27. 月での事故
目の前に横たわる男が、まさか船長の知っている宇宙飛行士であることに、二人は驚いた。
船長は強ばった表情で、その男を見つめていたが、ついにあの事件のことを話さなければならない時が来たと思った。そして、重い口を開いてこう語り始めた。
「前にも言ったように、私の始めての船外任務は、月だった。そのミッションには私の他に、初任務にあたる三人の候補生と、一人の指導教官が乗っていた。
指導教官の名は、山本有馬訓練士、そして航空宇宙飛行士訓練学校で同期の華岡光一と山田登と九重光が一緒のチームだった。
私は華岡とペアで、山田は九重とペアで船外活動を開始した。山本訓練士はシャトルから私たちの安全を見守っていた。
この任務は私たちの初舞台であったから、みんなどこか緊張気味で、ピリピリとした雰囲気を出していた。けれども、私たちは地球を立つ前から、お互いに月で何をどのように行うかを、よく理解していたし、実際に月面に着陸した時には、頭の中で何度も繰り返したシミュレーション通りに体は動いた。
とうとう、私たちは月に来たんだという感動みたいなものは、あまりなかったかもしれない。訓練生だった時代にはあれほど、私たちが憧れ続けてきた舞台だったのにだ。
私と華岡は、月面に設置されている地震計や放射線や地場の変化を計測する機械やカメラなどの点検とデータの回収を行う。一方の山田たちは、ボーリングを行い、地質サンプルを回収する。
私たちの任務が完了して、シャトルに戻ろうとした時だった。いつまでたっても、山田から終了したとの無線がない。終了したら報告するようになっていたのだ。何度もこちらから呼び掛けてみたが、応答がない。それで華岡はすぐに、山本訓練士に連絡した。
山本訓練士は私たちの酸素ボンベの残量も加味して、山田たちの状況を確認するよう言われ、二人で彼らが作業している場所へ向かった。
何やら異常事態が起こっているらしいことはすぐに分かった。
九重が山田につかみかかっているのが見えたからだ。
月の上で取っ組み合いなどしたら、宇宙空間へ簡単に弾き飛ばされるのは目に見えている。あり得ない事態が生じている。
「何やってる!! おいっ、やめろ!」
華岡がすぐに二人の間に割って入ろうとするのだが、九重は山田をつかんだ手を離そうとはしなかった。宇宙ヘルメットを鷲づかみにしている。
「やめろ! その手を離せ!!」
九重は華岡を押し倒した。その弾みで華岡は、危うく闇の中へ飛ばされそうになったが、間一髪で月の岩に手を掛け大事に至らなかった。華岡は九重に必死に呼び掛けていた。
「山田と喧嘩したいなら、地球に帰ってから好きなだけやればいい! ここは月だ! もう止めろ! お互い死ぬぞ!」
九重は、この時は人が変わったかのように山田に執着して、華岡の言葉など全く耳に入っていないようだった。九重は再び、山田を羽交い締めにしようとした。私は九重の目が異様にギラついているのに気づいた。華岡が再び、二人を引き離そうとしているのが私の目に映った。今、華岡に加勢しなければ、本当に大変なことになる。頭では分かっているのに、なぜか体が動かなかった。
「金子!! 手伝え! 何をぼーっと突っ立ってるんだ! 早くしないとみんな窒息死するぞ! 二人をシャトルへ引っ張っていくんだ!」
私は耳の奥で、華岡の叫び声がガンガン入ってきたものの、すぐにそれは、宇宙空間のどこか遠くへ消えていってしまうような感じがした。
「金子おおお!!」
華岡が叫んだ。その時だった。
九重が思いっきり山田を突き飛ばしたのだ。山田は物凄い勢いで飛ばされた。クレーターに手をかけるも、むなしくずるずると滑って宇宙空間へ投げ出され、遠くへ消えていってしまったのだ。
「山田あああー!!!」
「何してるんだっ!! おまえ!!」
今度は華岡が九重の肩をつかんだ。二人が上になったり下になったりして、月面で取っ組み合いをしている。九重は今度は華岡の酸素ボンベのチューブを引き抜こうとしていた。
「やめろ!!」
私は凸凹したクレーターの上で、金縛りにあった時のように、目だけキョロキョロ動くが、体は重くてうんともすんともいかなかった。二人がもみくちゃになっているのをただ見ていた。怖かったのかもしれない。九重が華岡を突き飛ばした後、私の方へ近づくのを見て。
それは起きた。
九重が私の酸素ボンベのチューブに手を掛けたのだ。
プシューー。
恐ろしい音とともに、酸素の数値が次第にゼロになっていく……。
私はここで死ぬんだ……。
仲間だと思っていた奴に殺される……。
私はまだ死んでいないのに、過去の事のように自分で自分の死を思い返している奇妙な感覚に囚われた。私は無抵抗のまま、その場に立ち尽くした。その間にも、どんどんとボンベから送られる酸素が無駄に宇宙空間へと漂い出ていく。
「金子おおおーー!!!」
華岡の言葉が遠くで聞こえる。視界がうっすらとぼんやりしていく……。
なんだか気持ちの良い感覚になっていく……。
「死ぬな!! 金子、しっかりしろ!!」
突然、途切れていた酸素が私の鼻腔から脳へ心臓へ全身へと送られていくのをはっきり感じた。
私は正気を取り戻した。
そして華岡が自分の酸素ボンベのチューブを私のそれに繋いだのを見た。
「……ダメだ、華岡。自分のを…つけ……ろ…」
「早く行くぞ!!」
私たちは二人でシャトルへ戻ってきた。山田も九重もいない。
「二人はどうした……」
私たちを見た時の山本教官の顔は今も忘れない。
***
この事故は、今まで宇宙で起こった事故の中で、最悪な事故となった。もちろん、大々的に世界中のメディアに取り上げられた。私たちは、警察や宇宙事故調査委員会の厳しい取り調べを受けた。
私は、九重が山田に襲いかかり突き飛ばした後、自分や華岡に襲いかかってきたことを話した。あろうことか、酸素ボンベのチューブを外そうとしたことも話した。ただ、その時にはもうろうとしていて、その後何が起こったかは、よく覚えていないと答えた。
九重は今も行方不明だ。
私が記憶がないと言った言葉に、調査委員会は首をひねった。
その後、九重の家族が裁判を起こし、私と華岡は出廷を命じられた。その際、私は当時の会社、"スペースレンジャー・アソシエーション" のCEOから圧力を加えられていた。
あの事故は、当時チームリーダーを務めていた華岡のミスリードだったということを証言するべきだと。
しかしながら、私は華岡の取った行動には何の過失もないと考えていた。だから取り調べでも、ありのままのことを述べた。華岡はあの時、もみ合う二人を引き離そうとしていた。冷静になるように必死に九重に訴えていたことを。
しかし、取り調べが終わってみると、私が華岡との関係について語った供述書の内容がすっかり変えられていたことに気付いた。
「彼はエネルギッシュで、周りのみんなを引っ張っていく力があった」と私は話した。
しかし、供述書には、「彼は元来、かっとなったりと感情的になることが多く、周囲を引っ掻き回し、混乱させる点があり、しばしば感情をコントロールすることに抵抗性があった」という内容に変わっていた。そして、肝心の事件については、私が起こったことへのショックから、事件についての記憶が曖昧になっていて、証言の真実性は、極めて薄いと書かれていた。
さらに酷いことに、事故調査委員の一人で精神分析医のKが提出した診断書が、私の供述の裏付けになっているとされた。
「彼は面談にかなり "消極的" であり、事件の話しになると、"反抗的" にさえなった。」という文章から始まり、「"~"」の部分は、わざわざ下線が引いてあった。
「…さらに、彼が極度の精神衰弱になっており、供述に幾つか矛盾が見られる上に、かなり "妄想的" である。
例えば、九重が山田につかみかかっているのを見た時、喧嘩をしているのだと思ったが、近づいてみると、九重の後ろに大きなものがいたと言う。大きなものとは何かと質問すると、蜘蛛のように手足が長く、先端は蟹のハサミのようになっている。とにかく大きくて、恐ろしい何かが、九重に『殺せ殺せ』と言っているのを聞いたという。」
検察官の提出した資料には、こうあった。
「容疑者は日頃から、所属する "スペースレンジャー・アソシエーション" の経営方針やチームメイトに対して、不満を募らせていた。それは、主に当会社が新たに始めた、"第二の地球計画" の新事業に関する事だったそうだ。度々、上司や同僚と大きな声で言い合いをしている姿を、複数人が目撃している。
さらに、容疑者が任務の直前に、『月への任務を中止するべきだ。危険なことが起こる』などと、周囲に洩らしていたことが分かっている。
容疑者は、宇宙飛行士の任務の重大さを理解していないばかりか、職務を果たすのに必要な人間性が欠けていると結論するほかない。さらに、計画的な犯行の疑いがある以上、情状酌量の余地はない。よって、終身刑に処す。」
嘘だろ……。そんなはずはない。
そうだろ?
いや、それは本当だろうか……。
確かに私はあの朝、彼が階段の踊り場で誰かと言い合う声を聞いたのだ。
本日もご覧いただきましてありがとうございました。
ここで、月についての豆知識を少し。
●月
・地球からの距離 約38万km
・大きさ 直径約3476km(地球の4分の1)
・質量 地球の8分の1
・重力 地球の6分の1
・月の公転/自転周期 約27.32日
ほとんど大気はないため、昼夜の温度差が非常に大きい。月の赤道付近では昼は110℃、夜は-170℃と、その差は200℃もある。
地球から見えている月は表側。裏側は、隕石の衝突でできたクレーターがたくさんある。最近では表と裏で地下の作りも違うことが分かった。月が何でできているのか、実はまだよく分かっていない。
***「ファン!ファン!ファン!JAXA! もっと知りたい!?「惑星」のこと 月編」より




