プロローグ
【八年前】
王立図書館の窓際。差し込んでくる柔らかい夕日の中。
分厚い表紙の本を閉じると、エドゥアルト=フィッツァウは大きく息をついた。しかし身体の中で渦巻いていた熱気は少しも収まらない。青い瞳は爛々と輝き、子供らしい健康的な頬は紅潮したまま。
表紙にもう一度目を落とした。それだけの事で胸の奥が熱くなる。
この本は冒険に富んでいた。財宝を巡る謎。悪の秘密結社。頑固な警部。可憐な令嬢。
そして。
「すっごく面白い本だったね」
隣に座っていた女の子が微笑む。彼女、オティーリエ=ヴァイカートも興奮を隠せない様子だ。
「ねえ、オッティ」
「なに、エド?」
幼くも決意に満ちた目に首を傾げた。長く伸びた赤みのある髪が微かに揺れる。
「僕は探偵になる」
美しい令嬢を護り、悪の秘密結社に単身立ち向かい、財宝の謎を次々と解き進んでいく。勇気と知恵を武器にどんな苦境も乗り越える名探偵がそこにいた。
「絶対になるんだ」
「じゃあ、私は助手になる。助手になってエドを助けるの」
「うん、二人で世界一の名探偵になろう!」
「私達なら絶対になれるよね」
「もちろんだよ!」
子供らしい力強さで頷く。
「こらこら、図書館では静かにしないとダメよ」
落ち着いた茶色の服に身を包んだ若い女性の司書が、盛り上がり始めた二人をやんわりと嗜める。
「はぁい」
素直に声を合わせる二人の頭に、そっと手を置いた。
「さあ、今日はもう帰りなさい。遅くなるとパパとママが心配するわよ。本は片付けておいてあげるから」
「はぁい。ありがとうございます。司書のおばさん」
「お、おば」
絶句する司書を残して席を立つと、揃って頭を下げる。
「あ、馬車に気を付けて帰るのよ」
司書の注意を背中に受けつつ、二人は図書館を出た。
朱色の光で彩られた石畳の道路は、いつもよりキラキラと輝いて見えた。この先はきっと夢に繋がっているだろう。そう信じられるほどに。
「じゃあ、帰ろう」
「あ、待って。エド」
いきなり駆け出したエドを、オッティが慌てて追う。しかし、体力の差があった。少しずつ距離が開き始める。
「待って。待ってよ。エド」
離れていく背中にオッティが懸命に訴えた。
大好きな友達が、このままどんどん遠くに行ってしまうんじゃないか。そんな不安が心に生まれ、声に涙を滲ませる。
立ち止まったエドに、ようやくオッティが追いついた。
「酷いよ、エド。私を置いていっちゃうなんて」
「ごめん、オッティ」
桜色の頬をぷっと膨らませるオッティに、エドは素直に謝った。
「じゃあ、離れないように手を繋いで帰ろ」
途端に笑顔になったオッティが手を差し出す。
「うん」
トテトテと小さな足音が二つ。石畳の上を跳ねて行く。