下町案内
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ヴィーという娘は歩きながらパンを食べ始めた。マークが急に訪れたせいで昼食を抜いていたのかもしれない。伯爵一行にも好きに食べろと言うが、行儀が悪い。素晴らしい美人だがやはり平民だな。マークは少しがっかりした。
「ごちそうさまでした。伯爵さまたちは召し上がらないんですか?じゃあ残りは捨てちゃいますね」
娘は唐突に食事を終えると、スラムの路地裏のごみ箱の蓋を開けた。中は空だ。そこへ大量のパンを袋ごと捨てた。護衛に持たせていた袋も全て捨てる。そして蓋をガンガンと打ち鳴らしてから閉めた。
マークは驚いた。彼女は素知らぬ顔で立ち去る。一行がそこを離れると、とたんに子供たちがごみ箱に群がって来た。
「君はあの子らに…」
パンを施したのか。娘は人差し指を立て、唇に当てた。
「しーっ。あまり見ないで」
「どうして直接手渡さないんだ?」
「これ以上あげられないから」
慈善団体の炊き出しは不定期だ。数人にパンを渡せば他の何百人という子供らが自分にもと要求する。全てに配れないなら、こうするしかない。そう言って娘は微笑んだ。
「…この子らは新しい街には住めません。その日の食事にも事欠くほど貧しいのです」
ガリガリに瘠せ細った子供たちがパンを頬張る。面倒を見る大人はいない。彼の一族が統べる国にこんな子らがいる。王太子は衝撃を受けた。
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ルパ伯爵は黙ってしまった。貴族には衝撃的すぎたかしら。ヴァイオレットは心配になってきた。日も暮れた。次は少し楽しいかもしれない。賭場と娼館、魅惑の歓楽街だ。
「あら~。ヴィーちゃん。待ってたわよ~」
下町随一の娼館を経営するマダムを紹介した。お偉いさんの視察だと予め知らせてある。綺麗どころをズラリと並べて歓迎してくれた。伯爵一行は若くて美男ぞろいなので女の子がキャーキャーとうるさい。
「ウチは平民相手なの。ちょんの間ならコレくらい」
マダムの話はちんぷんかんぷんだ。伯爵もよく分からないらしい。分かる護衛騎士に訳してもらう。彼は伯爵の耳に手を当て、コソコソと伝えた。2人とも顔が赤い。
「ヴィーちゃん、例の旦那の件考えてくれた~?」
伯爵がもう良いと言うので辞そうとすると、マダムが猫撫で声で訊いてきた。
「お断りしといて」
ヴァイオレットはさらりと流そうとしたが、伯爵が聞き咎めた。
「何の話だ」
大した事ではない。ここへ納品に来た時に、居合わせたさる大店の旦那とやらに気に入られてしまったのだ。以来、マダムを通じて度々愛人にならないかと誘われている。
「月のお手当、100は出すってよ~」
「何度も言ってるじゃない。私は細マッチョの騎士様と結婚するのが夢なんだってば」
伯爵の護衛達がソワソワしだした。
「水揚げだけでも。300出すってさ~」
「?」
魚かな。
「次に行くぞ!」
急に伯爵がヴァイオレットの手を引っ張り、娼館訪問は終わった。
「魚釣りに行くだけで300万イェーンも出す?」
先程の世情に詳しい騎士に訊く。彼は顔を赤くして口をモゴモゴさせた。伯爵が凄い剣幕で話を遮った。
「君は知らなくて良いっ!」
◆
何ということだ。彼女は乙女だ。こんなに美しいのに。こんなに無防備で。マークは既にヴィーを他人だと思えなかった。
(これは運命だ。彼女は私の…)
マークは天使のような娘から目が離せなくなっていた。
♡
最後は賭場だ。下町で最も危険で熱い場所。ここを仕切るのはニュージューク裏社会のトップ・プラーザ組だ。
「こちらが賭場のオーナーです」
「おうよ。宜しくな。兄ちゃん」
強面のおっさんは伯爵を睨めつけた。媚びない。へつらわない。この地区は完全なる治外法権なのだ。
伯爵は鼻白んだが直ぐに立ち直った。再開発に協力する気はあるかと、オーナーに問う。
「バカ言ってんじゃねぇ。そんなお綺麗なハコ、誰も来やしねえよ。貴族のカジノじゃねぇんだ」
「しかし国が力で押さえつけてきたらどうする?流石に軍には勝てまい」
おっさんは爆笑した。
「やれるもんならやってみろよ。ニュージュークが灰にならあ」
王都中の組員が立ち上がり暴動を起こす。潰される前に逃げる。すぐに再起する。その繰り返しになるだろう。
「俺達が裏の王だ。口を出すな。小僧」
凄まれても伯爵は引かない。なかなか芯がある。ヴァイオレットは睨み合う2人の間に入った。
「伯爵様。オーナーの言う事にも一理あります」
プラーザ組がいるから他のもっと極悪な奴らは来ない。賭場は貧しい男たちが夢を見る場だ。たとえすってんてんになっても、オーナーは命までは取らない。妻子にも手は出さない。ある意味下町の秩序を守っている。
「プラーザ組はマシな方です」
「ひでぇな。ヴィー。可愛い顔で言いやがる」
オーナーはワッハッハと笑うとヴァイオレットの頭を撫でた。何故か飴玉をくれる。
「おめぇも早く故郷へ帰れ。この兄ちゃんとの抗争に巻き込まれちまうぞ」
仁義なき戦いが始まる口ぶりだ。
「来月には帰るけど。王都を灰にしないでよ。おばさんの食堂燃えたら怒るからね」
「わかってるって。ちょっとからかっただけだ。話は済んだな。帰れ」
おっさんは伯爵一行を追い出した。穏便な方だ。これで下町案内の仕事は終わりだ。商工会へと戻りながら伯爵が訊いてきた。
「…故郷へ帰ると言っていたな。君はどこの出身なんだ?」
「オダキユです」
伯爵が目を見開いた。そんなに驚くことかな。妙な雰囲気のまま事務所に着く。ヴァイオレットは会長に終了を報告し、一行を見送った。そして臨時収入を受け取ると下宿へと帰った。