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クラスは僕が入って三十一人になったと聞いた。僕の席は二班のようで、六班だけが六人編成だ。
四時限目の国語で、班別にわかれた授業が行われた。そのおかげか、二班メンバーの名前と声が一致した。一番最初に声をかけてくれたのが、前の席の尾上翔くん。尾上くんの前に班リーダー、坂本涼くん。尾上くんの隣の席に、声が特徴的だった、森萌音さん。そして、僕の隣が、声が小さくて近づかないと聞き取れない、松浦立夏さん。
「はい、誠くんのね」
森さんが、僕の机におぼんを置いた。
「ありがとう、森さん」
「萌音でいいよ、森って好きじゃないから」
好きじゃないと言われたら、合わせない訳にはいかない。思い返せばこれまでクラスメイトに、森と呼ぶ人は居なかったような。僕は、味見をするみたいに「萌音」と口ずさむ。
「はい、よろしい」
絶えず鼻から入る空気には、教室中の料理臭が混じっていた。今日の献立はなんだろうか。
料理は目で見ても楽しめる。けれど見えないながらに楽しみもあった。見た目で味を想像できないことだ。だから、味で見た目を想像している。魚の形。野菜の形や色。焼いたらどんな色になるのか。もし、おぞましい虫が絶品だったら、なにも知らずうまいうまいと食べてしまうだろう。それに、僕の頭の中では高級料理にでも想像されてしまうかもしれない。
そんなことよりご飯だ。すでに食べ始めている音もした。僕も後に続く。
机に手を置き、中央までずらすようにして動かすと、指先がおぼんに触れた。指を浮かせ、おぼんの中の箸を確認する。左手はそのままに、右手で箸を持った。さて、どれからいただくか。
「いただきます」
最初に触れた食器を持つ。けれど、軽かった。プラスチックの器の重さしかない。何も入っていないのか。頭で理解した瞬間、動悸が激しくなっていくのを感じる。
空だとわかっていても、箸を食器の中に入れてみる。気付かないフリをしたわけではない。どうしていいのかわからないのだ。箸に手ごたえはもちろんない。別の食器も試してみる。それも変わらず空だった。
誰かの机に乗ったご飯のにおいをかいでいた。どんな料理なのかと、想像した。僕の前には何もないのだと自分で証明して、恥ずかしく、悲しい。
どんな顔をしたらいいかわからない。ただただ俯いて、この時間が早く過ぎればいいのにと願うばかりだった。
背中に一筋の冷たい汗が通ったとき、教室の中で大爆笑が湧いた。空中で花火が開くみたいに大きな音だった。
「悪いな! 誠一郎。冗談、冗談。お前の反応が面白くて、つい意地悪しちまった」
この声は、尾上くんだ。笑いを押し殺すように言っている。
「今、よそってきてあげるからね」
僕の机からおぼんが上げられ、次に帰ってきたときには、暖かい湯気が頬を
撫でた。
「泣いてる! おい、泣いてるぞ」
たぶん隣の班からだ。目を擦ると、手の甲が濡れたので、本当のようだ。誤魔化すように目をぎゅっと閉じ、上を向く。きっと、いまひどい顔をしてるだ
ろうな。
「おーい、流石にうるさいぞー」
先生からの掛け声で、この騒動は落ち着いた。けれど僕は笑えなかった。笑い飛ばしてしまえば良いのだろう。その方が、ノリが良いとか面白いとかで、クラスに馴染めるのかもしれない。自分でも、大人しい性格ではないと思っているし、はっちゃけたり賑やかなのは嫌いじゃない。ちょっとしたいたずら傷ついたりすることもこれまでなかった。それなのに、なんで今日は、今回だけは、こんなにも締め付けられるような気持になったのだろう。
給食の時間が終わると、昼休みにみんなが謝ってくれた。やりすぎたと言ってくれた。
「いいよ、いいよ、全然。めっちゃびっくりしたじゃんかー」
そうやって、僕も楽しく答えた。だからこのことはもう忘れよう。
うじうじと考えていたら、昼休みに職員室まで来るようにと言われていたことを忘れていた。近くに尾上くんや萌音の声はない。これはひとりで行かないといけない。
椅子をロッカーまでずらし、上に乗せておいた白杖をさがす。
「あれ、たしかこの辺に……」
じたばたと腕を伸ばし手を動かすが、一向に見つからない。電気のスイッチがなかなか見つからないのと同じだ。しかも、こういうときに限って尿意を催す。そして焦りが芽生え、どちらも――。
僕は一度落ち着くために息を吐き、立ち上がった。これで白杖が見つからなかったら、椅子さえ見失う可能性がある。
「何か、探してる?」
小さな声が聞こえた。透き通った、雲のようにも、霧のようにも聞こえる
声。松浦立夏さんだ。
「あ、えっと。白杖を」
「あの白と赤の棒だよね。ここにあるよ」
松浦さんの手と白杖が、僕の手に当たる。
「ありがとう」
折りたたみ式の白杖が伸びきっているかを指先で確認して、床に軽く当てた。
「どこか、いくの?」
「トイレと職員室。呼び出されてたから」
「場所、わかる?」
自信はない。けれど、頷いておく。朝から教室を一度も出ていないが、朝に先生と来た道を戻ればなんとかなるだろうと思った。
踵を返し、白杖を頼りに歩みを進める。これでも何年も付き合ってきた白杖だ、なんの問題もない。
「痛った!」
ガンッと椅子がひっくり返る音とともに、僕もひっくり返る。
「だ、大丈夫!?」
さっきまで座っていた自分の椅子で、脛を打ってしまった。こんなことになるなら、素直に手を借りておけばよかった。
何度も自分の脛を労り、痛みがひいてきたところで、松浦さんから白杖を受け取った。
「えっと……、手を貸してもらっていいかな」
「は、はい。私で、よければ」
松浦さんの手は頼りなく、ウサギにでも引っ張られているような気になってくる。本当は、腕に掴ませてもらう方が心強く、安心する。それだとさすがに緊張もするし、松浦さんにも悪い。だから手を引いてもらっている。
トイレが済んで、念入りに手を洗ってから出た。
「ここから、階段」
松浦さんが足を止める。白杖で最初一段を確認し、足を乗せた。
「見ずに、階段って、怖そう、だね」
「小学でも中学でも使い方教えてもらって、コツとかもあるらしいんだけど、僕は下手くそで」
「私は、絶対、できないから。下手も、上手いも、ないけどね」
松浦さんがふふっと笑った。
一階に降りてから、右に曲がり、左に曲がりをしていると、職員室前に到着した。
「担任の、先生、だよね」
「うん」
中まで付いてきてくれるらしく、僕はそのまま連行される形で職員室に足を
踏み入れた。
どこかから、チョコレートのような甘い香りがしている。
「おぉ、来たか」
担任の前まで来たらしい。
「鳥山。お前、委員会には入れるか?」
「委員会ですか?」
「あぁ、この学校、一応な、委員会か部活、どちらかには所属しないといけない決まりになっててな。入学前に部活は難しいってのは話してたけど、委員会ならどうかと思って」
僕は「んー」と息を吐くような声を出した。ふと思い立って、隣にいるはず
の松浦さんを見た。
「松浦さんは、部活か委員会、どっち入ってるの?」
「私は、委員会」
「委員会かぁ」
入りたくない訳ではない。できる仕事があるなら、手伝いたいとも思う。けれども、疲れるだろうな。知らない町に、慣れない環境。すぐに頼ってしまうのも嫌だった。それなら、荷を負わない方が良いのではないかと思う。免除があるなら、免除を。そう思ったとき、担任が言う。
「そういえば、松浦は図書委員だったな。いま空いてるのは、図書委員、美化委員、放送委員だな」
松浦さんの表情はわからないが、ここで図書委員にすると言って、いやな気になったりはしないだろうか。
「図書委員に、したら?」
意外な言葉が飛んできて、僕は見えない目を見開いた。
「放送は、文字読めないと、だめだし。美化委員は、ごみ、見つけて、掃除しないと、だし」
松浦さんは「それに」と続ける。
「私、鳥山くんのサポート、してみたい」




