編み物好きなお姫さまの結婚
むかしむかしあるところに、白銀の国がありました。白銀の国に住む者は、男も女も、豊かな者も貧しい者も、みな等しく才能を生かした仕事に就くことができました。
貧乏な平民が王宮で働く官吏になることもできましたし、逆に貴い生まれであろうとも狩りの才能に抜きんでていたならば、辺境での魔物狩りに専念することだってあったのです。
けれど、その状況をまったく喜んでいないひとがひとりだけおりました。それは誰あろう、この国のお姫さまだったのです。
お姫さまには、たくさんの優れた才能がありました。
たとえばお姫さまは、天より遣わされた御使いのごとき美しさを持ち合わせていました。結婚の申し込みは国の内外を問わず、見合いのための肖像画が山のように送られてきます。
即興で素晴らしい詩を作り出すことも、楽器を奏でながら歌いあげることだってできました。空を飛ぶ小鳥たちが、お姫さまの歌声を聞くために集まってくるほどです。
もちろんそれだけではありません。政治についても造詣が深く、民のことを考える優しい心根でした。人々はお姫さまが女王さまになったなら、この国はさらに輝かしい国になるに違いないと信じて疑わなかったのです。
ところがお姫さまは、女王さまになんてちっともなりたくはありませんでした。だって、お姫さまは編み物が大好きだったからです。寝ても覚めてもお姫さまは、編み物のことばかり。才能があるから、得意だからと褒め称えられても、お姫さまにとって編み物よりも愛すべきものはなかったのです。
編んで、ほどいて、また編んで、お姫さまの編み物は一進一退。ちっとも前に進みません。そんな様子を見て、周囲の者たちはどうにもやきもきしてしまいます。お姫さま自身は、そんな状況でさえ楽しんでいるというのにです。
「どうしてみんなは、私に編み物を止めるように言うのでしょう」
お姫さまは棒針を動かす手を止めると、ふうと小さなため息をつきました。お姫さまのつぶやきに、答える者は誰もおりません。
そうです、すべてにおいて完璧に見えたお姫さまにはひとつだけ苦手なことがありました。好きで好きでたまらない編み物が、いつまで経っても下手くそなままなのです。上達どころの騒ぎではありません。お姫さまには、編み物をする才能がない。そう断言せざるを得ない状況なのでした。
***
とうとう王さまは言いました。
「編み物をやる時間を、もっと他のことにあててほしいのだが」
お姫さまはとても才能あふれる素敵な女性です。お姫さまが無駄な編み物にかける時間を他のことに使えば、この国はますます発展してよい国になるでしょう。けれどお姫さまは、ゆっくりと首を横に振りました。
「私にとって編み物は、何よりも大切なものです。何人たりとも、私から編み物を取り上げることなどできません」
「だが、お前には編み物の才能はない。お前が昔から大変な努力をしていることはみなよくわかっている。お前の母親も祖母も、国一番の編み物の名手と呼ばれる侯爵夫人も、工房の職人たちだって、お前の努力は高く評価していた。残念ながら才能がないだけだ」
王さまの言う通り、お姫さまは大層な努力家でした。彫刻だろうが、刺繍だろうが、調薬だろうが、どんなことでもそつなくこなすお姫さまは、決して努力を軽んじることはありません。自分ができないのはなぜなのか、常に自分自身を見つめ直しながら何度も何度も繰り返し練習していたのです。
それでもお姫さまの編み物は、酷い出来でした。編み図が読めないわけではないのです。毛糸だって細い物から太い物まで、素材を変えながらいろいろと試していました。教えてくれる先生だってたくさんいます。けれどどんなに頑張ってもお姫さまが作ると、とんでもない代物が完成するのです。ほどけば何度だって作り直せるのが編み物の良いところのはずなのに、お姫さまが作った編み物は糸をほどくことさえできないのでした。
「編み物が欲しいならばデザインだけお前が決めてしまえばよいであろう。お前は良い絵を描くことができるのだから、それを見れば職人たちも喜んで作ってくれるはずだ。この国の冬の流行にもなる。何より時間と金を有効活用することができるのだ」
「まあ、お父さま。お父さまは髪の毛が欲しいからといって、かつらをご購入になられるのですか? 自分の髪の毛でなければ意味がないと、無駄と知りながら育毛剤を毎晩せっせと頭に振りかけていらっしゃるではありませんか!」
「無駄とはなんだ、無駄とは。わたしの育毛剤は有用だ。何と言っても、最近は抜け毛がすっかり減っているのだから!」
「それは抜けるべき本体がすでに少なくなっただけではございませんこと? 抜けるべきものがなくなれば、抜けたものが減るのは当然のことでございます」
大好きな編み物を時間とお金の無駄だとけなされたお姫さまは、お姫さまにしては珍しく父親に向かって辛辣な言葉を並べたてました。いつもは育毛剤を無意味な浪費だと頭をおさえる母親たちに、「お父さまの好きにさせてあげてくださいな」と庇っているはずのお姫さまとは思えません。売り言葉に買い言葉。涙目になった王さまは、とうとう大きな声で叫びました。
「そんなに編み物がやりたいと言うのなら、大蜘蛛の嫁にでもなってしまえばよい!」
「まあ、ありがとうございます。喜んでそうさせていただきますわ」
白銀の国と隣国との国境沿いには、大きな森があります。そこには以前から大蜘蛛が住み着いているのです。お姫さまの国では大蜘蛛のために小さな神殿を作りお供え物をしておりました。とはいっても、捧げるものはうら若き乙女などの生贄ではありません。美味しい食べ物を送ると大蜘蛛が喜んで上質な糸をくれるので、ちょっとした物々交換のような意外と穏やかな関係です。
それでも王さまは、大蜘蛛とふたりきりで暮らすことなどお姫さま育ちの娘にはできないだろうとたかをくくっておりました。けれどお姫さまは、王さまの言葉を聞くと喜んで王城を出て行ってしまったのです。
***
追放されたお姫さまは、足取り軽く進んでいきます。背中には大きな背負子、両手にはずた袋。準備の良すぎる様子に王さまは顔をしかめておりましたが、城を出る時にお姫さまの荷物を取り上げることはありませんでした。
「たのもおおおおお!!!」
やがて神殿に辿り着いたお姫さまは、大きな声で叫びました。美声を誇るお姫さまの挨拶は、神殿の隅々に広がります。道場破りのような文言と声量に驚いたのか、奥から大蜘蛛があたふたとやってきました。
「大蜘蛛さま、不束者ですがよろしくお願いいたします!」
お姫さまが嫁にやってくるのを知らなかったのでしょうか。淑女とは思えないほど腹から出た声でお姫さまが淑女の礼をとると、大蜘蛛はいきなり動かなくなりました。どうやら死んだふりをしているようです。
大きな図体の大蜘蛛が、死んだふりをしてこの場を乗り切ろうとしている様子を見て、どうやら大蜘蛛は悪い奴ではなさそうだとお姫さまは判断しました。何せ本当にお姫さまのことを受け入れたくないならば、いきなり襲い掛かってくればよいのです。いくらお姫さまが魔法に優れているからとはいえ、大蜘蛛は魔物です。大蜘蛛の質量はそれだけで十分な武器になります。
それにもかかわらず、大蜘蛛はいたいけな子兎のように小さく丸まっているだけなのです。新しい暮らしはなかなかに楽しいものになりそうだとお姫さまは口角を上げました。
蜘蛛はかなり長い間、死んだふりをすることのある生き物です。大蜘蛛が死んだふりを止め、観念してお姫さまと向き合うまでしばらくかかるでしょう。そう考えたお姫さまは、さっと周囲を観察すると背負子から敷物を取り出して、座り込みました。そして、抱えていた大荷物を敷物の上に広げたのです。
お姫さまが取り出したものは色とりどりの毛糸玉でした。さまざまな理由で毛糸玉のまま保管されていたものがいっぺんに広げられた様子は圧巻のひとことです。うっとりとまるで宝石箱を見つめるように、お姫さまは頬を染めながら毛糸玉を眺めました。何を作るか。何色を使うか。毛糸の太さはどうするか。考えるだけでよだれが垂れそうです。
「さあ、せっかく誰にも邪魔されずに編み物ができるのですもの。存分に楽しみましょう」
その晩お姫さまは日が暮れて手元が見えなくなるまで編み物をすると、そのまま横になって眠ってしまいました。
***
朝になりました。お姫さまは張り切って、昨日の続きから編み物を行おうとしました。その時です。
『おい、編み物よりも先にすることがあるだろう』
死んだふりをようやく止めたらしい大蜘蛛が、もしょもしょと口元を動かしながら抗議してきました。ちっちゃな蜘蛛のように飛び跳ねてくれたら可愛いのになと思いつつ、お姫さまは素知らぬ顔で答えます。
「まあ、旦那さま。おはようございます。朝の挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。それでは、私はこれより編み物を始めさせていただきます」
『待て待て待て。まずは、顔を洗って服を着替えろ。食事も必要だし、そもそもそなたは昨日湯あみをしていないだろう! 容姿は王家の特徴を受け継いでいるし、魔力量も大きい。どういうことだ、妾の子なのか?』
「父は母一筋でして、妾は囲っておりませんのよ。正真正銘、王女でございます。まあ、先日追放されましたので、王籍から外されているやもしれませんが」
ひょいと肩をすくめつつ、さあて今日は何を編もうかしらと毛糸玉を選んでいたお姫さまの隣で、大蜘蛛が声にならない悲鳴を上げました。
『おかしいだろう、なぜ俺の言葉がわかる!』
「まあ、嫁ぎ先の言葉を覚えるのは当然でございます」
『だが、神官は誰も俺の言葉を理解など……』
「さようでございますか。一応、調べた文献をまとめて、魔力の使い方や発声方法などを教えてみたのですが、やはり魔物の言葉に関しては習得が難しいようでした。鍛錬が足りませんね」
『そんなわけがあるか!』
何でもないことのようにお姫さまが話すので、大蜘蛛は一瞬納得しそうになりましたが、もちろん、言うほど簡単なことではありません。
『ええい聞きたいことは山のようにあるが、まずは食事だ』
「大変申し訳ないのですが、食材は持ってきていないのです」
『俺に会わなければどうするつもりだったのだ』
「編み物をしていればお腹が減ることはありません」
『気にならないだけで、身体は栄養を欲している』
「それでも人間は、塩と水があればひと月ほどは生きられると聞いたことがあるのですが……」
何の迷いもなく返されて、大蜘蛛は頭を抱えました。どうやら旦那さまは自分のせいでお困りのようだと理解したお姫さまは、にこやかに提案しました。
「材料さえ用意していただければ、料理を作ることは可能でございます。そうですね、甲殻類のビスクはお好きですか?」
『そなた、俺を喰うつもりだな! なんて野蛮な女なんだ……』
「まあ、夫を食べるつもりだと思われるなんて心外です。ちなみに、脱皮すると手足は再生するのですか?」
『黙秘する!!!』
その日の朝食は、神殿に届けられていた塩漬け肉と干し野菜を使ったスープになりました。立派な鍋に素敵な食器、なぜか大蜘蛛はうまい、温かい、うまい、人間の食事だと泣きながら食べています。ちなみにこれらの材料や生活用品は、編み物関連のものしか持っていかなかったことを知った王さまが、しょげかえりながら用意して届けてくれた緊急物資もとい嫁入り道具だったのですが、お姫さまはとりたてて気にも留めませんでした。
***
『そなた、本当に姫なのか? 俺を篭絡するために隣国から派遣された暗部のものではないのか?』
「私はただの編み物好きでございます」
『いや、しかしだな』
「一体何を怪しんでいるのでしょう?」
『全部だよ、全部。すべてが怪しいに決まっているだろうが! というかせめて俺の事情くらいちゃんと聞け!』
「あ、興奮のあまり糸が出ておりますよ。ほら、勿体ない」
大蜘蛛の言う通り、お姫さまはなんだってできるのです。初対面の大蜘蛛の口にあう料理を作ることだって朝飯前でした。炊事洗濯をさらりとこなし、周囲の森の調査も怠りません。神殿の見回りの際には修繕箇所を見つけると、魔法であっという間に修理してしまいます。
魔物の言葉を理解する才能、魔法を操る能力、豊潤な魔力などを兼ね備えたお姫さまですが、苦手なことがひとつだけあります。もちろん編み物です。大好きで大好きでたまらないものが苦手だなんて、なんて寂しいことなのでしょう。
それでもお姫さまは編み物を止めることはありません。何せ自分の旦那さまは、大蜘蛛。大蜘蛛と言えば、この世界でもとびきりの編み物の名手です。大蜘蛛は自身が生み出す糸だけでなく、その編み物の腕前でも有名なのです。
ですからお姫さまは大蜘蛛の元に嫁に行けば、編み物の時間を確保できる上に、心置きなく編み物について尋ねることができると、ほくほくしていたのです。お姫さまに教えを乞われた大蜘蛛は、お姫さまの編んだ編み物を見ると頭を抱えました。
『なぜにそなたは、初手からつまずいてしまうのか』
「本当にどうしてなのでしょう。肩の力を抜いて、空気をたっぷりとふくませながら、同じリズムで編み目を作っているつもりですし、目を数え間違ってもいないはずなのですけれど」
『信じられないくらいに編み目は不ぞろいだし、よくもまあここまでぎちぎちに編んでしまえるものだ』
「しかも編地がねじれてしまって、ひとりでにうねっています」
『編地がねじれるのはわかるが、ひとりでにうねるはずが……。なぜだ、なぜ編み物が宙に浮かぶのだ!』
「本当に編み物って面白いですね」
『ええい、この編み物を取り押さえろ。鬱陶しい、いちいち俺に攻撃してくるんじゃない!』
「探知追尾、そして攻撃まで可能な編み物だなんて素晴らしいですわ」
『そんなわけあるか! くそが、今すぐほどいてやる! そこになおれ!』
「ああ、そんな。せっかくここまで編みましたのに!」
そんなこんなでいきなり始まった押しかけ女房生活は、意外と楽しいものだったのです。
***
すっかりふたりが仲良くなった頃、白銀の国には今までに経験したことのない寒波がやってきました。隣国は既に氷漬けになり、白銀の国に多くの民が避難してきているそうです。
「このままではみんなが凍え死んでしまいます」
『どうする気だ。そなたにできることは何もないと思うが』
大蜘蛛がぬばたまの瞳でお姫さまを見据えました。大蜘蛛の言うことはもっともな話です。だっていくら才能があったとはいえ、お姫さまの行動がすぐさま実行されてきたのは、お姫さまがお姫さまであったからです。大蜘蛛と神殿で編み物ばかりしているお姫さまに、一体何ができるのかと思われても仕方がありません。けれどお姫さまは胸を張って答えます。
「今の私はただの編み物好きに過ぎません。けれど、編み物好きにしかできないことがたくさんあるのですよ」
そうしてたまりにたまった作品たちを抱えると、愛する民に配りにいくことにしたのです。
大蜘蛛の姿はさすがに怖がる者も多いでしょう。お姫さまのアイディアで、大蜘蛛はデフォルメした大蜘蛛の着ぐるみマントをかぶっています。この着ぐるみマントは大蜘蛛自身が作ったものですので、どの方向から見ても可愛らしいという奇跡の一品です。おかげさまで、子どもたちが泣きわめくことなく防御魔法の付与が織り込まれたセーターやひざかけ、マフラーなどをつつがなく配ることができています。
『よくもまあこんなに作ったものだな』
「編み物好きなら、完成品はあっという間に山になってしまうものですよ。それにあなたとの修行のおかげで、普通程度の腕前にはなりましたし、魔法のおかげで複製もたっぷり作ることができました。まあ、オリジナル本体の魔法耐性には遠く及びませんが、この寒波をしのぐことは可能なはずです」
お姫さまたちは、平民から下級貴族、上級貴族と順々に回っていきます。身分の高いものたちは、自分たちの魔力でしのげるぶん後回しなのです。お姫さまに編み物を止めろと言っていた人間たちが後回しになっているような気もしますが、それはたぶん気のせいです。しれっと文句を言ってきた人間の顔と名前は、笑顔で脳内に記憶しているので問題ありません。
そして夜遅くになって、お姫さまは実家である王宮に足を踏み入れたのです。そこでは青い顔をした王さまが、鼻水を凍らせたまま身体を震わせていました。そんな王さまが膝をついて謝ると同時に、お姫さまは大きな大きなセーターを王さまに着せてやりました。
「ああ、なんて温かいのだろう。お前の優しい心根そのもののようだ。お前の愛するものを取り上げようとしたわたしが愚かだったのだ。本当にすまない。……おや、なんだこれは。妙にちくちくする。それによく見ると、このセーターは筆舌に尽くしがたいものがある。娘よ、言いにくいのだが、もう少し別のものを……」
「あら、仕方がないではありませんか。ちくちく言葉で私の心を悩ませたのですもの。少しばかりちくちくするセーターでも、我慢して着ていただかなくては。凍えるよりはましですわ、ええ」
お姫さまは銀糸や金糸が織り込まれているとびきりの毛糸玉で、王さまのセーターを編んだのです。とっても華やかできらきらしていて魅力的なのですが、洋服には向いていない毛糸玉。もちろんそんな毛糸玉でできたセーターの着心地は最悪としか言いようのない代物でした。それでもお姫さまの魔力と愛情がたっぷり詰まったセーターです。この寒さからきっちり身を守ってくれるでしょう。毛根以外は。
「ううう、父を許しておくれ……」
さめざめと王さまが泣きだしたその時です。
「そのセーターとやら、儂にも一枚もらえんかの?」
へっくしゅんと大きなくしゃみをひとつして、氷竜が窓から顔をのぞかせたのでした。
***
なんと今回の寒波の原因は、風邪のせいで魔力制御がうまくできなくなった氷竜が原因だというのです。かわいそうに氷竜は、氷竜の癖に生まれた時からひどい寒がりだったのでした。
「おかわいそうな氷竜さま。安心してくださいまし。私がとびきりのセーターをお作りいたしますわ!」
氷竜のためのセーターは魔法と一緒にしっかり編み込んでやらねばなりません。ふんわり優しい普通のセーターでは、氷竜の魔力に耐え切れずにセーターが弾け飛んでしまうのです。お姫さまの編み物が上達しなかったのは、好き過ぎるあまり、毛糸に魔力が極限まで入り込んでいたからなのでした。
「私はただの下手くそではなかったのですよ。それは大蜘蛛さまと一緒に暮らす中でわかったこと。そして、こんなにすぐ役に立つなんて思いもしませんでしたわ。ね、お父さま。才能がない、向いていないと思われることでも、無意味なことなんてないのです。そして才能がなくても、大好きなことに熱心に取り組んでいればいつか大きな発見をすることもあるかもしれません」
「ああ、そうだな」
「好きなことを職業にすることができれば一番幸せですが、それができなかったとしても好きなことを捨ててしまう必要はないと思うのです。好きなことというのは、私たちの人生を彩り構成する大切な要素なのですから」
お姫さまの言葉は、じんわりと周囲の者たちにも染み込んでいきます。きらきらのラメが織り込まれ、踊り狂う雪だるまが一面にあしらわれた、とんちきハッピースタイルなセーターを着こんだ王さまは、なみだぐみつつ、しきりに何度もうなずいていたのでした。
***
とんでもない速度で氷竜のセーターを仕上げたお姫さまは、艶やかに目を細めました。大蜘蛛との修行の成果といって差し支えない逸品の完成です。
「お礼に何でも望みを叶えてやろう」
王さまに負けないレベルのとんちきセーターを着て小躍りした氷竜は、満足そうに言いました。氷竜の目からすると、巨大なハートマークの中で竜がウインクをしながら微笑む絵柄は最高にイケているようです。
氷竜のお礼の言葉に、お姫さまはちらりと大蜘蛛を見ました。こくんとうなずいた大蜘蛛は、頭をこすりつけながら願い出ました。
『偉大なる氷竜よ。どうか自分を元の姿に戻してもらえないか』
「何を言っている? 好きで大蜘蛛生活を満喫していたのではなかったのか?」
『そんなわけがないだろうが! 俺はこのまま一生を大蜘蛛の姿で終えるのではないかと夜も眠れぬ日々を送っていたのだぞ』
「そうでしたかしら? 結構ぐっすりとお休みになっていたように思いますけれど」
首を傾げるお姫さまを無視して、大蜘蛛はさらに身を低くして床に這いつくばりました。氷竜もまた不思議そうに首をひねります。
「それだけ編み物が上手になったのだ。自分の呪いくらい自分で解いてしまえばよかろうに」
『……なんだと?』
「人間はそんなこともできぬのか。まあ良い。せっかくだから呪いの解き方も教えてやろう。編み物に糸端があるように、呪いもまた編み目に気を付ければ簡単にほどけるのだ」
ひょいひょいと氷竜が大蜘蛛の身体を撫でますと、するすると黒く長い鎖のようなものが伸びてきました。氷竜はそれをくるくると器用に巻いてしまうと、氷漬けにして足で粉々に踏み潰してしまったのです。そして大蜘蛛がいた場所からは、見目麗しいひとりの王子さまが姿を現わしたのでした。
お姫さまは、王子さまが氷竜に頭を下げる様子をなんともいえない表情で眺めておりました。そんなお姫さまの様子に気が付いたのでしょう。氷竜がゆっくりと振り返ります。
「お前はどうだ。編み物の名手になれるような才が欲しいか? 人並み程度の腕を得たとはいえ、お前の望むものはそんなところではなかろうて」
問われたお姫さまは、思わず吹き出してしまいました。先ほどまでの物憂げな様子はどこへやら。ころころとそれはそれは可笑しそうに笑い続けるのです。
「嫌ですわ、氷竜さま。自分で編むのが楽しいのです。降ってわいた才能で編み物をしたところで、何が面白いというのでしょう。確かに一度や二度はその才能に感動するかもしれません。けれど努力せずに得た才は、きっと私から編み物への情熱を失わせることでしょう。私は私自身の手で高みを目指すのです」
「一理あるな。俺を大蜘蛛にして王位継承権を簒奪した弟も、結局は国を失った。まあ今回の寒波騒動がなくても、いずれ足元をすくわれただろうがな。卑怯な手を使って手に入れたものは、いずれ己の手からすり抜けていってしまうのだろうよ」
さもありなんとと氷竜はうなずきました。氷竜はもしかしたら、お姫さまが断ることを見越して、先ほどの申し出を行ったのかもしれません。そこでお姫さまは、頬に手を当ててふと残念そうにつぶやきました。
「旦那さまが本来の姿を取り戻したことは喜ばしいことなのでしょうが。大蜘蛛ならではの手法やデザイン、極上の蜘蛛糸が失われてしまったことは惜しゅうございましたわねえ。もっと私に時間があれば、せめて編み図として残しておきましたのに」
大変な奇跡を目にしているにもかかわらずこの言い草。編み物を愛するお姫さまにとってはなんとも口惜しい事態だったようです。
「そなた、大蜘蛛のままの俺の方が良かったと思っているのではあるまいな?」
「……そんなまさか」
「どうして即答しない!」
「そうか、そうか。それならば良い方法がある。なに、簡単なことだ。王子は長いこと大蜘蛛として暮らしていたゆえ、人間の姿に戻ってからも、いくつか大蜘蛛の特殊能力を引き継がせることが可能だ。それはお前の望みに沿うのではなかろうか」
氷竜の申し出に王子さまは冷や汗が吹き出ました。お姫さまは普段は大変真面目で優しいひとなのですが、編み物のこととなりますと信じられないくらい突拍子もない行動に出てしまうのです。
蜘蛛の能力といっても、いくつもあります。複眼で死角なしに周囲を見渡すことのできる視覚。毒の無効化。このような能力であれば、王子さまだってちょっといいなと思ったかもしれません。けれど、残念ながら氷竜が授けてくれようとしているもの、そしてお姫さまが欲しがっているものはそんな類のものではないでしょう。
「蜘蛛は腹から糸を出すのだが、人間にはそのような場所が残念ながらない。このままではさすがに王子が糸を出すことは難しいだろう」
「ええ、やはりそうですわよね」
お姫さまが落胆の声を上げ、王子さまが一瞬ばかり胸を撫でおろしたその時です。
「だが、人間どもは蜘蛛は尻から糸を出すと勘違いしている者が多いようだな。信じる人間が多ければ、それは魔法として成立する。喜べ、人間の王子よ。お前には、解呪のほかに尻から極上の蜘蛛糸を出せる能力を贈ってやろう。儂からの結婚祝いだ。受け取れ」
「俺にそんな面白機能をつけるんじゃない!!!」
「慎み深い男だな。よい、よい。遠慮するな。せっかくだから、蜘蛛の糸は一年のうち一定期間のみ黄金色に輝くようにしておいてやろう」
「まあ、普段は銀糸、期間限定で金糸だなんて。なんて素晴らしいのでしょう!」
「素晴らしくないからな! 絶対に嫌だからな!」
セーターを着こんだ彼らの賑やかなおしゃべりはいつまでも続きました。足元では、もうすっかり松雪草が顔をのぞかせています。
***
それからお姫さまは、献身的な旦那さまと結婚して立派な女王さまになりました。好きを仕事にできなかったお姫さまですが、好きのために大変な仕事を頑張ることにしたのです。女王さまの楽しみは、大好きな編み物をすること。そしてそれを優しい旦那さまと可愛い子どもたちにプレゼントすることです。少しばかり風変りな模様のセーターは、いつしか冬の風物詩となり、国中に広く伝わることになったのでした。
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