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夜に爆ぜ朝を食い尽くせ  作者: 蜂月ヒル彦
第一章 新宿編
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第六話 エレベーターの中で

「あれ? このエレベーター、いつもは駅の反対側にあるやつじゃない? 何で此処に……」


 見つけたエレベーターは、普段百貨店に通じている物とは形状が異なっていた。

 此処には本来、モダンな白いアーチ状の天井の下に五つの扉が並び、扉を黄金色で装飾された、品格ある豪奢なデザインエレベーターが見える筈だった。


 しかし、目の前にあるそれは、薄汚れた白い扉の周りに銀の枠が取り付けられただけの簡素なもので、その上エレベーター自体も一つだけ。隣に並んでいる筈のエレベーターも、今はただの白い壁になっていた。到底同じ場所とは思えない。


 当惑する私に、イヤホンの声の主は落ち着いた声で答えた。


「正確に作り込めなかったんだろう。君が気付けるくらい、相手が下手で助かった」

「……もう少し貴方が状況を分かり易く話してくれると、もっと助かるんだけど」


 疑問に答えてくれるのは助かるのだが、その返答が何の事を言っているのかこちらが全く理解ができないので、結局解決には程遠い。

 肩を落とす私に、声の主は再び鋭く指示を飛ばした。


「早く行った方が良い。少しずつあれが近付いて来ている」

「近付いて来てる? あの砂利みたいな音は聞こえてこないけど……分かるの?」

「君とは違う形で僕も認識している。とにかく急げ。上の階だ」


 急かされるままに、無愛想な見た目の、矢印が書かれたボタンを押す。

 すると少し遅れて、自分の耳にあの砂利を這うような音が入って来る。大量の小石を耳の中に直接流し込まれているような独特な気持ち悪さに、はっと息を止めて背後を見る。まだ姿は見えない。


 ポーン、と言う能天気な余韻の長い音がすると、扉が開いた。

 滑り込むように身体を横にしながら中に入り、すぐに『閉』のボタンを押す。

 閉まるまでの間、扉の隙間から何か飛び出して来るのではないかと、戦々恐々と注視していたが、特に何も起こる事無く、静かに扉は閉じた。


「それで、何階に行けば良いの?」

「とりあえず、一番上だ」

「一番上……」


 言われた通りに指を滑らせて一番上の十三階を押すと、ボタンが乳白色に柔らかく光った。

 目的の階を設定されたエレベーターは、粛々と緩やかな上昇を始めた。


 何となく重苦しい空気の中で、自分の吐息と、イヤホンの向こう側の低い駆動音だけが聞こえてくる。

 走って乱れた息を整え、状況を整理できる時間が来た事に気付いて、私は誰も居ない空中に視線を向けた。


「ねえ」

「何だ」


 声が返って来た。電話が通じている訳でもないのに会話ができる、その事実に改めて驚く。


「えっと……せめて、貴方が誰かくらいは聞かせてくれない? 今はできる事無いし。説明、欲しいかなって思ったんだけど。どう?」


 別に自分が悪い事をした訳でもないのに、一歩間違えれば答えてくれないのではと危惧して、変な訊き方になってしまった。

 だが想像とは違って、イヤホンの声の主は「そうか」と淡白ではあるが納得したような反応を見せた。

 

「……そうだな、説明が難しいが……僕は————」


 ところが、声の主が漸く何かを喋ろうとした途端、突然声が聞こえなくなった。

 電話の回線が切れかかっている時のような、ぶつぶつと言う音が鳴って、次の瞬間には何も聞こえなくなってしまった。


「え? 何?」


 訊き返してみるが、やはり声は聞こえてこない。電源が切れたのだろうかと思って確かめてみるが、どうやらそれも違うらしい。

 

「もしもし? 聞こえる? あの、もしも……っ」


 イヤホンのマイクに向かって何度か声を掛け続けていると、不意に足元が揺れたような気がした。


 地震……————いや。そうではない。床下に何かが引っ掛かって、その重みで震えているような、そんな揺れだった。


 ————カンッ。


「ひっ」


 不意の大きな音と衝撃に、思わず壁際に飛び退いた。

 太鼓を打つように心臓が脈打っている。ど、ど、ど、と全身に響いて、脈打つ度に身体が僅かに震える程だった。


 今、下から何か、硬い物で床を叩かれたような。


 床下なので確認はできないが、間違いなく何かがぶつかったような、とにかく異音が聞こえた。


 だが上から何か物が落ちてくるならまだしも、エレベーターの外側から床下にぶつかるなんて、そんな事があるのだろうか。まさか、下に、何かが居ると言う事なのか。

 誰かが可動中のエレベーターの床下に張り付いて、ノックでもしていると? そんな馬鹿な。


 ————ガンッ、ガンッ、ガンッ。


「っ……」


 現実を脳内で必死に否定しても、それをあっさりと覆す大きな音が床下から聞こえる。

 私は思わず口を両手で塞いで、漏れ出そうになった悲鳴を飲み込んだ。


 そして全身に噴き出る汗を感じながらイヤホンの向こうに居る誰かに向かって、助けを求めた。


「ねえ……ねえっ、何かが、来てるんだけど!」


 応答は、無い。

 何故、答えてくれない。あの声の彼は、味方なのではなかったのか。


 もしかすると、最初から幻聴が聞こえていただけだったのかもしれない。

 私は現実逃避の為に、そう考えた。その方が現実的だ。電話なんて最初から受けてなかったのだから、誰かの声が聞こえる事の方が可笑しいのだ。


 そう、だからきっと————今、聞こえる何かの音も、幻聴に決まっている。


 しかし、もはや祈りに近い現実逃避の思いも、続けざまに鳴らされる音で、当然否定された。

 まるで、お前に逃げ場など無いぞ、と嘲笑うかのように、何度も激しい揺れと共に音が聞こえた。イヤホンをしているのにも関わらずはっきりと聞こえるそれに、全身が総毛立っている。


 どうにかして何処かに逃げ道を作れないか探すが、やはりそんなものは無い。完璧な、動く密室であった。


 再び床下から、弱い振動を感じた。今度は連続で、先程と同じように、何かで金属を叩く音が聞こえた。カン、カカン、カン、と。それは、今自分が触れている物がどう言う物か確認するような、そんな慎重さと不規則さを持っていた。


 何度も床下から叩かれた振動で、体が蹌踉(よろ)ける。手に冷たい何かが触れた。それは硝子(ガラス)の壁だった。

 エレベーターの中から外の景色が見えるように、壁の一面分は硝子になっていた。

 硝子越しに、いつもと変わりない夜の新宿が一望できた。

 しかしその光景は、何処か違和感を持ち合わせている。


「あ」


 視線を遠景まで向けると漸く、その違和感の理由に気が付いた。


「停電……?」


 ある境界を越えた先から、光と言う光が一筋も見えなかった。

 丁度、都庁を越えた辺りからだ。街灯も、ビルの明かりも、看板のネオンも無い。突き抜ける高層ビル群から先の景色が、何も見えなかった。

 まるで、世界がそこから突然、綺麗さっぱり無くなってしまったかのように。


 ————ザザザザザザザザザザザザザ。


「うわっ!」


 砂利を這いながら進むような音と同時に、エレベーターが大きく揺れ、減速し始めた。

 減速したせいで身体が一瞬だけ床から離され、無論立っている事さえできず、気付いた時には左肩から思いきり床に倒れてしまっていた。腕を打ちつけ、情けない呻き声が出る。

 衝撃でイヤホンが耳から外れ、首の周りでケーブル部分が右へ左へと乱暴に揺さ振られた。


 その時、場違いな音を立てて、扉が開く音が響いた。エレベーターが十三階に到達したのだ。


「つ、着いた……け、どっ」


 エレベーターが停止しても機体の揺れは収まるところを知らず、壁に手を着いた格好でも普通に立つ事すら難しい。外側の壁とエレベーターが何度もぶつかる度に鈍い音を立て、機体を支えるワイヤーが軋む音も聞こえている。


 頼むから落ちないでくれ、心の中で何度も強く唱えながら、どうにか中腰の状態まで体勢を持ち直した。

 視線を上げて、開いた扉を見ると、思わず息を呑んだ。


 このエレベーターは、停止してから徐々に下に沈んでいる。今この瞬間にも。

 故に、開いた扉の下半分が、本来この階の床となっているタイルの下のコンクリートの部分が見えるまで引き下げられ、実質、私が外に出られる空間は自分の身長よりも小さくなっていた。


「やっばい……!」


 急いで外に出ようと、壁になっていた床の縁に手を掛けた瞬間、がくん、と一気に目の前の壁が上にずれた。

 咄嗟に、一度掛けていた手を離してしまう。

 自身の顔の辺りまで高くなってしまった冷たい壁に、再び手を掛けようと言う勇気が出せず、身体が固まる。


 もし、私が壁をよじ登っている最中、身体が少しでも外に出ている状態の時に、何かのきっかけでエレベーターが落ちたり、落ちるまでは行かずとも此処から更に何メートルも沈んでしまったとしたら。

 そうなったら、間にいる自分の体はきっと助からないだろう。それこそ、B級映画のモブキャラのような、惨たらしい死に方になるのが目に見える。


 だが、どちらにせよ此処から出なければ死ぬ。今この瞬間に飛び込まなければいけない。それは事実。

 だと言うのに、自分の身体が挟まれ、呆気なく切断される映像が脳を占領して、身体が動かない。


 時間が経てば経つほど狭まっていく出口に、私の身体は小刻みに震え、息苦しくなり、汗がだらだらと額を流れていた。


「おい、あんた。手を伸ばせ」

「——え?」


 急に降ってきた他人の声に驚いて視線上げると、夕方に牛丼屋で見た白い少年が、いつの間にかエレベーターの外でしゃがんで、こちらに手を向けていた。


「どうして、此処に?」


 私が震え声で疑問を呟けば、少年はさも不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、僅かに顎を上げた。


「今そんな事聞いてどうすんだよ馬鹿。早く手伸ばせって。それとも此処で死にてえのか?」


 少年は少々乱暴にそう言った。美しい顔に付いているその口元は、舌打ちでもせんばかりに歪められている。


「し、死にたくはないですっ」


 情けない声でそう答えた私は、漸く震える両手を少年の方に向けて全力で伸ばした。


 すると少年は、恐怖で亀みたいに動きが遅い私の手首を持つと、あっという間に外に引き出してしまった。

 あまりにあっさり、外に出された私は呆気に取られた。筋骨隆々な成人男性ならともかく、自分よりも小さな細身の少年が私の身体を持ち上げてしまった事に心底驚いた。


 私は荷物のように床に放られた。平たいタイルの床に手を着いて、安堵に腰を下ろしそうになるが、白い少年は容赦無く「休むな、走れ」と言って私の背中を押すように叩いた。


「き、鬼畜っ……」


 振り向く私を少年は無視して、何故か、殆ど沈み掛けていたエレベーターに向き直った。 彼の足元には軋むワイヤーと、音を立てて揺れるエレベーターの鉄の天井が見えていた。


 一体何をしているのだろう、と私が傍観していると、白い少年は、殆ど沈み掛けていたエレベーターを、あろう事か、拳でぶん殴った。


「え」


 少年が殴った瞬間、エレベーターはトラックか何かに追突されたのかと思うくらいの、爆音を鳴らした。


 丈夫な筈の鉄の塊は、たった一人の少年の拳一つで容易くへこみ、その衝撃で機体を支えるワイヤーも断線し、一瞬遅れて地面に向かって落下を始めた。鉄やコンクリートが擦れる音がぎゃりぎゃりと響き、その数秒後に、最下層まで落ちたであろう事が分かる音が聞こえて、私は自分の耳を両手で塞いだ。


 そして更に一拍遅れてから、今日初めて「わあああ!」と言う悲鳴らしい悲鳴を上げた。


「煩え叫ぶな。てか走れって言っただろうが。何でまだ居るんだよ。走れよ鈍臭いな」

「うぐっ、す、すみません。でも、ど、何処に行けば良いのでしょうか……」


 白い少年は、私の質問に「はあ?」と高圧的に口を開けて、私の首に掛けてあるイヤホンを指差した。


「そいつに訊けよ。俺はヘルプで来ただけだ。そこまであんたの面倒見てやるつもりは無え」

「ヘルプって……」


 助けてくれたのは勿論、感謝しているが、どうやらこの少年は、心底からの善意で私を助けてくれた訳ではないらしい。何か理由がありそうだが、残念ながらまだ事情を訊ける状況ではない。


 私は首に引っ掛かったままのイヤホンを片手で摘んだ。これがネックバンドタイプで助かった。完全ワイヤレスの物だったら、エレベーターの中で失くしていた事だろう。


「イヤホン、声が聞こえなくなっちゃったんだけど」

「さっきはちょっとした邪魔が入ってただけだ。今だったら聞こえる」

「邪魔?」

「早く、着けろ」

「はい」


 この子には逆らわないでおこう。見た目は天使っぽいが、語気は強いし拳がトラック並みだ。


 私が改めてイヤホンを装着すると、本当に、先程と同じ声が聞こえてきた。


白鴉(はくあ)と合流できたな」

「……はくあ?」

「そこの白い奴だ」


 そこの白い奴、と何とも雑に指摘された少年に目を向ける。

 どうやら、この美少年の名は白鴉と言うらしい。


「おい、簡単に俺の名前教えるなよ」白鴉が文句を言うと「君に害はない」とイヤホンの声が答えた。


 私の耳の中と外で会話が完結している事に気付いた私は、混乱気味にイヤホンの向こう側の人物に訊いた。


「何で白鴉……はイヤホンしてないのに貴方の声が聞こえるの?」

「彼には必要無いんだ。夕方も、僕と話していただろう」

「夕方? ……え、あれ、貴方と会話してたの? 二人で?」


 そこで初めて私は理解した。あの時、白鴉は私とではなく、イヤホンの声と話していたと言う事らしい。

 私はその時イヤホンを着けていなかったから、少年が独り言を言っているように見えただけだったと。


「はああ、なるほど……」


 教えてもらっても、どれ一つ理屈は見えないし理解できない事が多過ぎるが、今はとりあえず無視するとしよう。少なくとも、彼等は今、私の味方をしてくれている、と思う。そうだったら良いな、の範疇ではあるが。


 イヤホンから聞こえる声は、私が無理矢理納得したのを確認すると、仕切り直すように「よし」と言って、こう続けた。


「通路を探そう。この近くにある筈だ」

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