【3】
アリーセが放課後の部室に顔を見せるようになって早二週間。
退屈な授業が終わり、ズザンネは大きく身体を伸ばした。衣替えも済み、シャツだけになった今、身体も気分も軽くなる。
「ズザンネ、ちょっといいかな?」
エドの声に顔を向けた。彼の方から声を掛けてくるのは珍しい。
温厚な人柄で、話好きなエドはクラス内でも友人の多いタイプ。クラブ以外では同性と遊んでいる方が多い。
「前に頼んでおいた話なんだけど」
「あぁ、アレね」
「なになに? 面白い話?」
オッティが割り込んできた。いつものようにご機嫌で好奇心旺盛。まるで陽だまりで昼寝を終えた猫みたいな顔をしている。
「エドゥアルトに頼まれてたのよ。美味しいベーコンサンドの店を調べてくれって」
「なぁんだつまんないの。怪盗団でも出たのかと思ったのに」
「はぁ? なに言ってんの? んなもんが出るのは、自称名探偵娘の脳内だけよ」
「なによ! その言い方!」
「まあ、そんなわけだから、先に部室に行ってて。アリーセを一人にしておくのも可愛そうでしょ」
いつものじゃれ合いをバッサリ切られて、少し不満気なオッティだったが、「じゃあ、先に行ってるよ」と矛を収めた。
オッティが教室を出たのを確認してから、ズザンネとエドは場所を移動した。校舎裏の人目の少ないところに、である。
「本題の前に、素朴な疑問を一ついい?」
「なにかな?」
「どうして、今日なのかなって?」
「僕もアリーセのことは気にしてたんだ。で、ズザンネが納得できる情報を仕入れらみたいだから、早く教えて欲しいと思ってね」
「そこよ、そこ。どうして情報を仕入れたが解ったのかってとこ」
些細な物でも疑問に対しては、納得できる答えを求める。それがズザンネという少女なのだ。
「今日のズザンネが、授業中普通に座ってたからだよ」
「なにそれ? 意味が解んないんだけど?」
「ズザンネってさ、考えことをしている時、首を右に傾げる癖があるんだよ」
「アタシ、そんな癖ある?」
「ほんの少しだけどね。その時間で考えていることの大きさが解るんだ。ここ数日は、授業中に何度も首を傾げてたけど。今日は問題を解いてる時くらいだったらから、ずっと抱えていた懸案事項が解決したんだろうなって」
「相変わらずね、エドゥアルト。っていうか、授業中にアタシをずっと見てたの? 気持ち悪いわね」
「そんなことしてないよ」
眉をひそめて不快な様子を見せるズザンネに、エドが慌てて否定する。
「時々、見てれば十分に解るから」
「とか言いながら、ホントはアタシに気があるとか?」
「そんなのないよ」
「ホントにホント? 絶対にないと言い切れる?」
「絶対にない。言い切れる。神に誓ってもいいよ」
「ふうん、なら安心したわ」
柔らかい笑みを見せるズザンネに、ついつられてエドの頬が緩む。と、その一瞬の隙をついて、ズザンネの足がエドの脛を思い切り蹴り飛ばした。
強烈な一撃に思わず蹲るエドに、
「それはそれですっごく失礼よ!」
吐き捨てると、ぷいっとそっぽを向いた。
「ごめん、悪かったよ。そういう意味じゃないんだけど」
「解ってるわ。不幸にも長い付き合いだからね。立てる? 強くやり過ぎちゃった?」
「大丈夫。このくらいは全然平気だから」
差し出されたズザンネの手を取って、立ち上がった。
「じゃあ、余興はこれくらいにして、アリーセについてなんだけど」
眼鏡を左手で微かに上げると、声に厚みが増した。真剣な方向にシフトしたのだ。
「エドゥアルト、アンタのくれたヒント。アリーセが貴族であること。それに彼女が口にした白きって言葉から始まる称号を調べてみたの」
エドが頷いて続きを促す。
「貴族で白から始まる称号を持つ十代の女子は三十人以上」
「そんなに多いんだ」
「アタシもびっくりしたわよ。一人が五つも六つも称号もってやがんの。バッカじゃないのって感じよ」
「貴族様の文化は独特だからね」
「もうね、そっからが長かったわ。一人ずつ図書館で、顔写真とか肖像画を調べて。この二週間、貴重な日曜を返してくれって言いたいところよ」
「悪かったね。今度、お茶でもおごるよ」
「ケーキもね。少なくとも三回はおごってもらわないと割りに合わないわ」
「覚悟しておくよ。にしても随分と高くついちゃったな」
「でも、その出費が消し飛ぶくらい信じられない事実を掴んだわ。アリーセ=フェルステ、彼女の本当の名前は、ロベルティーネ=カルゼン=フレンツェン」
「カルゼン? 今、カルゼンって言ったよね。ミドルネームがカルゼンってことは」
カルディア王国でミドルネームを名乗れるのは貴族に限られる。ミドルネームは血統を表し、家系よりも遥かに重視される。
中でも、カルゼンという血統は特別な意味を持つ。
「そう、カルディア王家の直系。フレンツェン家の三女なのよ」
「ちょっと待って。ズザンネ、君の情報を疑うわけじゃないけど」
「ふふん、そう言ってくれないと困るわ。アンタはオティーリエじゃないんだから」
少しだが冷静さを取り戻したエドに、ズザンネは好意的な感想を述べた。
「これを見て。図書館から借りてきたの」
そう言ってズザンネが鞄から取り出したのは、古い雑誌だった。
「二年前、フレンツェン家の次男テオバルトが結婚した時の記事なんだけど」
結婚式の様子を撮った写真を指差す。親族に祝福される青年の近くに、髪を結い上げたアリーセらしき少女が写っていた。ピントがややボケているのもあり、はっきりとは言い切れないレベルだが。
「間違いない。アリーセだよ」
「断言できる?」
「うん。彼女は人に対して微笑む時、少し右を向いて視線を流すんだ。そういう風に笑うように練習してきたんだと思う。その角度が、彼女を一番魅力的に見せるから」
「アンタがそう言ってくれると安心したわ。自分自身、信じられない話だったし」
安堵の息を一つ置いて、次のポイントに進む。
「で、どうする?」
「もちろん、オッティには話さないといけない。いけないとは思うんだけど」
「オティーリエは嘘が大嫌いだもんね。アリーセが偽名を使ってたなんて知ったら、すっごいショックを受けるわよね」
「アリーセ本人の口から言ってもらえればいいんだけど。それも難しいかな。王家の人間だとバレたら、今まで通りにはいかないって考えてるだろうし」
「それもこれもスタートは、あの貼り紙よ。突き詰めたら、全部オティーリエが招いたトラブルじゃない! やってらんないわ!」
不機嫌に地面を踏んだ。が、すぐに足を止めて肩を竦めた。
「なんて、喚いてても始まんないわね。どうしたもんかな」
そう言いながら首を微かに傾ける。もちろん右側に、である。
「ほら、ズザンネ。無意識に首を傾げてるだろ」
「ん? あ、ホントだ。全然意識してなかったわ。アリーセのこともそうだけど、人のつまんない仕草をよっく見てるわね。バッカじゃないの」
「これが僕の癖みたいなもんかな」
「ところでさ、オティーリエが考え込む時の癖ってあるの?」
「あるよ。こうやって腕を組んでさ、うぅぅんって重い溜息をつくんだ」
「バカでも解るわね、その仕草。オティーリエらしいって言えば、らしいけどさ」
* * *
「うぅぅん」
部室の椅子で、オッティが腕を組んで大きく息を吐いた。
「オッティさん、どうしたんですか?」
初めて見るオッティの真面目な表情にアリーセが尋ねる。
「エドとズザンネ、なんだけどね」
「今日はまだ来られてないですね。どうぞ、お茶です」
魔法瓶からマグカップに紅茶を注いでオッティの前に置いた。
「ありがと。あの二人、なんか隠しごとしてるみたいなんだよね」
「まさか! それって! ひょっとして!」
オッティの言葉に、アリーセがぐぐっと顔を近づけてきた。
「二人が、その、お付き合いしているとか、そういうことですか?」
「お付き合いって」
今までにない食い付きを見せるアリーセに苦笑しつつ、オッティはふと想像した。
洒落たオープンカフェでベーコンサンドを食べながら、微笑みを交し合うエドとズザンネ。どうにも嘘っぽいシーンにしかならない。
「はは、それはないかな。あの二人に限って」
「そう、ですか」
がっくりと肩を落とし、アリーセは椅子に腰を戻した。
「私、恋愛とか経験がなくて、憧れているんです。なんか青春って感じがしますよね」
「まあね、青春ぽいと言えばそうだけど」
「あの、オッティさんは好きな人いるんですか?」
「え? わ、私?」
いきなりの質問に声が裏返った。
「例えばエドさんとか」
畳み掛けるような攻撃に、オッティの頬が一気に朱に染まる。
「そ、そんなのあるわけないでしょ。エドと私はただの幼馴染。腐れ縁で迷惑してるくらいだから」
「エドさんって穏やかで素敵な人ですよね?」
「そんなことないよ。頼りないだけだって」
「でも、オッティさんとエドさんは……」
「そんなことより! 今はエドとズザンネが何を隠してるのかってのが問題なの!」
なおも続く質問の矛先を強引に変えた。
やや不満そうな様子を見せたアリーセだが、素直に話題を修正。
「確かに、少し気になりますね」
「私、嫌なんだよね。友達なのに隠しごとされるのってさ」
オッティの何気ない一言に、アリーセが強張る。
「そういうの、すっごくショックなんだ。どうしたの? 急に黙り込んじゃって」
「あ、あの、その、もし、もしですよ」
どうしても視線が逃げてしまう。
「もし、私が嘘をついていたり、隠しごとをしていたりしたらどうします?」
「あはは。嫌だな。アリーセが、そんなことするわけないじゃん」
「だから、もしもの話としてです」
「待つよ」
思わず語尾を強めるアリーセに、オッティはあっさりとした単語を返す。
「待つ? 待つってどういうことです?」
「話してくれるまで待つ」
オッティは改めて言い切った。
「いつか話してくれると思うんだ。だって友達だからね」
「友達だから、ですか」
「あんまり長くは待てないけどね。私ってせっかちだからさ」
そう言うと大きく溜息をついた。
「エドとズザンネもさ、いつか話してくれるのは解ってるんだ。ただね、いつも三人でやってきたのにってさ。なんか気に食わないんだよね。ん? アリーセ?」
不意に立ち上がったアリーセにオッティは疑問符を浮かべる。
「オッティさん、聞いて欲しいことがあるんです」
「なに? 改まって」
「私、実はアリーセじゃないんです」
「ほぇ?」
オッティらしい実に間抜けたリアクションだ。
「実は、私……」
「あ! 解った! 双子のトリックってやつだね!」
「はい?」
今度はアリーセが間抜けた返事をする。
「全然気付かなかった。びっくりだよ。っていうか凄いね。稀代の名探偵になる私をここまで騙せるなんて」
「いや、そうじゃなくて」
「確かにアリーセに比べると、ちょっと幼い雰囲気があるね。妹さんかな?」
「あの、違うんです」
「アリーセはどうしたの? まさか風邪とか? それなら見舞いに……」
「お願いです! 私の話を聞いてください!」
珍しく声を荒げたアリーセに、オッティは続きを飲み込んだ。
「アリーセ=フェルステというのは偽名なんです。本当の名前は、ロベルティーネ=カルゼン=フレンツェン」
「ミドルネームがあるってことは貴族?」
「はい。広義では貴族ですが、カルゼンはカルディア王家の直系を意味します」
「え? ってことは、お姫様ってこと?」
オッティが目を丸くする。
「あの、騙すつもりはなかったんです。ただ、ハイスクールに行けば友達ができるって聞いて。行ってみたくて、その、ごめんなさい」
深々と頭を下げるアリーセに、オッティは大きく溜息をついた。
「言いたいことは解ったけど。でも困ったな」
オッティの一言にアリーセの心は重くなる。王家の人間である自分は、常に周囲から距離を開けられる存在。敬意や憧憬と言えば聞こえはいいが、ハッキリと引かれた線は決して消える事はない。数分前まで、あれほど親しげに話していたオッティも変わってしまう。友人同士ではなく、王族と庶民という関係になるのだ。
「いきなりロベルティーネとか言われても、私の中じゃアリーセはアリーセなんだよね。今更呼び方を変えてくれって言われもなぁ」
「へ?」
「今まで通りアリーセか。改めてロベルティーネって呼ぶべきか。難しい問題だよ」
「あの、オッティさん」
予想とかけ離れた反応に、アリーセは恐る恐る声を掛けた。
「私、王家の人間なんです」
「うん。さっき聞いたよ。それがどうしたの?」
そう問われると、逆にどう答えるべきなのか困る。
当惑するアリーセにオッティは、普段と変わらない笑みを見せた。
「アリーセは友達が欲しくてここに来た。で、私達と友達になった。それだけじゃん」
「それだけ、ですか?」
「普通に出会っていたなら、お姫様と酒屋の娘だしね。口を利くのも恐れ多いってなるけどさ。もう友達になっちゃったんだもん。私の中じゃ、姫様じゃなくて、アリーセなんだよね。あ、でも、呼び方変えて欲しいんだっけ」
「いえ、その、できれば今まで通りアリーセで。ここでは、アリーセ=フェルステでいさせてください。お願いします」
「だよね。やっぱりアリーセの方がしっくりくるもんね」
「オッティさん……」
「でも、エドやズザンネにもちゃんと伝えないとだよ。友達同士でさ、隠しごとはやっぱり良くないしね」
「はい。そうですね」
ウィンクを添えて告げるオッティに、アリーセは力強く頷いた。
* * *
「アリーセを説得してみるよ。やっぱり友人同士に隠しごとは良くないから」
「それが妥当な決着ね。アタシとしては親しい関係でも話せないことはあるし、それが悪いと思わないけどさ。カードでも手札を隠して遊ぶもんでしょ」
部室棟の階段を上がりながらの会話。ズザンネらしい意見に、エドは苦笑してしまう。
「嘘も方便って言葉もあるんだし。成り行きに任せるのもアリなんじゃない」
「そうかもしれないね」
そんな会話をしているうちに、ミステリィ研究会の部屋が近づいてきた。
「とにかく、アリーセの件については」
「アンタに任せるわ。っていうか、アタシ、面倒は嫌いなの」
「うん。なんとか上手くまとめてみるよ」
ドアを開けた。
オッティとアリーセが会話を止めて、二人の方に視線を向ける。
「遅いわよ。二人とも」
「あ、ごめん。ちょっと用事があってね」
「アタシ達はね、どこぞの名探偵様と違って忙しいのよ」
「なによ。その言い方」
他愛ないキャッチボールをしながら、自分達の席に着いた。
「じゃあ、全員揃ったところで、今日は大事な話があるの」
オッティがそう宣言すると同時に、アリーセが立ち上がった。いきなりの展開に驚くエドとズザンネに深々と頭を下げる。
「あの、お二人に謝らないといけないことがあるんです。実は、実は私……」
自分の正体について告白するアリーセ。その内容はズザンネの調査結果をなぞった物だった。
「どう、驚いたでしょ?」
話を終え、ほっとした様子のアリーセを差し置いて、何故か偉そうにオッティが薄っぺらい胸を張った。
「でも、アリーセはアリーセ。今までもこれからも変わらないから。解ってるわよね?」
やや厳しい表情で付け加える。
「うん。もちろんだよ」
「あったり前でしょ。アタシは王族に敬意の欠片もないから」
「ん、二人とも反応が薄い。ひょっとして嘘だとか思ってない?」
さらりと答える二人に、オッティが訝しげな顔になる。
「思ってないよ」
慌てて否定するエド、一方のズザンネは大袈裟に溜息をつく。
「アタシ達はとっくに気付いてたわよ」
「え? 嘘でしょ?」
「ほ、ホントですか?」
オッティとアリーセのリアクションが重なる。
「あったり前でしょ。エド、説明してあげたら」
いきなりバトンを押し付けてきた。
「どういうことなの、エド」
「どういうことなんですか、エドさん」
「その、なんでいうのかな」
追求の矛先から逃れようと、ズザンネに視線を向ける。しかし、ズザンネは無情にも目を合わせようともしない。その冷たい横顔に、「面倒は嫌い」と書いてある気がする。
「アリーセの言動の端々にヒントがあったからね」
今までの経緯を簡単に説明するエド。
「か、完璧な変装だと思っていたんですけど」
アリーセはがっくりと肩を落とし、深く重い吐息をこぼした。
「わ、私だって、そのくらいのことは解っていたわよ。ただ、その、そうよ。アシスタント達の成長を見守るために、敢えて黙っていただけなんだから」
オッティはと言えば、そもそも誰に対してか、何の得があるのか、まったく理解し難い言い訳をする。
「生徒でない人間が部活に参加するのは問題あるはずだけど、既存のルールを打ち破るのが探偵ってものらしいからね」
最後に付け加えられたエドのジョークに、アリーセがくすりと笑いを漏らした。
「ともかく、これにて一件落着だね。どんな難事件も、このオティーリエ=ヴァイカートに掛かれば……」
決め台詞の途中で、オッティが首を捻った。
「あれ? 今、アリーセが生徒じゃないって言わなかった?」
「うん。アリーセは生徒じゃないんだよ」
「そうなんです。夕方までは学問や礼法を家で学んで、それが終わるとこっそり抜け出して、馬車でここに来ているんです」
「それじゃあ、アリーセはウチの部員になれないじゃん」
「別にどうだっていいでしょ、そんなの」
今までだんまりを決め込んでいたズザンネが割り込んできた。
「良くないよ。部員が四人になるところだったんだよ」
「三人でも四人でも、大して変わんないわよ」
「大違いだよ。テーブルの足も椅子の足も四本。つまり地に足が着いた状態なんだよ」
「はぁ? なに? その理屈? 意味わっかんないわ! カメラや望遠鏡は三脚で、きっちり接地してるでしょっが!」
「ぼ、望遠鏡とかカメラに興味ないもん」
「興味のあるなしじゃないでしょ! バッカじゃないの!」
急速にトーンダウンしたオッティに、容赦なく噛み付くズザンネ。
そんな二人の、ある種息の合った遣り取りにアリーセが声を出して笑う。
いつも通りの空気、心配が取り越し苦労で終わった事に、エドも頬を緩めて胸を撫で下ろした。と、そこに。
「ちょっと、エド、何がおかしいのよ。アンタにも責任があるんだからね!」
これもいつも通り理不尽な指摘が飛んで来た。