第二話 オーディションへの道
春の空気が、ほんの少しだけ湿気を帯び始めてきた放課後。
公園の小さなステージ広場に、ひよりの声が響いていた。
「いーち、にー、さん、しっ!」
スマホから流れる音楽に合わせて、彼女は全力で踊っていた。
ステップ、ターン、手の角度、指先まで神経を通すように。
その横で、俺はノート片手に、汗だくの彼女を見つめている。
「……腕の振り、ちょっと小さくなってる。あと、入りのテンポ、少し速すぎた」
「うぐっ、マジか〜……やっぱり?」
「けど最後のターン、今までで一番綺麗だった。足の運びが自然だったし、髪もふわってなったし」
「ふわって……それ褒めてる?」
「褒めてる」
ひよりは息を切らせながら、水筒の蓋を開けてがぶ飲みする。
額の汗を手の甲で拭いながら、どこか誇らしげな顔をしていた。
「蓮がいてくれると、ほんと助かるな〜。わたし一人じゃ絶対ここまで詰められないもん」
「そりゃあ、俺がマネージャーだからな」
「……勝手に役職つけたくせに、めっちゃ仕事してくれるの、ほんとずるいよね」
「仕事しないマネージャーはただの荷物だろ」
「うわ、かっこいいこと言ってる〜! え、惚れる〜」
「惚れるのは審査員にしとけ」
「それは言い返せないやつ!」
ふたりして笑った。
けど、この距離感も、今だけなんだろうなって思ってしまう。
場所を変えて、今度は学校の音楽室。
歌の練習は音を外しても怒られないように、放課後のここが定番になった。
「うー……高音がやっぱキツいなあ……喉が開いてないのかな」
「一回腹式のリズム戻してみよう。さっきの息の流れ、たぶん力んでる」
「……よくそんなの分かるね?」
「ひよりのことなら、大体分かる」
「…………」
一瞬、ひよりの手が止まった。
「そ、そっか……。じゃあ、もっと分かりやすくミスしないといけないかな?」
「いや、そういう意味じゃない」
「ふふ、分かってるよ。ありがとね、蓮」
その笑顔は、ちょっと寂しそうで、でもあったかかった。
帰り道。ふたりで歩く坂道は、いつもよりちょっとだけ静かだった。
「ねえ、もしさ」
ひよりが不意に口を開く。
「……もし、わたしがこのままうまくいって、本当にアイドルになったら」
「……うん」
「蓮はどうするの?」
「どうするって?」
「そのまま、ずっとマネージャー気取りで応援してくれるの?」
立ち止まった彼女は、夕暮れの空を背にして、俺を見上げてきた。
その瞳には、答えを求めるような色があった。
だけど、俺はまた、心に蓋をしてしまう。
「応援するって、決めてるから」
俺のその一言に、ひよりは小さく息を吐いた。
「……そっか」
何も言わず、また坂を歩き出す彼女の背中が、いつもより遠く感じた。
夜。帰宅しても、眠れなかった。
ベッドに寝転びながら、スマホの画面に映る“応募要項”を眺めていた。
ひよりが目指すアイドルグループの説明、活動内容、求められる資質。
“キラキラした笑顔で、人を惹きつける子”
そこには、あいつの名前がまだ載っていない。
けど、いつか載る気がした。きっと、そう遠くない未来に。
「……本当は俺も、惹きつけられてるんだけどな」
呟いた言葉は、当然誰にも届かない。
——届いちゃいけないって、決めたんだから。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
物語を楽しんでいただけたなら、ぜひ【★評価】や【感想】をいただけると励みになります。
みなさんの一言が、次の執筆のエネルギーになります!
もし「続きが気になる」「このキャラ好きかも」なんて思っていただけたら、
その気持ち、ぽちっと★や一言感想にしてもらえると、とても嬉しいです。
それでは、また次話でお会いしましょう!