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妄想学園

2.妄想学園三年八組

作者: もり


「だあああっ!! もうっ!! 物理ってなんだよ!? 物の(ことわり)ってなんだ!? 宇宙の真理ってなんだ!? 神はいるのか!? くそっ!! ニュートンめ!! リンゴ落ちたら洗って食っとけ!!」


「お? 今日は佐々木がキレたな」


「まだ二時間目だぞ? 早くね?」


 来月にセンター試験を控えた年末のこの時期、クラス全員が進学を目指す三年八組ではほぼ毎時間自習となり、各自で苦手科目などの勉強を黙々と進めているのだが、毎日誰かがキレて叫び出すのである。

 そしてそれを冷静に突っ込むのは指定校推薦などですでに進路の決まった者達――松木と水戸、他数名。


「うっせえ!! 佐々木!! 物理はお前自身の選択だろうが!! それよりも問題は地理だよ!! なんでうちのクラスは強制的に地理選択なんだよ!? 俺は歴オタだっつうの!! 地理なんて日々社会情勢が変わってんのに覚えても意味ねえよ!! ゴルバチョフのバカ野郎!! お前があの時、ペレストロイカなんてするから!! ソ連はソ連でいいんだよ!! ちまちま別れんな!! それに何だよ、レアアースって!! 徳川埋蔵金でも掘っとけ!! くそお、ストレスが溜まる!!」


「おいおい、今度は矢代がキレたぞ?」


「まあ、確かに俺らが選んだんだよな、物理クラスを」


「しかも地理は社会科の中で一番覚える事が少ないからって、理系クラスじゃ必修だしなぁ」


 新たにキレた人物の言葉に頷く突っ込み担当達。

 と、そこに――。


「お前らさっきから煩せえんだよ!! ペ○スとイカがどうした!? そんなに溜まってんなら朝からしっかり抜いて来い!! 俺の睡眠学習を邪魔すんじゃねぇ!!」


「おっと、遂に殿がキレた」


「ずいぶん変化球で来たよ。溜まってんのはストレスだろ」


 ヘッドホンをして机に突っ伏していた殿こと、外岡(とのおか)が立ち上がって怒鳴る。

 が、すぐにクラスに四人しかいない女子からブーイングが上がった。


「ちょっと、殿! 女子もいるんだから、下品な事言わないでよね!!」


「うっせえ! お前ら四人とも男いるだろうが!! しかも他校に作ってんじゃねえ!! 彼氏持ちは女子とは認めねぇ!!」


「おお、出たよ。殿の俺様発言が」


「あれがなきゃ、殿なんてすぐに彼女できるだろうに……」


「だよなぁ。……そろそろ発動するぞ、暴君が」


 前生徒会長である外岡は勉強も運動も万能で、更に容姿もかなり良い。

 だがその性格に難があり、中々彼女ができないのである。

 俺様な性格の上に理想が高いのか、本人は彼女を欲しがってはいるのだが、告白されてもいつも断っている。かと言って、誰か好きな相手がいるわけでもないのだが。

 そんな外岡は皆から「殿」または「暴君」と愛情を込めて呼ばれている。


「ああ、もう!! お前ら勉強のしすぎなんだよ!! 誰か、あいつを呼べ!! 今すぐ来いって連絡しろ!!」


 外岡の言葉に誰かの悪乗りした声が上がる。


「殿があやつをご所望じゃ~! 誰ぞ早馬を出すのじゃ!!」


 それを受けて誰かが携帯を取り出して素早く打つ。

 文面は簡単、『殿がそちをご所望じゃ。今すぐ来やれ』。


「ほい、送信完了ー!」


「んじゃ、俺も」

「なら、俺も」


 その声に続いて次々に皆も携帯を取り出してメールを送る。


 『五分で来い』

 『いや、三分で来い』

 『ついでに怪獣を倒して来い』

 『森学園長のカツラを奪って来い』

 『用務員室にある冷蔵庫から有働さんの特製ドンブリプリンを持って来い』

 『学園一の美少女と名高い工藤さんに告白して来い』


 そして、最初のメール送信から二分五十八秒後、教室のドアが勢いよく開いた。


「先輩達!! 無茶ぶりは止めて下さい!! 俺は先輩達と違ってちゃんと授業があるんですよ!? 今週に入って何度俺が腹イタで授業抜けてるか分かってんですか!?」


 息を切らして走り込んで来たのは、二年七組に在籍中で現生徒会長の丹羽である。


「怪獣は?」

「カツラは?」

「プリンは?」

「玉砕したか?」


 それらの問いかけを無視して丹羽は教室を見回した。


「先生はどうしたんすか? いくら自習ったって、普通は先生がいるでしょう?」


 呼吸を整えながら尤もな質問をする丹羽に、机に両足を上げてマンガを読み始めていた外岡が答える。


「英語だったけどなぁ。コル.先生は体育の授業見に行ったぞ」


「くっ……。今は確か二年八組が乾布摩擦大会を……」


「ああ……。そういや俺らも去年やったよな……」


「今日は保健の尾野先生が授業する日か……。あれ、男子だけ上半身裸になるんだよな」


「そして、なぜかその後に続くおしくらまんじゅう大会……。あれって保健体育なのか?」


 悔しがる丹羽の言葉を聞いた皆は、どこか遠い目をして呟いた。


「俺、あともう少しで、どさくさに紛れて尾野先生の豊満な胸に顔を埋められそうだったんだよな……」


 誰かが洩らした本音に外岡が鼻で笑う。


「バ~カ! 女の成分の半分は嘘で出来てんだ。よってチチも半分は嘘なんだよ!」


「殿!! 失礼な事言わないでよ!!」


「じゃあ、お前らのは寄せて上げてねえのか? 真っ向に勝負出来る代物なのか?」


「ッグ! 痛い所を!!」


 女子の上げた抗議の声はすぐさま反論した外岡に封じられてしまった。

 そして外岡は目の前の机に積み置いたマンガに手を伸ばしていた丹羽に、優しい上級生の顔を向けた。


「だが俺はもちろん信じている。もう半分には俺達の夢と希望が詰まっている事を! よって、丹羽!! お前が尾野先生のダウトを触って審議して来い!!」


「ちょっ!! 殿先輩、いきなり何言ってんすか!?」


 週刊誌に伸ばしかけていた手を慌てて引っ込めて丹羽は抗議したが、当然聞き入れられる訳がない。


「俺達はセンターを目前に控え、クリスマスだ正月だって浮かれた世間に背を向けて(わび)しい冬を過ごしてんだよ! そんな気の毒な先輩たちに何か娯楽を提供しようって気にはならないのか!? 去年の俺は先輩たちの為にどれほど骨を折ったか……」


「あー、あれで学園長の抜け毛が加速したんだよな……」


「それと有働さんの俺ら理系クラスに対する警戒が半端なくなったな。薬品庫だけじゃなく、理科室の鍵ごと常に持ち歩くようになったし……」


 嘘臭く嘆く外岡を見て、松木と水戸が呑気に応えたが、当の丹羽は遂にキレた。


「あれは消防車まで出動する騒ぎになったんですよ!? しかも生徒会主催とかっていつの間にかそんな事になってて、結局始末書書いたのは副会長だった俺なんです!! いい加減にして下さい!! 学園長どころか、俺まで若ハゲになります!!」


 そこで一旦言葉を切った丹羽は、ゆっくり大きく息を吐いてから落ち着いて続けた。


「――わかりました。そんなに気分転換がしたいなら、先輩達に夢と希望と恐怖を提供しましょう」


「夢?」

「希望?」

「恐怖?」


 今まで関わり合いにならないようにと、黙々と勉強を続けていた他の生徒たちまでもが丹羽の言葉に反応した。

 特に最後の部分に。


「へえ? 面白そうじゃねえか、言ってみろよ」


 外岡も偉そうに言いながらも、子供のように期待して顔を輝かせている。

 恐らくこういう無邪気な所が、外岡を憎めない理由なんだなと皆が思っていた。

 と同時に、外岡のまだ見ぬ彼女はきっと苦労するだろうなとも。


「この学園にある七不思議ですよ。まあ、よくある物から変わった物までありますが、その一つに『赤い糸の木』ってのがあるのは知ってますか?」


「あ、それ私知ってる! 体育館裏の雑木林に続く小道を奥まで行ったらあるクスノキの事だよね?」

「そうそう! 制服のネクタイを自分にしかわからない印を付けて枝に軽く結ぶの。で、それを見つけて持って来てくれた相手が赤い糸で結ばれた人!!」


 丹羽の問いかけに答えたのはやはり女子で、それから楽しそうに話が盛り上がっている。

 が、一方の男子は突っ込みを入れずにはいられない。


「たくさんのネクタイが木にぶら下がってる図ってのは、確かに恐怖だな」

「ああ、なんかノイローゼになりそうな光景だと思う」

「そもそも、んなネクタイ見つけて持って来るなんてストーカー以外に有り得ねぇだろ? それを赤い糸の相手って思えるなんて女子ってすげえな」


「で、その『首つりの木』のどこに夢と希望と恐怖があるんだ?」


「殿先輩、『赤い糸の木』です。そのネーミングだと夢も希望もないですけど、恐怖はしっかりあるじゃないですか」


 つまらなさそうな外岡の言葉に、丹羽は色々と諦めた様子で応えた。

 それから一度、腕時計を確認した丹羽は授業がもうすぐ終わる事に気付いて、早口で続きを口にする。


「まあ、赤い糸の伝説はどうでもよくて、問題は木に結ばれているネクタイの中にスカーフが混じっている事です。四年前にこの学校の制服は変わりましたけど、それまで女子はセーラーだったじゃないですか。で、いくつかある色褪せたスカーフの中に一つだけ、未だに新品のように綺麗な物があるんですよ。しかもどうやって結んだのか、誰も届かないような高い場所に。それが七不思議の一つなので、解明がてら、それを取って来て下さい」


 丹羽が言い終わるのと同時に、終業のチャイムが鳴った。


「じゃ、先輩達そう言う事で、よろしくお願いしまーす!」


 外岡達の返事も聞かずに丹羽は三年八組を飛び出し、後に残ったのは気まずい沈黙。

 自分達もなんとか逃げ出さないと、と皆が考えながら恐る恐る外岡を窺い、がっくりと肩を落とした。

 外岡はやる気だ。

 こうなると誰も逃げられない事を悟り、余計な事を提案した丹羽へと逆恨みをした。

 ちなみに、生徒会に宛てて『あのスカーフが怖いので何とかして欲しい』という要望書が最近増え、丹羽が困っていたのは内緒である。



   * * *



 と言う訳で、放課後。

 予備校などの決まった用事のない者達はやはり逃げ切れず、外岡に付き合わされた十数名は体育館裏に集まっていた。


「にしても、こういう場合って、一度家に帰ってから夜中に集まるもんじゃね?」


「バ~カ。家に帰って、もう一度学校に来るなんてめんどくせえだろ。さあ、さっさと終わらせて、八時までには家に帰るぞ」


 誰かが寒さに震えながら上げた疑問も外岡に一蹴された。


「殿、八時から何かあんのか?」


「見てえテレビがあるんだよ」


「……」


 その場の誰もが、外岡に殺意を抱いた。

 が、外岡は気にした様子もなく、「殿先輩、さよ~なら~!」との後輩女子からの黄色い声に「おお、気を付けて帰れよ~」と爽やかに返している。


「俺、殿に殺意を抱いたの、これが初めてじゃないんだよな……」


「心配するな、みんな一緒だ」


 そんな風に交わされている会話も無視して、外岡は背中を丸めて皆に説明した。


「あーくそ! 寒いから、さっさと済ますぞ。二人一組で懐中電灯持って行って、木にこの紐結んで帰って来る。で、次のグループが解いて持って帰る。それの繰り返し。もちろん、例のスカーフを取る努力はしろよ。んじゃ、クジ通りの順番でな」


 いつの間にか肝試しになっているのだが、そんな細かい事はもう誰も気にせずにクジを引く。

 そして、奇数人だった為に外岡が最後に一人で雑木林へと入って行った。


「なあ、このまま皆で帰るか?」

「殿を置いてか? でも、きっと殿はそれくらいじゃ堪えねぇよ」

「だよなあ。じゃあ、皆で隠れて脅かすとか?」

「無理だろ。少々じゃ、殿は驚かねえよ」


 無駄だと知りつつ、なんとか外岡を驚かせられないかと相談していた皆は、逆にかなり驚かされる事になった。

 外岡が例のスカーフを持って戻ってきたのだ。


「殿!?」

「ど、どうしたんだ、それ!?」


「ああ? なんか、女子がいて渡してくれたぞ?」


「女子って誰だよ!?」


「さあ、知らねえなあ。でも、どっかで見た事あるんだよなあ?……どこだっけなあ?」


 本気で悩んでいるらしい外岡が嘘を言っているようには見えない。

 そもそも外岡は俺様だ暴君だなどといつも呼ばれているが、こういう性質の悪い冗談で皆を騙すような事は絶対にしないと言い切れる。


「……」


「じゃあ、これは明日、丹羽に渡すとして、俺はもう帰るわ。みんなも気を付けて帰れよ」


 そう言って時間を気にしながら足早に帰って行く外岡を、皆は青ざめた顔のまま黙って見送ったのだった。



   * * *



 次の日、外岡は中々登校してこなかった。連絡もないらしい。

 心配した皆が何度も連絡を取ろうとしたのだが、メールに返信はなく、電話を掛けても電源が入っていないとのアナウンスが流れるだけだった。

 もう三時間目も終わろうとしている。


「家に電話したけど、殿のお母さんがちゃんと殿はいつも通りに家を出たって言ってる……」


 特に外岡と親しい佐々木の呆然とした言葉に皆が言葉を失くした時、ガラリと教室の扉が開いて外岡が入って来た。


「殿!?」

「よくぞご無事で!!」

「殿の御帰還じゃ~!!」


 つい先程まで外岡の安否を気遣い動揺していたのに、その姿を認めた途端に教室はいつもの賑やかさに戻った。

 が――。


「おお、ちょっと病院に寄ってて遅刻した。やべ、連絡忘れてたわ」


 それを聞いた皆の顔が一気に青ざめる。


「怪我したのか!?」

「病気か!?」

「呪いだ!!」

「誰ぞ祈祷師を呼ぶのじゃ~!!」


「いや、俺じゃねえ。ちょっと見舞いがてらスカーフを返しに行って来たんだよ」


「……え?」


 応えた外岡の言葉に今度こそ皆は口を閉ざし、騒がしかった教室は一気に静かになった。


「昨日の女子がさあ、どっかで見た事あると思ったら、家に帰って思い出したんだよ。姉貴の卒業アルバムで見たなって。姉貴、ここの卒業生だから」


「……」


「で、確認したら案の定、見つけてさ。姉貴のクラスの集合写真の上に小さい枠で載ってたから覚えてたんだよな」


「……」


「姉貴に聞いたら、交通事故に遭ってずっと意識不明で入院してるって言うから、姉貴と一緒にさっき見舞いに行ってきたんだよ。昨日見た時よりかなり痩せてたけど、俺達が病室に入ったらちょうど目を覚ましてさ。で、スカーフも渡せたし、めでたしめでたしだよな。そういや、センセーはまた抜けてるみてえだったな」


「……」


 言葉も顔色も失くしている皆を気にもとめず、外岡は説明は終わったとばかりに席に着くと、机からマンガを取り出して読み始めた。

 その後、外岡とスカーフの彼女がどうなったのかは……。


 伝説のクスノキには、恐ろしい程のネクタイが結ばれるようになり、有働さんは頭を悩ませつつ、野暮な事はしないでおこうと見て見ぬふりをする事にした。

 特に、『卯堂さん、嫁にry クドウ』と書かれたネクタイや、『please! Give me ‘macho’!!』と書かれたリボンについては、燃やしてしまいたい衝動を必死で抑えていたのだった。




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