4 氷の令嬢は憧れの人
「あのアイスラ」とはどのアイスラなのかと、心の中で少し悪態をつく。
それほどに、私は社交界で浸透している私の呼び名を嫌悪していた。
『氷の令嬢』
この名に、今までどれほど苦しめられてきたことか……。
国内でもまれな銀髪に、領地が雪に閉ざされた土地であること。
そして何より、私が氷魔法を使うがゆえに付けられた二つ名。
侯爵家の一人娘ということもあって、ただでさえ幼い頃より婿希望の者が殺到していたというのに、『氷の令嬢』と呼ばれだして以降、さらに輪をかけて婚約の申し込みが舞い込んでくるようになった。
生まれて以来ほとんど領地に引きこもっているのだから、私の性格も、顔すらもほぼ知らないだろうに、「美しき氷の君へ」などと書かれたあからさまな美辞麗句の並ぶ手紙が、十年近くに渡っていまだに毎日のように送られてくる。
私の肩書や呼び名に釣られて来るような者たちに、気を遣いながら返事を書くなんて苦痛でしかない。
そんなことに時間を割くくらいなら、一人で魔法の研究をしている方がよっぽど有益だとずっと思っていた。
でも、そんな私の気持ちなど関係なく、この『氷の令嬢』という呼び名が社交界で浸透してしまっているのは否定しようのない事実だったわけで……。
「うん……私が氷の令嬢のアイスラ、かな……」
自分でそう名乗るのは、何の拷問かと思うくらいに気持ちが萎える。
しかし、作り笑いも消えかけそうになる私とは対照的に、ジュリアナは花が咲くようにぱあっと顔を綻ばせた。
「やはり……! その美しい銀髪に、もしかしてそうではないかと思っていました。氷の令嬢の二つ名に相応しいお美しさだけでなく、アイスラ様がこんなに慈愛に満ちたお方だったとは……お話しできて光栄です」
屈託のない笑顔。
恐らく本心からそう思っているのだろうということが、その表情から伺える。
しかし、美しさはともかくとして、慈愛に満ちたかあ。
確かに、それを狙って胸を貸したり世話をしたりしたのだけれども、実際の私は全くそんなことはない。
そういう風に見せていたのも、ひとえにジュリアナの持つ闇魔法に興味を持ち、研究がしたかったからだ。
でも、いきなりそんなことをストレートにお願いしても、ジュリアナ嬢の状況からして無理な話なわけで。
心に深い傷を持つジュリアナに寄り添い、まるで氷を優しく溶かすように、少しずつ少しずつ癒していこう。
そして、警戒心強く、容易に人を信じない貴族令嬢の鏡たるジュリアナの信頼を勝ち取るのは、おそらく時間がかかるだろう。
そう思っていた。
それなのに、この心底嬉しそうな表情……。
生き馬の目の抜くような社交界の筆頭であったはずなのに、こんなに簡単に心を開いちゃっていいのだろうか? と、むしろ少し心配になってくる。
「お会いできて光栄です」と、少し想定していた展開と違うけれども、さて、なんと言葉を返そうか……。
そう思案していると、ジュリアナはハッと何かに思い至ったかのような表情をしたかと思えば、緩めていた表情をわずかに曇らせた。
「……すみません。場を弁えずにはしゃいでしまいました……実は、私、かねてよりアイスラ様とお話してみたかったのです」
カップから手を放し、手を膝に置いてギュッと服の裾を握る。
目線は下を向き、カップに残る紅茶の水面に映る自分の姿を見つめているようだった。
「社交界をうまく立ち回ることに腐心していた私には、王家主催である新年を祝う舞踏会にのみご出席され、凛とお一人で過ごされるアイスラ様がとても眩しく映っておりました。アイスラ様は……氷の令嬢は……私の憧れだったのです」
なるほど。そもそも私に好意を抱いていたから、簡単だったと。
……これって、もしや、引き留めるチャンスなのでは?
私は憧れの人であったという。
ならば、変に理由を考えずとも、ここはストレートに……。
ジュリアナの傍に寄り、少し震える拳の上に手を重ねた。
俯いた視線が上を向き、潤んだ瞳と目が合う。
「ねえ、ジュリアナ嬢。もしよければ、私と一緒にこの城で暮らさない?」
私を見上げる澄んだ瞳から、目が離せなかった。