像できないくらい不安そうな目をしている。

「エド、許してくれる?」

「もちろん。というよりも、僕の方こそ謝らないとダメだよね。ごめん、反省してる」

「ううん。その、なんて言うか、いつもエドには迷惑ばかり掛けて」

「迷惑だなんて思ったことないよ。だって、オッティはいつも僕に希望をくれるから」

「エド」

 言葉を止めて見つめあう。

 差し込む秋の夕日が二人の距離を柔らかく包み込んでいく。

 オッティの足が半歩だけ進む。それにつられるように、エドの手が動く。ほっそりとした肩に触れようとした瞬間だった。

「なに、このバッカバカしい展開。くっだらないわ」

 呆れを多分に含んだズザンネの声に、オッティとエドは互いに飛び退いて距離を作る。

「ズザンネ、いたの? びっくりするじゃない」

 夕日以上に赤くなった頬を叩きながらオッティが告げた。一方のエドはぎこちなく咳払いをして、窓の外を無意味に見つめている。

「最初からずっといたんだけどね。ったく、こんな下らないことに巻き込むのは金輪際勘弁して欲しいわ」

「な、なによ。その言い方」

「いつもいつも派手な空回りして、迷惑だって言ってるの」

「私がいつ空回りしたってのよ!」

「まあまあ、二人とも落ち着いて」

「今回はエドゥアルト、アンタにも問題があるのよ。解ってるの?」

「ごめん。それは悪かったと思ってるよ。でも」

「そうよ。全部エドが悪いんじゃない。ちゃんと反省してるの?」

「十分に反省してるよ。あれ? なんか変な方向になってる気がするんだけど?」

「男が細かいこと気にしないの。とりあえず、お詫びの気持ちは形で表してよね」

「え?」

「具体的に言えばケーキとか」

「エドゥアルト、ケーキとお茶はちゃんと奢ってもらうわよ」

「やれやれ、酷い出費になりそうだよ」

 がっくりと肩を落とした。そこに。

「オッティ、アンタね。いい加減にしなさいよ」

 弱々しい一言が飛び込んできた。マルギットだ。オッティほど体力に恵まれない彼女は、顔から完全に血の気が引いて、足元も覚束ない状態。今にも倒れそうだ。

「勝手に仲直りしちゃって、これじゃ私がバカみたいじゃない」

 詰め寄ろうとしたマルギットだが、ふらつく足がもつれてバランスを崩してしまう。

 咄嗟にエドが駆け寄って抱き止めた。

 普段とは違う距離にマルギットの首元までが瞬時に朱色に染まる。

「大丈夫? マルギット」

「だだだ大丈夫よ!」

 慌てて身体を離した。

「あ、あの、ありがと。でも、大丈夫だから」

 信じられないくらい鳴り響いている胸元を押さえながら告げる。

 眠れずに泣き続けた昨夜。イライラと過ごした今日。最低最悪の時間が、一気に報われた気がした。

「じゃあ、折角だし。みんなでケーキ食べにいこっか。アリーセも一緒に。もちろんエドのおごりで」

「ちょっと、待ってよ。オッティ」

「じゃあ、多数決で!」

 オッティの提案は、圧倒多数で可決された。






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