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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夫の妾がかっこいい 〜新しい側室が蛮族すぎるので正妃の私が全力で教育しますが、正直夫より好みです〜

作者: たっこ

 王侯貴族の(こん)(いん)は、政治です。

 恋した相手と結婚するわけではありません。

 利益のある相手と結婚するのです。


 私も、そのことはよくわかっています。

 だって、将軍の娘ですもの。

 乱世ですから、王家と軍部の結びつきを強めるために、数年前に国王の正妃となりました。


 夫のことは、好きではありません。

 臆病で疑り深くて、そのくせ体も心も弱くって、家臣たちの言いなりになっているような男です。

 母君である(おう)(たい)(ごう)様に「万が一にも、尊い(ぎょく)(たい)に傷がついてはいけません」と甘やかされて育ったせいで、剣の一つもろくに振るえない、軟弱な男なのです。


 私の家を訪れる人々に、そんな男は一人もいませんでした。将軍の家ですからね。来るのは武官ばかりです。みんな筋骨隆々でたくましく、勇敢な働き者たちです。

 だから、私のあこがれは、昔からそういう殿方でした。勇ましくて、誇り高くて、ちょっと強引で、野性的な魅力のある……


 ああ、いけません、いけません。

 叶わぬ夢にうつつを抜かしている場合ではありません。

 私はもう王妃なのです。どんなに好みの正反対でも、王としっかり関係を築き、国政の下支えとならなくてはいけないのです。


 そう、たとえ夫が、男としての自信がなくて、ほとんど会いに来なくとも。

 たまに顔を見せたかと思えば、「くそ」「ちくしょう」「ばかにしおって」と、昼間に感じた家臣への不満をぶつぶつ呟きながら、(ひと)()がりに私を抱くような男でも。

 きちんと誠実に愛し、支え、二人の間に子をもうけなくてはいけないのです。




 さて、このたび、夫が新しい(きさき)を迎えるそうです。

 もちろん、恋とか、浮気とかではありませんよ。

 政治の一環です。


 国境をおびやかす騎馬民族の一族に、土地と位を与えて、臣下として迎え入れるのだそうです。

 与える土地は、未開拓の辺境地帯です。すでに豊かな穀倉地帯など、与えるわけがありませんからね。

 だけど、それでは(かい)(じゅう)になりません。過去の敵を、未来の味方として取り込もうというのですから、反逆されないためには、それなりの(こう)(ぐう)が必要です。それと、念のための人質も。

 そこで、騎馬民族の姫を、我が国の王の側室として迎えるそうです。


 今日は、その輿(こし)()れの日です。

 嫉妬なんて、するはずがありません。

 大事な政治です。私心など挟みません。


 だから、私がこの日、新しい妃を優しく歓迎できなかったのは、もっと別の理由なのです。


「王はどこだ! 叩き斬ってやる!」


 後宮に設けられた一室で、新しい側室が、怒鳴っていました。

 手には抜き身の白刃を握って。

 足元には、無残に割れた壺の破片を踏んで。


 力任せに叩き壊したようです。それで、(きゅう)(きょ)私が呼ばれたのです。

 本来は、側室の彼女のほうが、正室の私のもとへ挨拶に来るのが道理なのですが、彼女に仕えることになった侍女たちが、血相を変えて私に助けを求めて来たのです。


「何事ですか」


 声を掛けると、側室は振り向きました。大股でのしのし近づいてきます。


 狼の耳に、狼の尾。狼のもつ黄色の瞳。

 獣族(ガルー)と聞いてはいましたが、私も見るのは初めてです。

 男性のように背が高く、長い銀髪をいくつもの三つ編みにして垂らし、浅黒い肌には真っ赤な液体で独特な化粧をしています。

 花嫁衣装は、色とりどりで(ごう)(しゃ)ですが、謎の毛皮が使われています。どことなく人の毛髪に見えるのは……気のせいのはずです。

 彼女は、私に剣を突きつけて、言いました。


「貴様、()(じょ)(がしら)か? 王を出せ!」


「私は正妃です。立場上、あなたの上官にあたります」


「そうか、ならば話が早い。王は、妃であるこの私の()(しん)を傷つけた。血でもって(つぐな)わせるほかない! 貴様も王の妃ならば、私がどれだけの侮辱を受けたか、わかるはずだ!」


「いったい、何をされたというのですか」


「やつは、私を出迎えなかった。ただ、この部屋に通されて、それで終わりだ。婚礼の宴もないという。氏族の長の婚礼たるもの、夜通し火を()いて宴を(もよお)し、百の羊を()ずから(ほふ)ってその血と肉を振る舞うのが、最低限の礼儀であろう!」


 思わず、ぽかんと口を開けてしまいました。

 私は、彼女に尋ねました。


「……あなたの民族では、それが常識なの?」


「そうだ。そして、花嫁を歓迎せぬ族長は、花嫁の手で斬り殺してよいことになっている。だから王を出せというのだ!」


「……残念ですが、それは不可能です。我が国では、側室のための婚礼など、開かれないのが普通です」


「なんだと?」


「それに、人を殺してはいけません。この宮殿では、剣を振り回しても、物を壊してもいけないのですよ」


「では、どうしろというのだ!」


「まず、武器はしまってください」


 彼女は、しぶしぶ剣を鞘に収めました。一応、話は通じるようです。不満そうに喉をグルグルうならせてはいますが。

 どうやら、彼女は野の獣と同じです。(あなど)られれば、噛みつかれます。舐められないためには、こちらの立場をしっかりと示さなければいけないようです。地位を振りかざすのは不本意ですが、仕方がありません。


「あなたが今日中にするべきことは、二つです。一つは、夜に陛下の()(わた)りを待つこと。その時も、斬り掛かってはいけませんよ。妻として、夫との初夜を迎えてください」


「……ふん。もう一つは?」


「私に挨拶をしてください。先ほども申し上げましたが、正妃の私は、側室のあなたの上官です。部下として、私に礼を尽くしてください」


 狼の目でじっと私を見つめたのち、彼女は「いいだろう」と言い、名乗りました。


「我が名はアシュラフ。(ぎん)(げつ)(ぞく)の戦士にして、族長ディルガームの(うい)()である。これより、妃の一人として、正妃たる貴様の指揮下に入る」


 と、そこへ、ぎゅるるる、と異音が響きました。

 異音の主、アシュラフ妃は、ばつが悪そうに顔をしかめています。狼の耳もぺたりと伏せて。

 一応、私は確かめました。


「今の音は、あなたのお腹?」


「……いかにも、そうだ」


「お腹が空いていたのですね。昼の食事はまだだったのですか?」


「婚礼の前に、食事を摂る戦士などいない。宴に備えて、誰もが胃袋を空けておく……」


 ああ、と私は納得しました。期待していたご馳走をたらふく食べるために、食事を抜いていたようです。空腹だから余計に怒りっぽかったのかも。

 しゅんとしていて可哀想なので、私はこう申し出ました。


「よろしければ、これから私とお茶をしましょう。羊の血肉はありませんが、軽食ならば出せますよ」


 アシュラフの耳が、ぴんと立ちました。尻尾もぶんぶん揺れています。


「……よいのか?」


「ええ」


「感謝する! 貴様、良いやつだったのだな」


 きらきら輝く目で見つめられ、うっかりほだされそうになりました。だけど、舐められてはいけません。己を律して、私は彼女を叱ります。


「アシュラフ妃。私を貴様と呼ぶのはやめなさい」


「む。では、なんと呼べばよい」


「正妃様と。もしくは、アデルハイド様と呼びなさい」


「心得た。アデルハイド様、感謝する! このアシュラフ、受けた恩義は絶対に忘れぬ。我が()、我が(やり)、我が(つるぎ)、アデルハイド様のために振るうとしよう」


 そう言うと、アシュラフは足を揃えて踏み鳴らし、胸の前で両の拳を打ち付けました。後から知りましたが、それは銀月族の戦士にとって、最上級の敬礼だそうです。


 正直、少しどきどきしました。

 勇ましくて、誇り高くて、ちょっと強引で、野性的で、だけど素直で……

 狼みたいなぎらりとした目も、好みです。


 いいえ、いけません、いけません!

 私は正妃として、問題を起こした側室を、厳しくしつけないといけないのです。


 だから、この後におこなったお茶会も、ほとんどがアシュラフ妃へのお説教でした。

 お肉を手づかみで食べてはいけません、お茶を飲むとき音を立ててはいけません、椅子に座るとき足を開いてはいけません、等々(などなど)諸々(もろもろ)


 アシュラフは、叱られた瞬間だけは不本意そうにむっとするのですが、私が正しい礼儀作法の意味について説明すると、「心得た、アデルハイド様」と素直に返事をして、正しい作法を身につけようとがんばっていました。


 飼い犬みたいで、かわいいです。

 ……ああ、いけません、いけません!


 ともかく、私とアシュラフの初対面は、こういうものだったのです。

 私は、あくまで正妃として、厳しく、正しく、行動したつもりです。

 蛮族の姫に対して、王国の掟に従うようにと、びしっと態度で示したはずです。

 私が、始めからアシュラフに心ときめかせ、うつつを抜かしていたわけではないと、わかっていただけますよね?




 次の事件は、翌日でした。

 事件の頻度が高すぎます。

 なんと昨晩、妃として初夜を迎えるはずだったアシュラフが、国王陛下のお尻を蹴飛ばして、部屋から追い出したというのです。


 陛下から、「お前の教育はどうなっている!」と、お叱りのお言葉が、私に届けられました。

 そうおっしゃられましても、何があったやら、私もさっぱりです。急いでアシュラフに会いに行きます。


 たった一晩で、アシュラフに与えられた部屋は、すっかり模様替えされていました。

 王国風の調度品は片付けられ、床には騎馬民族の誇る厚地の見事な(じゅう)(たん)が敷いてあります。それはいいのですが、(しっ)(くい)塗りの白い壁には、無遠慮に何本も杭が打たれ、そこには物騒なものがいくつも掛けて飾ってありました。

 身の丈ほどもある斧。

 (かた)()(きょく)(とう)

 弓に、薙刀(なぎなた)

 さながら武器の展覧会です。

 その武器の下で、アシュラフは椅子を使わず、絨毯に直接あぐらをかいて座っていました。彼女は、私を見てぱっと顔を輝かせました。


「アデルハイド様! よくぞ来てくれた。歓迎する。あなたが会いに来てくれたのならば、昨夜の怒りも和らぐというものだ」


「陛下がお怒りと聞いて来ましたが、あなたも怒っていたのですね。……何があったか、教えてください」


「ふん、陛下だと? あの軟弱者、文句があるなら直接来ればよいものを。アデルハイド様の陰に隠れて、つくづく情けない男だ。……やつは、我が(さかずき)を受けなかったのだ」


「杯とは?」


「これだ」


 ずい、と差し出されたものを見て、私は思わず悲鳴をあげました。

 それは、人の()(がい)(こつ)だったのです。

 頭蓋骨を加工して作った、酒の杯だったのです。


 アシュラフは、なんてことなさそうな顔をして、それに口をつけて酒を(あお)りました。そして、再び「ふん」と言いました。


「部屋で王を待ち、出迎える。茶や酒などを出して歓待する。そして、床を共にする。私はアデルハイド様の言うとおりにしようとしたのだ。

 しかし、あの男はとんだ腰抜けだな。初夜なのだから、精力を増すため、馬の生き血を飲み干してから、ことに当たるのが普通だろう。それをあいつは、この杯に注いだ血を見るなり、尻もちついて、わめいて逃げた。くだらぬ男だ。気に食わんから、尻を一発蹴飛ばしてやった」


「アシュラフ。陛下のお尻を蹴ってはいけません」


「む……。心得た、アデルハイド様……」


 アシュラフは、ぺたりと耳をたたみました。


 ですが、正直、胸がすく思いです。

 私自身、陛下に抱かれるたび、己の誇りが傷つけられるような気持ちだったのです。

 アシュラフのように、きっぱり(いな)を突きつけることができたならば、どれほど良かったでしょう。


 でも、いけません、いけません。

 王族の結婚は、政治なのです。

 好き嫌いで動いてはいけません。

 私はアシュラフを叱ります。叱らなくてはいけないのです。


「アシュラフ。あなたは、あなたの民族のやり方で、陛下を歓待しようとしたのですね」


「いかにも、そうだ。わかってくれるか!」


「我が国では、血を飲むことは、一般的ではありません。頭蓋骨を目にすることも、普通はほとんど無いのです」


「なんと、そうなのか」


「だから、陛下はとても驚いたのだと思われますよ」


「ふむ。だからといって、ああも醜態を晒すのは、一国の長としてどうかと思うがな」


「それでも、お尻を蹴るのはだめです」


「むう。心得た、アデルハイド様」


「血を飲ませるのもだめですよ。できれば、飲むのも控えてください」


「……善処しよう」


「その杯も、あなたが使うには構いませんが、他の方へはお出ししないように」


「いいだろう」


「……代わりに、私が器を選んであげましょう。お茶の葉と(あわ)せて、あとであなたに差し上げます」


 アシュラフは、目を丸くして私を見ると、満面の笑みでこう言いました。


「またもや、()()してくださるか! アデルハイド様、あなたという主を得られたことが、この国に来て最も大きな喜びだ。このアシュラフ、必ずやあなたの恩に報いよう!」


 歯を見せて笑う、開けっ(ぴろ)げなその笑顔も、本当は叱らなくてはいけないのです。この国の婦女は、笑うときも口元を他人に晒しません。扇を開いて隠します。慎み深さが美徳なのです。

 ですが、きらりと輝く白い牙が、まぶしくて。

 私は、「どういたしまして」としか言えなかったのです。




 その後も、アシュラフが問題を起こすたびに、私は必ず呼ばれました。

 すっかり猛獣使いと思われています。


 アシュラフがお風呂に入りたくないとごねた時は、私が湯殿まで一緒に行きました。

 お湯を浴びるのが嫌いらしいのです。

 まるきり犬です。

 仕方ないので、私がアシュラフの全身を丸洗いしました。


 アシュラフの裸は、筋肉がしっかりついていて、歴戦の傷痕も残っていて、肌もよく焼けて浅黒くて、ちょっと、かなり、どきどきしました。

 お湯を頭からかぶるたびに、アシュラフは尻尾を股に巻き込んでおびえました。何度もしつこく洗ううちに、彼女の長い銀髪は、すっかり美しく輝きました。

 なんとかアシュラフを洗い終え、二人で並んで湯に浸かっていると、彼女は私の体を見て、言いました。


「アデルハイド様は、美しいな。戦士の体つきではないが、あなたの愛を得られた男は、世界で一番の幸せ者だ」


 私は、恥ずかしくて目をそらしました。

 私を抱くのは、陛下だけです。それも、独り善がりに、ぞんざいに消費するだけです。

 だから、他人に裸を褒められたのなんて、生まれて初めてです。不意打ちなんて、卑怯です。




 この国のドレスが嫌だと、訴えていたこともありました。

 アシュラフに事情を直接聞くと、ようは彼女には尻尾があるので、もこもこかさばって着心地が悪いということでした。

 コルセットも苦しいそうです。測ってみたら、獣族(ガルー)の彼女の骨格では、コルセットを締め付けるのはとても無理でした。腰にくびれが少ないのです。男性のような骨格です。


 単なる好き嫌いであれば、叱って終わりなのですが、体の作りが違うのですから、仕方がありません。

 私は、男性の礼服や乗馬服なら、アシュラフにも合うのではないかと提案しました。

 大切なのは、我が国に馴染もうという態度です。

 尻尾を出す構造は、銀月族の服を参考にして、アシュラフのための特注の礼服を作らせました。


 出来上がった服を着たアシュラフの喜びようは、それはもう、自分の尻尾を追いかけて床をぐるぐる走り回る犬のような具合でした。


「動きやすい! 苦しくない! 素晴らしい!」


 飛んだり跳ねたり駆け回ったりした挙句、氏族に伝わる拳法の演舞をひととおり披露してから、アシュラフは尻尾をぶんぶん振って、私の両手をとりました。


「アデルハイド様、あなたは私の英雄だ! 感謝する! 我が忠義、生涯にわたってあなたに捧ごう!」


 男物の礼服に身を包んだアシュラフの(れい)(よう)は、どんな貴公子も敵わない気高さで、周りで見ていた侍女たちまで、うっとりとため息をつくような仕上がりでした。

 それなのに、アシュラフの黄色の瞳といえば、私のことしか見ていないのです。

 だから、頬が赤くなってしまったのも、何も返事ができなかったのも、私のせいではありません。全部、彼女のまっすぐな瞳のせいなのです。




 さて、アシュラフが後宮へやってきて、半年余りが過ぎました。

 この頃には、彼女に対して向けられていた、侍女や貴族らの胡乱(うろん)な視線も、すっかり和らぎ、親しまれていました。


 来たばかりのときは、蛮族丸出しの型破りな存在でしたが、今では立ち居振る舞いの礼儀作法もすっかり身につけ、身だしなみも整いました。物を壊して暴れることも、頭蓋骨の血の杯で人々をおびえさせることもありません。

 私の必死の教育も、無駄ではなかったようです。


 彼女が人々に受け入れられた決定的なきっかけは、後宮に忍び込んだ賊を、アシュラフが退治したことでした。

 毒の刃を携えた五人の賊を、素手のアシュラフがたった一人で打ち倒し、彼女は私に笑みかけたのです。


「アデルハイド様! お約束どおり、武器を振り回さず、尻も蹴らずに済ませたぞ!」


 それ以来、武官の間でも、アシュラフは注目の的だそうです。将軍位にある父からも、「あの姫に、もし兄弟がいたら、我が軍に士官させられないか」と、相談の手紙が届いたほどです。


 最近、(ちまた)ではアシュラフを題材にした()(ぞう)()が人気のようです。「(ぎん)(ろう)(くん)」「勇ましの()(ろう)(ひめ)」といった表題で、勇猛果敢な男装の麗人の活躍が描かれています。

 物語には、たいてい猛獣使いの女性が登場し、銀狼君を従えているのですが……それは、私のあずかり知らぬこと。


 辺境に領土を与えられた銀月族たちも、順調に街作りを進めているようです。アシュラフの絵草紙のおかげで、もとは恐れられていた彼らも、少しずつ王国民に受け入れられて、交流を深めているのだそうです。


 さて、この状況が面白くない人物が、たった一人だけ存在しました。

 そう、国王陛下です。

 私とアシュラフの、共通の夫です。


 彼は、アシュラフとの初夜の床から蹴り出されて以降、一度もアシュラフに会おうとしませんでした。まあ、自尊心ばかり気にする方ですから、そうなるだろうとは思っていたのですが。


 陛下は、自分に恥をかかせたアシュラフを、私が懲らしめることを望んでいたようです。辺境の蛮族の姫の、心をくじき、ひざまずかせて、王権の名のもとに組み敷いてやりたかったそうなのです。

 それなのに、今となっては、アシュラフは民のあこがれの的。悔しくて、気に食わないのだそうです。


 なぜ、私がそれを知っているかって?

 陛下が、直接そうおっしゃったからです。

 私にとっても半年ぶりの、陛下が御渡りになった夜に。

 私の体を組み敷きながら、ぶつぶつ不平をおっしゃったのです。


「お前なんぞに、教育を一任したのが間違いだった」


 ろくに目を合わせもせずに、陛下が、私をむさぼります。

 アシュラフが美しいと褒めてくれた、私の体を。

 掴んで、叩いて、かき乱して。


「余は、初めから、蛮族を臣に迎えることすら、反対だったのだ。押し切ったのは、お前の父だぞ。何が、君主の度量だ。何が、民の疲弊だ。蛮族に甘い汁を吸わせては、侮られるだけではないか。どれだけ兵力を費やしてでも、あのようなけだもの、滅ぼしておくべきだったのだ」


 痛い。苦しい。気持ち悪い。

 いいえ、いけません。いけません。

 私は、王妃。拒んではいけません。


「妃よ。もう一度だけ、機会をやる。無礼きわまる狼女を始末しろ。今度、余は舞踏会を開く。そこであいつに恥をかかせろ。怒らせて、剣を抜かせろ。反逆罪で処刑してやる。辺境の蛮族どもも、同罪として皆殺しだ。いいか、必ずやれ。逆らうな。これは王命だ。余は、国王なのだぞ」


 どろどろの悪意を、ありったけ吐き出して。

 陛下は、翌朝、去っていきました。

 私の名前を、ついに一度も呼ばぬまま。




 アシュラフの指が、私の頬に触れました。


「いかがした、アデルハイド様。心ここにあらずのようだが」


 優しい温度に、はっと我に返ります。

 お茶会の最中でした。アシュラフは耳を伏せ、静かに言いました。


「無礼とは存じたが、許されたい。あなたの元気が無かったので、どうにも心配だったのだ。悪い夢でも見たのだろうか?」


 昨晩、最後まで我慢しきった涙が、ついにぽろりとあふれました。アシュラフは、あわてて頬から手を離します。


「失礼した。顔に手で触れられるのは、そんなにもお嫌だったのか」


「いいえ、違います。違います。何でもないのです。少し、目にごみが入っただけです」


 私は、心に決めました。

 アシュラフを、陛下に殺させたりはしません。

 彼女の同胞たちも、殺させません。


 私は王妃。だけど、私はアデルハイド。

 アシュラフ。あなたの忠義に、私も報います。




 舞踏会の夜は、あっという間に訪れました。

 この国のおもだった重臣が、一堂に会しています。

 文官、武官。そして王族も。


 私は、陛下のエスコートを受けて、玉座の隣の席につきます。

 アシュラフには、エスコート役がおりません。

 つけるな、と陛下に命じられました。

 だけど、私たちに続いて現れた彼女を、みじめに思う人物は、ただの一人もいませんでした。


 長く編まれた白銀の髪。

 それを際立たせる浅黒い肌。

 狼の鋭さをやどす黄金のまなざしと、堂々たる孤高のたたずまい。

 男物の礼服を着こなし、腰には剣を携えて、あくまで気高い武人として、アシュラフは大広間に現れました。その一挙手一投足に、非の打ち所はありません。私が丹念に教え、彼女が熱心に学んだ、王国の所作そのものです。


 「なんて麗しい方なのかしら」と、姫君たちは嘆息します。

 「なんと凛々しき武者振りよ」と、武官も感心しています。


 私の下座に座ったアシュラフは、あるいは王より威厳をそなえ、広間の視線を支配しました。

 王の歯ぎしりが聞こえます。

 開会の挨拶が済むなり、アシュラフは人々に取り囲まれました。その人気に、王はまたしても悔しがり、私にこそっと耳打ちします。


「おい、あれを踊らせろ。転ばせて、恥をかかせてやれ。どうせ蛮族、踊れぬだろう」


 私はうなずき、アシュラフのもとへ行きました。

 そして、手をのべて誘います。


「踊りましょう、アシュラフ。将軍家の出の正妃と、辺境出身の側室とが、親しくしていることをみなに見せ、我が国の安泰を示しましょう」


「喜んで、アデルハイド様」


 私たちは、踊りました。

 アシュラフは、王の期待と裏腹に、男性パートでもそつなくこなしました。彼女は物覚えがよいのです。ダンスのステップなど、ものの数日で覚えました。焦って転ぶ無様など、見せようはずがありません。

 彼女は、私の耳に口を寄せ、踊りながらこう言いました。


「アデルハイド様。やはり、このダンスというのは、あなたと踊るのが一番楽しい」


 肩に触れる指が、うれしそうな尻尾が、アシュラフの素直な気持ちを伝えてきます。

 私も、嬉しい。幸せです。

 だから、いまここで、私は殺されてもいいのです。


 一曲踊り終えた、その時。

 ガシャン、と、大きな音がして、広間を静寂が満たしました。


 王でした。床にグラスを叩きつけていました。

 怒りに震え、(おう)(しゃく)を手に、彼は私に近づいてきました。


「何をしている、使えぬやつめ!」


 振り上げられた王笏が、私の頭を殴りました。

 王妃の冠が、カランと鳴って床に落ちます。

 頬を伝うのは、赤い血です。


「お前まで、お前まで余に逆らうか! 愚かな妃、使えぬ妃、生意気な妃め! 何故、言った通りにしないのだ! ばかにしおって、この、この、この!」


 何度も、何度も、殴られて。

 私は、床に崩れ落ちます。

 衛兵たちは、止めません。止められないのです。だって、暴れているのは、自国の君主なのですから。

 痛い。怖い。痛い。

 だけど、アシュラフ。あなたを守りたい。


「お前など、こうしてくれるわ……!」


 王笏が、高々と振り上げられます。

 ああ、あの一撃で、私は死ぬ。

 王妃なのに、王に逆らって、殺される。


 ぎゅっと目を閉じ、終わりを待ちます。

 ……けれども、痛みはやって来ません。

 がん、とにぶい音がして、遠くで何かがカラカラと鳴りました。


 薄目を開けます。

 床に転がるのは、王笏です。


 王は、痛む手を押さえています。

 アシュラフが蹴ったのです。彼女は、高く振り上げた足をゆっくり下ろし、怒りに燃える目で言いました。


「許せぬ。愚王め」


 そして、腰の剣をすらりと抜き放ち、私を背にかばい、切っ先を王に突きつけました。


「アデルハイド様は、国の平和を守るため尽力し、貴様にさえ礼を尽くすよう、私に教えた。何も知らぬ私を導き、我が氏族が国に受け入れられるよう、助けてくださった。その献身の王妃に対して、王よ、貴様はいったい何をした!」


「う、う、うるさい、黙れ! ……兵よ、こやつを取り押さえろ! 反逆者だ! 今すぐ殺せ!」


「耳障りなのは、貴様のほうだ! 私を殺したくば、自らかかってくるがよい!」


「黙れ、黙れ、蛮族めが!」


「蛮族だと? 銀月族は、今やこの国の民だ! 王が自ら、自国の政治を裏切るか!」


「こやつを殺せ! 殺すのだ!」


「まともな言葉すら発せぬか。であれば、もはや問答無用!」


 アシュラフは、すばやく飛びかかり、王の(すね)を蹴り折って転ばせました。そして、ためらいなく剣を振り下ろしました。

 ざんっ、と、にぶい音がして。

 彼女は、何かを高々と掲げました。ぼたぼたと赤い血のしたたる、それは王の生首でした。

 人々の悲鳴を全身に浴び、垂れ落ちる血を頬に受けながら、アシュラフは高らかに言いました。


「狂王、討ち取ったり!」




 それからは、もう、てんやわんやの大騒ぎです。

 とてもではありませんが、舞踏会なんて続けられません。


 アシュラフは後ろ手に縛られて、牢屋送り。

 私は部屋に担ぎこまれて、医者がつきっきり。


 幸いなのは、アシュラフがその場で処刑されなかったことです。

 王を止めなければ私が殺されていたと、医者が証言してくれました。また、王が乱心していたことも、あらゆる家臣が目撃しています。アシュラフが、まずは言葉で(いさ)めようとしたのも、(しん)(しゃく)の余地があるそうです。

 おまけに、我が国の王が愚王であったことは、臣から民まで周知の事実。

 (ぎょう)()(しょう)には、アシュラフのための助命嘆願が、毎日山ほど送られたようです。


「だけど、あなたたちが微妙な立場なのは変わらないわよ、アデルハイド」


 枕元でそうおっしゃるのは、王の妹君です。

 まだ子の無かった王の代わりに、現在、仮の君主だそうです。


「あなたは、将軍家に戻ることになるでしょうけれど、その後の嫁ぎ先は無いかもね。もっとひどいのは、あのアシュラフ妃。彼女の身分を支えるものは、皮肉なことに、王だったから。辺境の銀月族の立場も悪くなるし、死なずに済んでも、どうなることやら。強力な後ろ盾でもあれば、話は別だけど」


 私はうつむきました。

 アシュラフを助けたかったのに、助けることができなかった。

 涙がじわりと、また浮かびました。


 その時、部屋の入口で、衛士が(おとな)いを報せました。入ってきたのは、二人です。一人は、私を診てくれる医者。もう一人は、近衛(このえ)兵長でした。

 二人は、それぞれあわてたように、私と、()(おう)陛下に訴えました。


「じつは、今すぐお耳に入れたいことが……」




 牢屋の中でさえ、アシュラフは顔を上げて堂々としていました。

 彼女は、自分のしたことに後悔がないのです。

 だから、私たちが彼女を訪れると、すぐに気がついて、こう言いました。


「私は幸せ者だ。最期に再び、アデルハイド様に会えるとは」


 アシュラフは、痩せて、汚れていました。

 閉じ込められているのですから、当然です。

 私のために、こうなっているのです。

 胸がきゅっと痛みます。


 仮王陛下は、アシュラフに告げました。


()王妃アシュラフ。あなたの処遇が決まりました」


「ああ。伺おう」


「……無罪放免です」


 アシュラフは、ぱちくりと目をしばたたかせて、困ったように私を見つめました。


「私は、武器を振り回し、人を殺した。この国では、それは悪いことではなかったか?」


「ええ、いけないことです」


「では、なぜ無罪に?」


「悪人を倒すためならば、必要だと見なされるのですよ」


 仮王陛下は、咳払いをしました。

 私は、あわてて黙ります。


「アシュラフよ。じつはあの後、二つの事実が、明らかになったのです」


「どのような?」


「一つは、後宮に侵入した賊のこと。あなたが素手で退治した五人組です」


「ああ、懐かしい。そういうのもいたな」


「あれは、あなたが殺した王の手先でした。王は、あなたを殺させるために、わざと賊を後宮に送り込んだのです」


 アシュラフは、()(ぜん)として、仮王陛下を見つめました。陛下も、兄君の愚行について、気まずそうにうつむいています。

 このことを調べた近衛兵長は、恥と怒りに歯を食いしばりました。彼は、後宮の内部に協力者がいなければ、賊が侵入することはできないと気づき、秘密裏に調べ続けていたのでした。まさか、王本人が内通者だったとは、誰も思いませんでしたが。


「……して、もう一つの、明らかになった事実とは?」


 仮王陛下は、ちらりと私の方を見てから、答えました。


「正妃アデルハイドのお腹に、お世継ぎがいることがわかりました」


 アシュラフは、またまたぽかんと口を開き、まじまじと私を見つめました。

 王に殴られ、大変な怪我を負った私のことを、医者はつきっきりで診ていました。それで、私の妊娠の兆候に、いち早く気づいたというわけです。

 私は王妃。もちろん、相手は王しかいません。


「アシュラフよ。つまりあなたは、妃を手にかけようとした愚王を(はい)し、これから生まれる新王を守ったのです。ですから、あなたは無罪です。城の者たちも、多くの民も、あなたの助命を訴えていました。満場一致の無罪です」


「なんと。……では、今後、私はどうなるのだ?」


「あなたは王妃ではなくなりましたが、新たな王太后となるアデルハイドが、あなたの後見人になると申し出ました。彼女は将軍家の出身ですから、伝手(つて)を頼って、武の道に進むのも良いでしょう。銀月族の立場についても、心配無用ということです」


「そうか。……そうか、そうなのか!」


 喜びを噛みしめるように、アシュラフは何度もうなずきました。そして、尻尾をぱたぱた言わせて、私に笑いかけました。


「では、私はまた、あなたの指揮下だ、アデルハイド様!」


 私も、笑みを返しました。はずみで涙がこぼれました。


「はい、アシュラフ。また一緒です」


 (かせ)を外され、鎖を外され、鉄の柵から出てきたアシュラフは、仔犬のように飛びついて、私のことを抱きしめました。

 囚人だった彼女の体は、つんと饐えたにおいがしました。

 また、あなたをお風呂に入れてあげなくてはね。




 その後、私は男の子を産み、王太后となりました。

 仮王陛下が(せっ)(しょう)となり、赤子の王を支えてくれます。

 もともと、前の国王も、政治は家臣任せだったのです。王が赤子でも、あまり変わりません。摂政様が加わって、却って良くなったほどです。


 王妃でなくなったアシュラフは、近衛兵となりました。

 将軍の父が、アシュラフを国軍の武将にしたがったのですが、それでは私と離れ離れになってしまうと、アシュラフは断固として拒みました。


 今、アシュラフは王太后の専属です。

 つまり、私といつも一緒です。


 専属なのをよいことに、アシュラフは時折わがままを言うようになりました。

 今朝、急に「遠乗りしよう」と言い出して、私を馬に乗せて連れ出したのも、その一つです。


 一頭の馬に、二人で乗って、都近くの草原を駆けています。

 吹き抜ける風が気持ちいいです。

 後ろのアシュラフに背を預け、寄りかかって、高い空を仰ぎます。


「良い天気ですね。雲一つない」


「そうだろう。アデルハイド様に、どうしてもこれを見せたかった」


「空を?」


「いかにも。あの男が生きていた頃、あなたはいつも窮屈そうにしていた」


「……」


「そういう時は、馬に乗るといい。空、草原、風のすべてが、己のものだと思い出せる」


 にっと笑うアシュラフの笑顔に、私の胸が高鳴ります。

 勇ましくて、誇り高くて、ちょっと強引で、野性的な、私のアシュラフ。

 あなたの前で、私は己を殺す必要はないのね。


「アシュラフ」


「うん?」


「大好きよ」


「うむ! 私もアデルハイド様が大好きだ!」


 仔犬のような、白い牙を見せた開けっ広げな笑顔には、おそらく他意は無いのでしょう。

 お肉や乗馬が好きなのと同じように、あなたは私が好きなのでしょう。

 いいのよ、アシュラフ。それでもいいの。

 アデルハイドも、あなたが好きよ。

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