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光の在り処は闇の中  作者: 結野セキ


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『将来のことを考えられる人は、今が充実している人だけだと僕は思う。今があるから将来がある。僕たちには今もないから将来もない。真奈が母に殴られて、布団の上でぐったりとしている。水風呂に頭を突っ込まれたのだろう。切られず洗われもしない髪が、濡れていた。真奈の髪を、そのへんに落ちていたシャツで拭いてやる。もう泣き止んだだろか。声は聞こえないが、呼吸するたび背中が動いていた。「逃げようか、どこか遠くで」もう中学の年齢になった僕は、この発言の無責任さがわかっていた。逃げたってどうにもならない、そうわかっていても、ここに居てもどうにもならない。真奈は布団の中で小さく「行く」と言った。暗いうちに出ていこう。母のアルコールが抜けない時間に。荷物をまとめて、一番大きなリュックに詰める。担い妹を先に外に出した。僕は母が寝ていることを確認して、冷蔵庫から食料を。財布からお金を取って、自分の鞄に詰め込んだ。腹いせに、と母がいつも飲んでいるウイスキーのキャップを開けた。流し台に捨ててやろう。手に力を込めたとき、動かなくなってしまった。死んだ動物みたいに固くなる。「くそっ」唾を吐きながら言ったとき、母が赤子のような甘い声とともに、寝返りを打ち、僕は我に返った。酒なんてどうでもいい。瓶を置いたままに、僕は妹と家を出た。ゆく当てもなく歩き続けた。真奈は一言も話さず、付いてきている。いつのまにか、僕も知らない場所まできている。とっくに学校区内は過ぎているだろう。ひたすら真っすぐと歩いた。大きな道も細い道も。黒に染まっていた空が、どこからか青くなってきた。冷たく凍った氷を、太陽が溶かしているみたいだった。住宅街に沿うような道の先に、太陽が昇ってくる。僕たちは足をとめてそれを眺めていた。僕たちの人生という道に太陽は昇らない。歩き続けても、光はささない。「君たち、こんな時間に何しているの?」声がした方を見ると、背の高い男が立っていた。逆光で顔はよく見えない。それでもその人が誰で、何のために立っているのかは、服装からわかった。助けの手を差し出すのも、助けの手を求めるのも。そして、拒絶するのも、僕たちの自由だった。警察官は僕の腕を掴んで言う。「交番でお茶でも飲んでいくと良いよ」』


 海くんに朝一番で、今日例の物が届くんだと伝えた。海くんは、跳びはねて喜んだ。


「良かったな! 絶対一緒に遊ぼうな」


 そして、俊斗くんと碧さんにもお礼を言った。

 正直なところ、あれだけ勉強も頑張ると言っておいて、今日はまったく授業に集中できていなかった。でも今日だけは許してほしい。家に帰ったら、あの世界に入れる。

 こういう時に限って、五十分の授業時間が無限にも感じる。スマートウォッチの震えがなかなかこない。今日だけで何度、早く早くと念を送ったか。数えることもできないほどだ。

 掃除の時間が終わり、ホームルームの話を聞く。近々課外授業があるらしい。よく話を聞いていなかったが、バスに乗ってどこかに行くそうだ。


「はい、じゃあ、お知らせは以上です。えっとー、何だっけな」


 担任がじれったく言う。もう、早くしてくれないかな。


「あぁ、そうだ。学級委員からの知らせがあるんだった。後は頼んだ」


 このクラスの学級委員は三田小豆さんと桜とおるくんだ。二人が、席から立ち上がるのを聞いた。


「えっと、学級委員からのお知らせです。ポスターとPOPを描いてくれる人を募集しています。詳しい内容は三田までお願いします」

「次に、学校周辺でのイベント参加のお知らせです。来月の二十八日。市のイベント、よろっさが開催されます。そこでのボランティアを募集しています。参加できそうな方は、桜までお願いします。以上です」


 やっと終わった。どんな箱で届いているのだろう。どうやって組み立てればいいのだろう。早く、早く見たい。


「はい、じゃあ、以上解散」


 先生が合図すると同時に、部活へ行く者、帰る者、委員会に行く者が立ち上がった。僕もそのひとりだった。鞄に荷物を雑につめて、立ち上がる。右手で白杖を掴み「じゃあまた明日」と言おうとしたとき、小さな声が微かに聞こえた。


「あ、待って。図書室まで、私が、連れて、行くから」

「え?」

「え?」


 松浦さんに、帰るのを阻止された。腕をひっつかまれる。そのまま図書室に連れていかれる。


「今日、当番だから」


 僕たちにとって、初仕事が大切なのはわかる。でも、でも、今日だけは……。

 そんな願いも届かず、僕は図書室のカウンターに座っている。誰もいない、静かな図書室。待っていても誰もきそうにない。


「今日、見てたら、わかるよ。なにか、いいこと、あるのかな、って」


 バレていたのか。仕方なく白状した。


「ゲーム、買ってもらったんだ。それが今日届くみたいで」

「そう、だったんだ。よかったね。じゃあ、今、宿題、終わらせちゃったら?」


 なるほど、それはいい! いいアイディアだと鞄をまさぐる。タブレットとキーボードを出してきて、宿題一覧の二次元コードを用意する。


「これ、すごいよね。先生の自作なんでしょ?」

「そうみたい」


 使い方は簡単だった。いつも使っているタブレットでコードを読みこめば、みんなに出される宿題と同じものが室題される。読み上げのショートカットキーも用意されていて、戻ったり進んだりも容易だ。各科目担当の先生が、担任に宿題を回しいてくれているので、すべての科目が対応可能だった。

 宿題をしばらく進めていた。イヤホンを片耳だけにして、外の音も聞こえるように気を付ける。

 半分ほどの課題をクリアしたところで、図書室のドアが開いて、すぐに閉まった。見てみると、女子生徒が一冊の本を持って歩み寄ってくる。


「返却、お願いします」

「はい、お待ちください」


 松浦さんがバタバタと引き出しを開けている。隣だから聞こえるが「あっ」とか「えーっと」とか「これじゃない」とか。小さな声でぶつぶつ呟きながら動いていた。


「ハンコ、ハンコどこだっけ」


 この前の委員会で、説明は聞いていたけれど、松浦さんが探しているハンコが何用でどのハンコなのかすらわからない。知っていても、僕には見つけられないのだが……。


「机の右側の引き出しだと思いますよ」


 松浦さんとは違う声で、返却しに来た人の声だとわかった。すぐに松浦さんの「あっ」という声が聞こえ、手続きが終わったようだった。


「ありがとう、ございました」


 返却しにきた人は、また一冊の本を借りて、去っていった。扉が閉まり、出ていった生徒が階段を降りていく。そんな小さな音をかき消したのは、松浦さんの「はぁ」という吐息だった。


「お疲れさま」

「うん、ちょっと、緊張、しちゃった」

「そうみたいだね」


 松浦さんの緊張具合は、隣にいたからか伝わってきた。心なしか熱気まで感じる。なんだか、始めて見る松浦さんだった。ここ数日間接していると、どんな状況でも落ち着いていて、誰にでも同じように話しているように聞こえた。


「なんか、意外だった。松浦さんも、緊張したり、焦ったりするんだ」

「えぇー」


 松浦さんの声が裏返る。


「するよー。人と話すの、苦手なんだよ? 図書委員なら、話さなくても、いいかなって思って、入ったし」

「そうなんだ。そんな感じはしないけど」


 少し、意地悪を言うようだったか。でも松浦さんは「んー」と唸る。その声が思いのほか近くで聞こえて、僕は思わず身を引いた。


「なんか、鳥山くん、だったら、話せる」


 また声が近い。今度はどこか甘いにおいまで感じた。松浦さんの髪が頰を撫でたのかと思うほど、こそばゆい。


「どうして?」

「見えていない、から、かな」


 僕は小首を傾げた。初めて言われた言葉だった。


「なんか、鳥山くんの、表情って、すごい、豊かな気が、するんだよね。それで、私が、話していても、鳥山くん、からは、見えないから。私からしたら、安心できて、話しやすい、気がするの」


 言っていることは、なんとなくだが理解した。松浦さんはたぶん、目を見て話すのが苦手なのだろう。だから見えない僕が、話しやすいのだと思う。


「失礼だったら、ごめんね! 悪気はないの」


 首を横に振ると、腕のスマートウォッチが震えた。


「そろそろ帰ろうか」


 「うん」と元気よく返事をして立ち上がったものの、松浦さんがほとんど片付けをしてくれた。エアコンを切り、電気を消し、かぎをかける。どこかで練習してきたのかと思えるほど早く、委員会の仕事が終わり校門を出た。


「入学してから、一番、行ったのが、図書室、かも」


 と言いながら笑う松浦さん。そんなに本が好きなのだろうか。

 当たり前のように、隣で歩き、僕を誘導してくれている。覚えた信号も、覚えた曲がり角も。いまだ使いどころがないのには少し困っている。けれども、今日は、早く家につけて三倍感謝した。


「三倍感謝デーだ」


 思わず口に出てしまっていた。


「三倍?」

「い、いや、何でもない。ありがとう、と思って」


 苦笑を浮かべながら、言い訳の言葉を並べる。変なことを言ってしまった。困っていないかな。

 いま歩く道をまっすぐ行けば、家が見えてくるはずだ。もう少し、あと少しと、僕の歩くスピードが速まる。たぶん松浦さんも気づいてはいるのだと思う。困ったそぶりもせず、僕の歩幅に合わせてくれた。


「じゃあ、松浦さん。今日もありがとう。一日助かった」

「うん、また明日ね」


 ふと、ゲームの中で手を振る松浦さんが思い浮かんだ。僕は松浦さんの顔を知らないから想像でしかないけれど、小さな手を夕日を背中にして、振っている。大きくは振らないかな。顔の横で小さく、おしとやかに。

 家の中に入り、どでかい段ボールに足が当たる。家の中で物に当たるなんて初めてで、開いてもいないのに、興奮してきた。


「また、あの世界に!」

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