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32. ブラック企業潜入(2)

 黒男が目の前に立ちふさがっているのに、このエイリアンは、少しも動揺の色を見せなかった。ただ、しっかりとした眼差しを黒男に注いだだけであった。


「名前をもう一度」


「センストリオプス・ヌカリファラオス・ド・ライです」


 地球人で例えるなら、ローマの古代彫刻家が造ったような、堀の深い若者の顔である。瞳はエメラルドの宝石のように、生き生きと輝いている。まっすぐ、のびた高い鼻は、シェルライア山* の嶺のごとく、孤高と独立心の象徴のようにそびえ立っている。後頭部から尻に向かって流れるのは、黄金に輝くたてがみ。体の上半分は、人間の見た目に近いが、下半分は、馬のようだった。銀色の(ひずめ)は刃物のように鋭利だ。尻の筋肉は引き締まっており、一撃を食らわせたら、一瞬で殺せるほどの、恐ろしい、さそりのような尻尾もあった。


「まどろっこしい名前だなー。まあ、いい。


 ライ!


 君は、ギブナ君とは、一緒に入ってきた同期だな? ギブナ君とは、1点差で上回っているものの、彼がいなくなった今、ビリなのは君に間違いないな?」


「はい、そうです」


 ライはまばたき一つせず、男をまともに見て言った。


「おお、さすが。海王星の男は、確かに良い度胸をしているな。それに整った顔立ちをしている。気に入った。君はギブナ君と一緒に行きなさい」


「はい」


 ライは皆の注目を浴びながら、堂々とした足取りでギブナの立つ扉の前に進んだ。皆は恐る恐る横目で彼を見ていたり、クスクス笑っているものもいる。


 黒服は、指をパチンと鳴らした。すると、どこからともなく現れたのは、体が真っ赤な筋骨(きんこつ)隆々(りゅうりゅう)の大男だった。蟹に似た風貌の男は、大きな(かま)を二つ背中に交差させて(かつ)いでいた。蟹男は、この工場の警備員として、雇われていたが、いつからか、恐怖の暗黒部屋(生産性のない従業員の収容施設)の管理人に任ぜられていたのだった。


「この二人を、恐怖の暗黒部屋送りにしろ!!」


「ヘイ」


 蟹男は、耳まで裂ける真っ赤な口を開けて、ぎっしりと並んだ、多すぎる歯を見せた。二人を見下ろし、「ついて来いっ!!」と怒鳴った。和太鼓を打ち鳴らしたような、腹の底に響く声だった。ギブナは、身体中の細かい毛をぶるぶるっとさせた。ライはただ(まばた)きを一つしただけだった。


 二人は蟹男の後に続いて、狭くて、暗い急な階段を降りていく。先頭で燃える松明(たいまつ)だけが頼りである。


「ライ君、ごめんね。ぼくのために、こんなことになっちゃって」


「お前のためなんかじゃない」


「だって、ぼくがビリだったから、君も巻き添えになっちゃったんだ……」


 蟹男は二人の目の前に立っていた。そして鎌首を向けた。


「うるせー! 黙らねぇと、そのたらこ唇を噛み切るぞ!」


「ヒッ!」


 ギブナは口を固く閉じた。細い通路は、じめじめとしていて所々に水たまりがあった。頭上は、赤黒い空が広がっていて、時折、生温かい水滴が落ちてくる。


「ヒヤッ!」


 ギブナが大きな水たまりに入った途端、足がつかなかった。ドボンと頭まで沈むくらい深かったのだ。


「助けて!」


 ライが急いで水たまりに入った。ギブナはなんとか、ライのたてがみにしがみついて、背中に乗ることができた。


「ありがとう。僕のために背中を貸してくれて」


「別に、お前のためなんかじゃない」


 ライは目も合わさず、深い水たまりを泳いだ。一方の蟹男は、水の中をすいすいと泳いで、もう岸にたどり着いていた。蟹男は、こちらに怒鳴った。


「おーい! 早くしろ!」


 二人もなんとか、岸へ上がった。もし、ギブナ一人だけだったら、恐怖の暗黒部屋まで行くまでに、とうに死んでいたことだろう。


 道はさらに狭くなった。両側に立つ石壁からは、たくさんの穴が開いていて、そこから無数の目玉が二人をじっと見ていた。


「ヒッ! 何あれ。気持ち悪いね」


 ギブナは目にするものに、いちいち(おび)えたが、ライは相変わらず堂々とした足取りで進み続ける。


「さあ、ついたぞ! ここが、お楽しみの恐怖の暗黒部屋さ。ここに入れられて出られた者は一人もいない。生きたまま苦しむ。死ぬことすら、叶わない。


 だから俺が、()()()()()、ここの近くを通ると、『死なせてくれー』、『殺してくれー』と奴らが叫ぶんだ。それは、この世とは思えない、おぞましい叫び声なんだ」


 蟹男が言った瞬間から、壁の向こうから、大きな野獣の(うな)り声が聞こえてきた。


 ガルゥ、ガルゥガルゥ……ウゥ……。


「ヒッ! この声!」


「あれは、"暴れ鬼のかわい子ちゃん" が、飯の催促をしているだけだ」


 キィエェーーー!!!


「誰かが今夜の飯になったみてぇだな。あいつは殺して食うんじゃない。足一本、目玉一つと、ちょっとずつ引きちぎって食うのが、お好きでねぇ。なんて、上品な()()()なんだ。お嬢に会ったら、よろしく言っとくれ。


 さあ、行け!!」


 目の前に、鉄城門の頑丈な扉が現れた。天井のない空間にそびえる門戸。扉は音もせずにゆっくりと開いた。中は真っ暗で、何も見えない。先ほど聞こえていた叫び声も、いつの間にか消えていた。


 二人は扉の前で、足がすくんでいたが、急に吹いてきた風が、背後から中へ押し込もうとする。


「何、ぼおっと突っ立ってんだ。早く行け!!」


 大きな赤い鎌が、二人の背中を突き飛ばした。扉のすぐ先の階段を、真っ逆さまに転げ落ちていく二人。遠くで蟹男の声が、こだまする。


「ちなみにな、この門は、一度閉めたら消えてなくなっちまうんだ。二度と開かない門なのさ。ヒャァ、ヒャァ、ヒャァ……」



 わずかに差し込んでいた光が消え、本物の漆黒の闇となった。底の方まで落ちきった彼らが耳にしたのは、あの唸り声と、『殺してくれー』という叫び声だった。


 ギブナはずっと、ライのたてがみを、ぎゅっと握りしめていた。


*シェルライア山……海王星にある最も美しく、過酷な山(小説における想像上の山)


ああ!

ギブナとライは、これからどうなってしまうのでしょうか!次回をお楽しみに!

ヒイッ!(作者記)

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