31. ブラック企業潜入(1)
扉を抜けると、そこは大きな化学工場だった。木の根っこが、張り巡らされた森の中ではなく、大理石でできた、つるつるの床が広がっていた。しかも、顔がはっきりとうつるくらいに、ぴかぴかに磨き上げられていたのだ。
黒い、のっぽの男は、コツコツと踵を鳴らし、ステッキを調子よく振って前を行く。足が長いせいで、一歩が大きい。背の小さなハナオカは、追い付くのに必死で、ほとんど走っているようだった。男はハナオカが、後ろから、ちゃんと来ているか、ちらっと振り向いては確認しながら、大股で歩いていく。
とある通路に入ると、両側一面ガラス張りで、中で人々が作業しているのが見えた。
人々といっても、見た目も様々なエイリアンで、白衣を着て、防護マスクにメガネをかけ、ゴム手袋(ご親切にも、ラテックスフリーのもある)をはめて作業していたのだ。
部屋の中には、さらに小さな部屋がいくつかあり、そこでは白衣に着替えたり、シャワーみたいなものを浴びていたり、不思議な装置で実験をしていたりしていた。
怪しげなフラスコや試験管が、棚にずらりと並んでいる。長机に座っているエイリアンたちが、それぞれの作業を行っている。黒い煙がもくもくと上がったり、ボンッという小さな爆発音が、あちらこちらで聞こえる。
各フラスコにつながれたチューブを通って、赤や黄、緑、青、紫などの、どぎつい色の液体が流れていき、それらが合わさり、何本かの太い管になって、床の穴から下へ向かっていた。
天井を見上げると、四方八方に張り巡らされた気送管* の中を、猛スピードで物が飛び交っていた。
どうしてハナオカが、こんなに細かいところまで観察できたかと言うと、男に連れられて入ったのが、この実験室だったからだ。
男がまず部屋に入ると、このブロック(研究開発部)の責任者である、冥王星人、エウロパ・ケントストウスが、ペコペコしながら近づいてきた。彼は、ファイルに収まり切れないほどの大量の紙を、12本の手(厳密に言えば触手)に持って現れた。黒男の隣に立ち、現在の進捗状況を報告し始めた。
「現在、暗黒物質の生成と、それから抽出し、濃縮した、ダークエネルギーは、4割ほど完成しています」
「たった4割っ!?!」
黒男は明らかに苛立っている。タンタンタンタンと、床を踏み鳴らす。
「……はい。星1万個から得られる暗黒物質は1%、さらに、そこから抽出した "前ダークエネルギー" は0.01%、さらに濃縮されてできる、 "ダークエネルギー" は、ごく少量になります。従って、計算上、計画を完了するためには、1000億でありますから、エネルギーを使って "あれ" を完成させるには、相当の時間と労力が……」
「あああ!! うるさい、言い訳は聞きたくない! 実績を出せ! 実績を!!」
「はい! すみません!」
男は眉間に怒り皺を寄せた。しかしすぐに、不気味に、にんまりと笑ってエウロパに向かった。
「このブロック(部署)で、一番成績が悪い奴は誰だね……?
一番足を引っ張っている、最も生産性のない駄目社員は、どいつだ?」
男の言葉が、広い部屋じゅうに響きわたると、皆の手は、ぱたっと動きを止めた。
成績一覧表を、エウロパから奪い取ると、全員をギロッと睨み付けた。長机の間を歩きながら、一人一人をなめ回すように見ていくが、誰も身動き一つせず、まして男の顔を見上げることさえできなかった。
「手を動かせ! 手を!!」
ようやく皆は作業に戻ったが、部屋の隅に座っていた一体だけは、手が止まり、体はブルブルと震えていた。
黒男は、高いヒールのある革靴をコツコツと鳴らし、ステッキの先をゆらゆらさせて、その緑色の、毛むくじゃらの、ずんぐりした生物へ近づいていく。
「名前は?」
ひどく優しい声で黒男は、にやりと微笑んだ。他の皆は、手を動かしつつ、耳は黒男の方へ向けている。男はステッキの先で、緑の生き物の鼻先に向けた。
「ヒッ……!」
「名前は、と聞いているんだが……?」
さっきよりも語勢を強くして言う。
「ヒッ……、わ、わ、わ、わたしは、イ、イ、イモムシ星の、メ、メタモロフォシリウス・ギブナです……」
彼が「です」を言う前に、黒男は言った。
「ギブナ君、今月の君の成績が、このブロックで一番低いのは知っているかね?」
ギブナではなく、皆に向かって言った。この時点で、もう一体、手が止まっていた者がいたのだ。
このブロックで、ビリから二番目、ギブナとは1ポイント差で上回っていた者が。
「ヒッ……ヒッ、はい」
「は」を言う前に黒男は言う。
「君自身は、この結果をどう思っているのかね?」
男はギブナの成績表を見ながら訊ねた。
「ヒッ……ヒッヒッ、……わ、わたしは先週、このブロックに配属されたばかりで……で、で、……この量のタスクを、その日のうちに終わらせるように言われていますが、到底、終わるものでは…」
「何だって?!」
あり得ない、というような顔つきをしたが、すぐにギブナを冷たく睨んだ。
「誰も君を助けてくれないのか? そうなのか?」
そう言うと、今度は直属の上司である水星人、アクエルノディア・ポポチーニを呼び出した。
「彼が言っていることは、本当なのか?」
ポポチーニはイモムシを睨んだ。
「いえ、いえ。彼は、みんなと意思の疎通が上手くできないんですよ。分からないことがあったら聞くようにと、再三にわたって言っているんですがね。なぜだか、彼はいつも勝手にやって、ミスばかりしているんです。彼は、以前の部署でも言われていたようで、他のみんなも彼には、ほとほと困っているんですよ。もう、彼は仕事ができないエイリアンなんですよ」
男はふむふむと聞いた後で、ギブナに振り向いた。
「そう言ってるんだけど、どうなの?」
「ヒッ……、いや、……」
「何?」
「あの……」
「あああ!??」
男は怒鳴った。ギブナの返答を聞く気はなかった。にやにや笑っていたポポチーニを、男は見下ろしていた。
「ポポチーニ君、君の指導が不十分なんじゃないのか?」
今度はポポチーニに矛先が向いた。
「えっ……!? いや、いや、私は、しっかり指導したんですが、彼が……」
「ぐちぐち言うんじゃない! こんな出来損ないを、ここに置いておくことほど、我が工場に恥ずかしいことは、ないではないか!」
そう言うと、男の膝くらいの丈しかない小さな魚の鱗のついた水星人の顎に引っ掛け高く上げた。全身のヒレがピタピタいった。
「ひぇー! 恥ずかしぃ!!」
水星人にとって、顎を引っ掛けられ、高く上げられることほどの辱しめはないのである。
「お願いしますよ……ボス…」
半泣きである。床へ下ろされると、努めて威厳を取り戻そうと躍起になった。咳払いを二、三した後で、
「おほんっ。大抵のスタッフは配属後、1、2週間くらいで、すぐに仕事を覚えて、チームの即戦力になってくれます。それに、時間外労働も規定の範囲内を順守しておりますし、チームワークが良く、互いに助け合って仕事をしております。ここは、まさにアットホームな職場でして」
水星人はギブナを再び睨んで言った。
「けれども、この(どうしようもない)ギブナ君は、何度も何度も、教えているのに、全く仕事を覚えようとしないんです。毎回毎回、これはどうやるのかと聞いては、他のスタッフの手を止めさせて、業務を妨害しているので、もうみんなは疲れ果てています。これでは、工場の生産性も低下し、チームの士気もガタ落ちです。彼は、この工場全体にとって大きな損失なのです」
ポポチーニは、意地悪そうな目でギブナを見下ろした。
「彼はこう言っているが、ギブナ君。そうなのか?」
「ヒッ、ヒッ……!」
ポポチーニの腹から、にょろにょろと触手が伸びる。触手の先には、ギザギザの刃がついていて、黒男の背後を静かに回って、ギブナを狙っていた。
「どうなんだ? ギブナ君。私は、君に聞いているのだが。君は口が利けないのか?」
「ヒッ、……えっと、僕は」
またもや、「は」を言わせずに、黒男は怒鳴った。
「ギブナ君!! 嘘をついたらいかんよ、嘘は! えっ?!
私が何より嫌いなのは、なんだ?!」
部屋中が一つの言葉を唱えた。
「嘘をつくこと!!」
黒男はみんなに向かって叫ぶ。
「何だって?!!」
「嘘をつくこと!!!」
「嘘をついた者が行くところは?!」
「恐怖の暗黒部屋!!」
「聞こえないなー!!」
「恐怖の暗黒部屋!!!」
エイリアンたちは、作業台をダンダンと叩き始めた。触手、ハサミ、魚の尾ひれ、各々が持つもので机を打ち鳴らす。
ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ。
黒服はステッキを、指揮棒のようにリズムを取り始めた。
ダンッ、ダダダンッ!
ステッキを勢い良く空中へ振り上げ、場はしんと静まった。
「ギブナ君、この処置に不満はないかね?」
「ヒィッ……は…い」
「よーし。いい答えだ! そうだなぁ、ギブナ君だけに、この罰を負わせるのは、少し可哀想というものだ。なにせ、私は良い経営者だからな。恩情を示さなければ。
ギブナ君、一人で暗黒部屋へ行きたいか? それとも、もう一人仲間がいた方がいいかな? どうしたいかな?」
不気味なほど優しい声だった。
「えっ……?」
ぽかんと、たらこ唇を開けたギブナの頭を優しく撫でた男は笑って言った。
「そうか、そうか。そうだよな。一人で行くのは心もとないよな。じゃあ、仲間を与えてやろう。私は、優しいボスだからな。
さあて。ギブナ君がいなくなったら、このブロックでビリなのは……」
黒服は、つかつかと廊下側後方の席に座っていたエイリアンへ歩みよった。
「名は?」
「……」
「早く言いなさいよ!」
隣に座る金髪ロングの、一つ目の蛸女が吸盤で突っつく。
「俺は、海王星のセンストリオプス・ヌカリファラオス・ド・ライです」
※気送管……直径4~8cmの管の中に空気を流し、その流れによって書類や物品などを輸送する装置。「エアシューター」とも呼ばれる。圧縮空気で吹き飛ばす方式と、真空にして吸い込む方式がある。銀行や郵便局、さらには病院などて利用されている。書類や薬剤などを瞬時に、他の部署へ送ることができて便利である。




