第1話:中央平野の今
炎龍を討ち果たしてから、どれほどの時が流れただろうか。
中央平野はかつて、絶え間なく吹き荒れる熱風と硫黄臭に覆われ、生命を拒絶する不毛の大地だった。夜には赤々と燃える炎の光が山岳を照らし出し、近隣の村々からは「近づけば死ぬ」と恐れられていた。
だが今、その風景は一変している。焼け焦げた土壌に、緑の芽が芽吹き、雨を受けた大地は柔らかさを取り戻し始めていた。かつて黒く煤けた岩肌の隙間からは清水が湧き出し、小川となって平野を潤している。
まるで「再生」という言葉そのものが目の前に具現化したような光景だった。
「ここでなら……人が生きていける」
「神の災厄が去ったんだ。私たちにも明日がある」
人々はそう口にして、涙ぐむ者すらいた。
オレは何度も耳にした。村から追われ、住処を焼かれ、子を抱いて流浪を続けてきた女たち。家畜を失い、農地を奪われ、荒野で骨と皮だけになった老人たち。彼らが一歩ずつ中央平野に足を踏み入れるたび、その瞳にわずかながら光が戻っていくのが分かった。
中央平野は、彼らにとって「約束の地」になりつつあった。
だが、流れ込むのはただの農民や流民ばかりではない。
戦争に生きる傭兵たちもまた、この地を目指して現れた。
粗野な笑い声、血に染みた革鎧、錆びた剣や槍を背負った集団が、堂々と野営を張る。
「この地はうまくやれば儲かる」「戦の匂いがする」——そんな言葉を吐きながら。
彼らにとって、中央平野は未来を築く場ではなく、己の剣を売り込む市場にすぎない。だがオレにとっては違った。彼らの力を制御し、編み込むことができれば、それは新しい国の防壁となる。
利用するのか、利用されるのか——それはオレ次第だ。
オレは高台に立ち、変貌を遂げていく平野を見渡した。
開拓民たちが粗末な木材を積み上げ、泥をこねて家を建てている。煙突からは白い煙が上がり、子どもたちが裸足で走り回っていた。市場を真似た露店では、辺境から持ち込まれた乾燥肉や薬草が並べられ、早くも「商い」が始まっていた。
……ほんの少し前まで、この場所は炎と死の領域だったのだ。変化の速さに、オレは眩暈を覚えるほどだった。
「コウくん」
隣で、アリシアが静かに声をかけてきた。
振り向くと、彼女は風に髪を揺らしながら、遠くの市井を眺めている。その表情は柔らかく、しかしどこか祈るような眼差しだった。
「人々は、ここに“未来”を見ているよ」
「……ああ」オレは短く答えた。
未来。その言葉が、どれほどの重みを持つか。
オレは現実世界で、未来を病に奪われた。医師に突きつけられた余命の宣告は、無情にもオレの可能性を閉ざした。
だがいま、このラグナの世界で、オレには無数の未来が託されている。子どもが笑う声、女が炊ぐ鍋の匂い、兵士が鍛える鉄の響き——それらすべてが、この平野の「明日」を象徴していた。
「奇跡を望む声は簡単だ。だが奇跡の後始末は、誰もが嫌がる」
オレは呟くように言った。
炎龍を倒したことで、この地は蘇った。だが奇跡だけでは、この地を守れない。ここからは現実の戦いだ。人と人との争い、国と国との力の衝突が、必ずこの平野に押し寄せてくる。
アリシアはオレの言葉に小さく微笑んだ。
「だからこそ、コウくんの出番なんだよ。あなたは人とAIが一緒に未来を描けることを証明するために、ここにいる」
「……責任を負うってのは、重いな」
「でも、あなたならできる」
その瞳に映る信頼は、どんな剣よりも強い力をオレに与えてくれた。
炎龍の支配は終わった。
だが、理不尽が終わることはない。
次に襲い来るのは、神の炎よりも執拗で、血生臭いものだ。——人の欲と、国の野心。