代書屋ヴィー
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同じころ。ケイオス王国の王都ニュージュークの下町に当のヴァイオレット姫がいた。名を「ヴィー」と変え、代書屋として働いている。美味い食堂の2階が今の住まいだ。
この国の平民の識字率は低い。きちんとした契約書の代書や代読、帳簿の計算などを請け負って稼いでいる。というのも、護符の精霊ナナコの魔法にも色々制約があったのだ。まず転移できる距離が短い。最大で7キロ。これでは故郷には帰れない。次に出せる物質だが、主であるヴァイオレットが直接食べたり身につける物に限られる。他人に渡す金銭は出せない。
「ごめんね~。出来ない事が多くて」
ナナコは恥ずかしそうに謝る。
「何で死体は出せたの?」
「あれは近くの墓場から拝借してきた死体を変形魔法でー」
お金もどこからか取ってくることはできるらしい。だか盗みは良くない。なので今は旅費を貯めているところだ。
「ナナコは他の事がいっぱいできるじゃない。冬も暖房要らずだったし。嫌なお客も幻術で追い返したわ」
女一人でも何とか生きていけるのは、ナナコのおかげだ。ヴァイオレットと小さな精霊は力を合わせて幸せに暮らしていた。
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「ヴィーちゃん。仕事だよ」
食堂の女将が部屋に来た。一階に降りると下町商工会の会長が待っていた。
「何かね、大規模な再開発の話があるんだって。ここら一帯を国が買い取って、新しく店舗の沢山入る商店街を建てるんだって」
女将は役人が置いていった通知を見せた。ヴァイオレットは眉をひそめた。
「地主さんには買上料が入るけど、店子には立ち退き料がこれっぽっち?」
しかも新しい店舗の賃料が今の倍だ。下町の住人相手の商売は難しい。
「そうなんだよ。国は下町をどこも治安が悪いと十把一絡げに考えているんじゃないかね」
会長はため息をついた。下町と言っても様々だ。賭場や娼館が立ち並ぶ繁華街。移民や貧民が集まるスラム街。ここは治安の良い労働者地区だ。
「下町を管轄する役人じゃダメだ。もっと上に訴えたいんだよ。書いてくれんかね。嘆願書」
ヴァイオレットは快く引き受けた。貴族相手の文書が書けるのが自分の強みなのだ。それにこの食堂が無くなるのは困る。代書屋ヴィーは気合いを入れて仕事に取り掛かった。
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オダキユとの同盟破棄の一件で、王太子マークは外交や大規模な事業から外された。唯一の直系王子なので廃嫡こそ免れたが実質降格。王都の再開発のような小さな仕事しかできずに燻ぶっていた
しかしそこは仕事人間の習い性。彼は再開発関連の資料全てに目を通した。その中に良くまとまった嘆願書があった。現状の案では立ち退いた商店主が戻ることができず、失敗に終わるだろうと書かれている。住み家を失った貧民や犯罪者が別の場所に魔窟を作るだけで治安の回復には繋がらない。国家の予算をつぎ込んで廃墟を作り出すだけだと。
美しい女手の筆跡に目を奪われた。差出人は下町商工会会長となっている。
(一度視察に行くか)
暇な王太子は実態を確かめるべく、お忍びで出かけることにした。
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「本日ご案内をいたします、ヴィーと申します。よろしくお願いいたします」
下町商工会の会長が伴って来たのは若い娘だった。輝くような金髪に澄んだ青い瞳。驚くほど白い肌と細い腰。思わず喉が鳴るほどの美人だった。彼女は優雅に一礼をするとテキパキと視察の段取りを始めた。
「まだ2時ですね。ではこの近くに行きましょう。再開発計画のおよそ半分を占める労働者地区です」
「あ、ああ…」
マークは先に立って歩く美女の尻ばかり見てしまう。庶民のスカートは短めで細い足首が。
(いかん。しっかりしろ。仕事中だ)
煩悩を気合で振り払い、身分を伯爵と偽った王太子は初の下町視察へと向かった。
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会長に泣きつかれてうっかり貴族の案内を引き受けてしまった。ルパ伯爵とやらはヴァイオレットの顔を凝視していた。宮中で会ったことがあるのかもしれない。瞳の色をナナコの魔法で青くしているが安心はできない。彼女は警戒しながら歩き始めた。
伯爵の護衛を含めた一行は屋台村に着いた。仕事を終えた朝早い労働者で屋台が賑わい始めている。
彼らが頼むのは、主に串焼きと麦酒で500イエーン足らずだ。一般的な家庭持ちの男の小遣いだと言われている。
「随分安いな。それで店はやっていけるのか?」
「労働者の賃上げが進まないからです。値上げはできません」
帝国産の食材は高騰している。それでも値段は据え置きだ。ヴァイオレットは物価高の影響を説明した。
「…」
帝国と聞いてルパ伯爵は難しい顔をした。
「立ち退いた店があの賃料では戻れない理由です」
「なるほどな…」
納得してくれたようなのでスラム地区へと移動する。途中、ヴァイオレットはパン屋で大量のパンを買った。護衛の騎士たちにも持ってもらう。両手が塞がれるのを渋っていたがスラムでこんな屈強な一団を襲う者はいない。彼女はパンを齧りながら、女王の様に騎士たちを引き連れて貧民街へと入っていった。