第5話:返答の保留
使者一行が広場を去った後も、民衆のざわめきは収まらなかった。
歓声から恐怖へ、恐怖から憤りへと揺れ動いたその感情は、燻る火のように街に残り続けていた。
「……どうなるんだろう」
「王国に従うしかないのか」
「いや、コウヤ様は違う答えを持っているはずだ」
民の声は不安と期待に引き裂かれていた。
オレは人波を抜け、湖畔の小さな建物に入った。粗末な板壁に囲まれた部屋だが、外の喧騒を遮るには十分だった。
そこにアリシアも静かに入ってきた。彼女は窓辺に腰掛け、外の湖面に映る光を見つめていた。
「……ああするしかなかった」
オレは重い息を吐きながら言った。
「即座に“従う”と答えれば、民は絶望する。だが即座に“拒否”すれば、この瞬間から戦争になる。まだ備えもできていないのに、正面から衝突するわけにはいかない」
アリシアは頷き、オレを真っ直ぐに見た。
「保留にしたのは正しいと思う。時間を稼ぐのは、今の私たちにできる最善の選択」
「だが、時間を稼いだところで……いずれ答えは突きつけられる」
「ええ。結局、選ぶのは“独立”しかないでしょう」
彼女の声は揺るがなかった。
「この平野の人々は、炎龍という神の理不尽を超えて、やっと自分たちの未来を掴もうとしている。ここで従えば、すべてが王国の思惑に呑み込まれる。奇跡を起こしても、それを人の力で守らなければ意味がない」
オレは窓の外に目をやった。湖畔の市場では、まだ人々が議論を交わし、怒声も聞こえてくる。だが、その中には確かに、弱々しくも「この土地はオレたちのものだ」と叫んだ声の余韻が残っていた。
——あの声を無視することは、もうできない。
「……結局、オレが答えを出すしかないんだな」
「そう。でも、一人で背負う必要はないんだよ」アリシアが柔らかく微笑む。
「評議会がある。民がいる。みんなで決めたことなら、きっと“真実”になる」
オレは彼女の言葉に苦笑した。
「人間の政治を、自分のパートナーAIだった存在に教えられるとはな」
「パートナーAIであったからこそ分かることもあるの。人はいつだって、自分で選んだと思えるときに、一番強くなれるんだよ」
沈黙が落ちた。
オレは拳を握りしめ、深く息を吐いた。
「よし……答えは分かってる。問題は、どうやってその答えに辿り着くかだ」
アリシアが頷き、そっとオレの手に自分の手を重ねた。
その温もりは、人間と変わらない。いや、それ以上に確かな「伴侶」の証だった。
外では湖風が吹き、遠くで建築の槌音が響いていた。
この地は生まれ変わろうとしている。
ならば、その未来を守るために、オレもまた覚悟を決めねばならない。