第8話:リュミナリエ王国
ヴァルシェン王国との協商条約を結んだのち、オレたち使節団は南東のリュミナリエ王国へと向かった。
リュミナリエは大河の河口に築かれた海商国家であり、香辛料や絹、宝石などあらゆる交易品が集まる「大陸の商都」として名を馳せている。
軍事力ではヴァルシェンに及ばないが、財力と商人ギルドの影響力は計り知れない。というよりも、ヴァルシェン王国が今なお北方の巨大な軍事国家であるアストレア連邦と互角以上に対抗できるのは、リュミナリエ王国による経済的な後押しがあるからだ。
ただ、それはリュミナリエ王国の道義によるものではなく、ヴァルシェン王国を経済的に実質支配していく方法として用いられているに過ぎない。自国が直接戦争をする事を避けつつ、むしろ戦争をして自国の利益に結びつける。そういう功利主義がここには蔓延しているのだ。
「リュミナリエは利益で動く国だよ」アリシアが馬車の中で囁いた。
「彼らにとって中央平野は新たな“交易経路”以外の何物でもない。こちらが提示する利益が大きければ、大きく頷くはず」
「逆に、利益がなければ……見向きもしない、ってわけか」
「ええ。だから交渉は綱渡りになる。場合によってはリュミナリエの従来の権益を侵す存在と見なされる可能性もある」
リュミナリエの王都は、白い石造りの建築と色鮮やかな商館が立ち並び、香辛料の匂いと人々の喧騒に満ちていた。港には異国の帆船が停泊し、異なる言語が飛び交っている。
軍都ヴァルシェンとは対照的に、ここでは剣よりも銀貨が権力の象徴だった。
謁見の間に通されると、そこには壮麗な衣を纏った国王と、その背後に控える豪商たちの姿があった。
「中央平野の守り手、辺境伯コウヤがそなたか」
国王は微笑みを浮かべて言った。だがその目は笑っていなかった。
「炎龍を倒したとの噂、確かに聞き及んでおる。その勇敢さは称えよう。……さて、我らの王国に何を望む?」
オレは深く頭を下げ、言葉を選びながら切り出した。
「中央平野は、いまや新たな交易経路、海を介さず、陸路にて行き交う事が可能な貿易の中心となりつつあります。湖畔には既に巨大な取引所を建設中で、各地の商人が集い始めています。リュミナリエの商人たちがここを通じて交易する事で、貴国にとっても莫大な利益を得られる機会とできる事でしょう」
豪商たちがざわめき、目を輝かせた。
「市場取引所……?」
「大陸の中心で、陸路を用いた交易ができるというのか」
「香辛料も織物も、ムナリスを経由せずに運べるなら……」
国王は手を上げて彼らを静め、オレを見据えた。
「確かに魅力的だ。しかし、その地はムナリス王国の北方辺境伯であるそなたが炎龍を討伐し、結果としてムナリス王国の版図と見なされるべきものとも言える。そのムナリス王国の国王陛下の逆鱗に触れる覚悟が、そなたにはあるのか?」
オレははっきりと答えた。
「我々はムナリス王国には従うつもりはありません。独立を選びます。だからこそ、リュミナリエ王国の、我々に対する承認が必要なのです」
静寂が広がる。
豪商の一人が口を開いた。
「承認はできよう。しかし同盟は無理だ。我らは商人だ。我々は軍事力ではなくて、経済力によって国家を興す立場である」
国王も頷いた。
「そうだ。攻守同盟を結ぶことはできぬ。だが、交易と相互不侵略を定める協商条約ならば結ぼう。我らが利益を得る限り、その秩序を守ることを約束しよう」
アリシアが小さく囁いた。
「これで、リュミナリエも“承認”したね。市場は彼らにとって利益だから」
オレは国王に深く頭を下げた。
「感謝する。中央平野は必ず交易の要衝として繁栄させる。その利益を、共に享受しよう」
こうして中央平野は、二つ目の協商条約を獲得した。
ヴァルシェンは緩衝地帯としての承認、リュミナリエは利益を基盤とした承認。
——だが、どちらも軍事同盟ではない。独立を守る戦いは、結局オレたち自身の力にかかっているのだ。