ナナコ消失
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背中をドンっと強く押された。よろめいて陛下に受け止められる。護衛の騎士が陛下を引き倒すものだから、ヴァイオレットも倒れてしまった。いやあね。みんな酔っぱらって。そう思ったとたん、焼け付く痛みが襲って来た。
「ヴィー!!」
陛下の声が遠い。水中で聞いているようだ。ヴァイオレットはようやく命の危機だと悟った。
(助けてナナコ!)
応えが無い。魔法を使いすぎてしまったのか。視界が暗くなる。ゴボリと血を吐き、彼女は意識を失った。
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護衛が矢を放った密偵を捕らえた。下町の人々は懸命にヴィーの手当てをしている。
「猛毒ワオンが塗ってある。死ね!魔女め!」
帝国の間者は笑って言い放った。マークは急いで彼女を城内の医務室に運ばせた。だが医官は首を振った。
「ワオンの解毒薬は存在しません。残念ですが…」
「彼女は一番の功労者なんだぞ!助けろ!」
いくら王命とて無いものは無い。ヴィーは5日の間、生死をさ迷った。
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暗闇の中、ヴァイオレットは泣いていた。
(ナナコ―!お願い!出てきて!)
牢獄を出てからずっと一緒だったのに。どうして急にいなくなってしまったの。
(怖い)
今になって分かる。ナナコの魔法に依存していた。彼女がいないと不安で仕方ない。
これは優しい精霊に頼り過ぎた罰なのか。帝国軍を退けて良い気になっていた報いなのか。
(1人じゃ何にもできない。ナナコがいなきゃ…)
その時、蹲るヴァイオレットにミロードの声が聞こえた。
「そんなもの、最初からいなかったんですよ」
え?
「あの幽閉と飢えの苦しみがもたらした幻想です。妄想と言って良い」
嘘よ。だってナナコが魔法で助けてくれたのよ。
「大公妃殿下が教えてくださいました。護符の指輪はただのお守りだと。神官長もおっしゃった。霊力のある自分でも精霊は見えないと」
じゃあ、どう説明するのよ。今まで見せてきた魔法を。
「治癒も転移も“盗み”も、皆あなたの能力です。オダキユ王家に伝わる古の力です」
それは眼鏡が作った設定じゃないの。
「過去数百年間、これを得た王族はいません。死に瀕してのみ顕現する力なのです。あなたは不幸にも獄死しかけた。力は目覚め、壊れかけた心がナナコという存在を作り上げたんですよ」
嘘よ。嘘よ。嘘よ。確かにいたわ。2人で力を合わせて暮らしてたのよ。一緒に仕事をして、旅をして、笑い合って。
「全てあなたの孤独が産み出した幻覚です。大公夫妻も神官長もあえて言わないのです」
私だけ狂っていたの?私だけが。
「どっちでも良いじゃないですか。妄想だろうが幻覚だろうが。ナナコとやらの力の限界はあなたの無意識が定めたものだ。本当はあんなにショボいものじゃないはずです」
ヴァイオレットは叫んだ。
「ショボいって言うな!!」
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目が覚めると眼鏡が横にいた。ヴァイオレットは起き上がり、背中に痛みが無い事に驚いた。
「治ってる…」
「遅すぎる。一瞬で解毒できたはずです」
いきなり怒られた。ケイオスの王城になぜミロードがいるのだろう。考えていると奴は立ち上がり、部屋を出て行った。入れ替わりに侍女たちが入ってきた。風呂に入れて着替えをさせてくれる。
「オダキユの大使?ミロード卿が?」
「そうです。連絡が途絶えたからとか」
髪を拭きながら侍女が教えてくれた。ヴァイオレットが毒矢に倒れた翌々日、眼鏡が来たそうだ。
スープを飲んでいると眼鏡が戻って来た。顔を見るなり指示をしてくる。
「食事を終えたら出かけますよ。支度してください」
「どこへ行くの?それより陛下に知らせてくれた?私はもう大丈夫だって」
きっと心配しているだろう。
「あなたが寝ている間に世界情勢が大きく動きました。ケイオスとオダキユ率いる連合国軍は帝国に宣戦を布告し、現在チバノ平野に展開中です。マーク王はそちらにいます」
ヴァイオレットは目を丸くした。眼鏡によるとニュージューク包囲戦に大敗した帝国の噂はあっという間に広まり、敵対する国々が一斉に立ち上がったらしい。
「勝てるの?強いんでしょ?帝国って」
ハルク兄さまも参戦しているらしい。不安で訊くと、眼鏡は口の端を上げてニヤリと笑った。
「勝てます。あなたがいればね。“ヴィー”」
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眼鏡が魔法で転移しろと言うができない。ヴァイオレットは肩を落とした。
「全然分からないわ。全部ナナコがやってくれてたんだもの」
「…ではナナコを創りなさい。今のあなたならできるはずです」
魔法は彼女が操る。あなたはただ願うだけ。眼鏡はそう言う。
「でも創造の魔法は…」
「できます。信じる心が足りないだけです。精霊はそこにいます」
彼女は目を瞑った。ナナコの姿を思い浮かべ、会いたいと強く強く願う。するとキラリと護符の指輪が煌めいた。煌めきは凝縮し、4枚羽の精霊を形作った。
「ヴィー!」
「ナナコ!」
ヴァイオレットは小さな体に頬を寄せた。涙が精霊を濡らす。
「あたし、実体化したよ。もう誰にでも見えるよ!」
ミロードが下を指差した。
「お見事です。ですが、その足元の動物は?」
下を見ると、何かが彼女を見上げている。狸っぽい。ナナコがその動物の上に舞い降りた。
「コイツはポンタ!あたしの弟だよ!」
全く似てないが。
「ポンタは転移の天才なんだ。何キロ離れてても大丈夫!」
ヴァイオレットと眼鏡は顔を見合わせた。そうきたか。2人はポンタの力を借りてチバノ平野に転移した。




