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 小中学年と、僕はたくさんの支えによって生きながらえてこられた。みんなが居なかったら、生きてさえいないのかもしれない。

 今でも覚えているのが、中学のころの記憶だ。ショッピングセンターで両親とはぐれてしまった。一度はぐれたら、その場を動かないことがベストの決断だろうと、両親ともそう話していた。けれども僕は、動いてしまった。当時読んでいた小説に出てきた曲が聞こえたのだ。輪唱で有名なパッヘルベルのカノンだった。音に導かれるように歩いてみると、音楽教室のイベントで、その曲が奏でられていた。大好きな小説も相まって、僕は泣いていたのだと思う。そんな時に声をかけてくれたのは、幼稚園児くらいの子だった。迷子になって泣いていると勘違いしたようで、その子のお母さんとサービスカウンターにまで案内してもらった。結果として、迷子だったのは事実で、非常に助かったのは言うまでもない。僕が盲目なことを知っていたのかどうかはわからないが、助けてくれたことがとても嬉しかった。両親には、こっぴどく叱られてしまったが。

 だから一緒に帰ったあの日、松浦さんが介護関係やひとりで生きていくのが難しい人をサポートする仕事がしたいと、夢を語ってくれたことが嬉しかった。優しい松浦さんならきっと叶うよと自信をもって言えた。


「夢か……。僕には未来があるのかな……」

「ん? なんか言ったか?」


 運転席いる父に、首を横に振った。


「独り言」


 楽しみにしていたドライブの日。窓を開けると気持ちの良い風が入ってきた。けれど、父は窓を閉めてエアコンを入れる。母は後ろで鼻歌を歌っている。ラジオから流れてくるのは、平成の名曲リクエスト集だ。最近ではこういう曲は流行らないのだろうか。イントロからバンドのこだわりが垣間見える。遊び心も曲中で感じる。音楽を楽しんで作っているんだなと耳で感じた。サビに向かって、ボルテージが上がっていく。ドラムが合図をすると、曲が一気に弾けた。

 それなのに、僕の気分はあがらなかった。ドライブが楽しくないわけじゃない。大きなショッピングセンターにも寄ってくれるらしい。お昼は何を食べようか。初めての町で、わくわくした。

 けれど僕は失敗してしまった。ドラムのリズムが狂ってしまい、バンド全体の音楽が狂ってしまうみたいに。タイミングを間違えた。

 出発前、父の今日の予定を訊いていた。その時に、お願いをしてみたのだ。ゲームが欲しいと。


「ねぇ、お父さん。欲しいものがあって」

「珍しいな、何が欲しいんだ?」

「ゲーム、ゲームが欲しい。友達の家でした頭にかぶってするゲーム」


 そう言った瞬間、沈黙が流れた。少し離れた場所で、メイクをしていたお母さんの手も止まってしまったようだった。

 ここまでされたら、僕でも言ってはいけないことなんだとわかる。今思えば、ゲームなんて物を、この家の敷居をまたいだことはない。テレビだって、見て良い時間は決まっていたし、映画やアニメも両親の許可を貰っていた。


「誠一郎、お前、ゲームしてから頭痛くなっただろ。あのとき、つらかったんじゃないのか?」

「うん……、でも――」

「でもじゃない」


 父が僕の両肩に手を置いてくる。


「お父さんも、お母さんも。誠一郎のことが大切なんだ。だから苦しむところを見たくない。ゲームをしたい気持ちはわかるけど、お前の体には負担が大きすぎる」


 「うん」と言いかけてやめた。あの世界なら、僕の目は生き返る。みんなの笑顔も見られるのだから。両親にたてつく訳じゃない。ただわかってほしい。僕があの世界でどんなに素晴らしいものを見たのか。どんなに興奮したのかを。


「あのゲームなら、目が見えたんだ。葉っぱとか、草とか、木が揺れる姿とか。友達が笑う顔も見れた。小さい頃のこと、なんとなく、思い出せた気がする。自分はどうやって歩いてたか、話してたか、笑っていたのかがわかった気がする。だから、どうしてもあのゲームが欲しい!」


 父は考える間も置かず、返答してくる。


「ダメだ。絶対にダメだ。昔のことなんか、思い出さなくてもいい。この話は終わりだ。出掛ける準備をしなさい」


 車が動き、流れる景色を想像した。コンクリートをけ破る草。擦った跡がある電信柱。ハンドルの高さを変えた学生の自転車。犬に引っ張られるおばあちゃん。

 あの世界なら、もっとたくさんの景色が見られるんだろうな。動き回って、モンスターと戦って。なにか仕事もしてみたい。なんでもいいから作る仕事がいい。大工とか農業とか、僕でも職人になれたりしないかな。作った物を買ってくれた人が「すごくよかったよ」「とてもおいしかったよ」なんて言われて。そんな笑顔が見てみたい。そうしていたら、運命的な出会いをして、恋をしたりなんかして。お互いの背中を守るような存在になって。うれし涙とかを見られたら僕はきっと、泣いて喜ぶのだろう。


「ほら、着いたぞ。ここがこの辺で一番大きいショッピングセンターだ」


 いつもと変わらぬ口調の父は、駐車場に車を止めた。後部座席から母がおり、次に助手席の僕の手を引いておろしてくれた。

 外の空気を吸い込むと、どうしてもあの時に見た景色が脳裏をかすめた。

 ショッピングセンターの中は、人でごった返していた。まっすぐ歩くことも困難で、店を見て回る余裕もない。一階をなんとかひと回りし、二階に上がると父が言う。


「ここ席空いてるし、一休みしようか」


 コーヒーのにおいが漂う店だった。おしとやかな音楽がしっとりと流れている。コーヒーを選んだ母が、僕の隣でメニューを見ながら訊いてきた。


「誠一郎は何にする? カフェモカもあるよ。あとは、紅茶とか、ソフトドリンクもあるね」


 父も母も、今朝のことは忘れたみたいに聞こえる。でも僕は忘れられないでいた。歯茎に食べ物が挟まって取れないときみたいな、そんなほんのちょっとの違和感。気持ちが悪いわけではない。気にしなければいつかは忘れてしまうような、そんな気持ち。


「カフェモカにしようかな。甘いのも食べたい」

「ケーキもあるよ。パンケーキとか、スコーンもある」

「パンケーキにする」


 父が注文しにいった。

 僕は白杖を手に立ち上がる。


「誠一郎?」


 母が心配そうに、僕の手首を掴んだ。


「ちょっとトイレ行ってくる、ひとりで」

「だめよ、人も多いし」

「すぐ近くだから、大丈夫。この店、なんて名前?」

「ユトリコーヒーだけど……」

「わかった。絶対帰ってこれるから」


 逃げるようにして、店を後にした。レジカウンターに並ぶ父の視線を感じたが、気付かないふりをした。

 トイレというのはもちろん嘘だった。そもそも、トイレの場所もわかっていない。でも行きたい場所があって、その場所は覚えている。二階にエレベーターで上がってすぐ、僕の耳はその店を認めていた。白杖で床を叩く。いつもよりも強めに。そうすれば、人はなんとなく道を開けてくれる。

 白杖が障害物を教えてくれた。体をカニみたいに一歩横に動かす。白杖で確認する。道は開かれた。おそらく店の看板か何かだろうと足を止めずに動かし続ける。

 そのまままっすぐ突き進んでいくと、エレベーターの到着音が耳に届いた。ここまでくれば、あの音が聞こえる。方向的に、ここを右に曲がるようだ。まっすぐ、まっすぐ。額に汗がにじむ。自分の呼吸する音がうるさく聞こえた。もうすぐ、もうすぐ。息を落ち着かせて、店の前に立った。

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