忘れられた花嫁
皆さんは何王国にお住まいでしょうか?私はケイオス王国リトナード領に住んでいます。王都ニュージュークにはよく行きます。オダキユ王国にはたまに行きます。企業の名前や駅ビルのネーミングにインスパイアされ、書きました!イーオン帝国にお住いの方、お気を悪くされませんように…。
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『〇月×日。快晴。
先ほど披露宴が終わった。今日から私はケイオス王太子妃だ。今は後宮の塔にある一室で殿下のお越しを待っている。初夜はここで過ごすのが習わしらしい。朝まで侍女を呼んでもいけないそうだ。隣国なのに色々と違うものだ。明日から少しずつ侍女長に教わっていこう』
オダキユ王国から嫁したヴァイオレット姫は日記を書き終えた。この婚姻はイーオン帝国に対抗する為に組まれた同盟の証だ。王家に年頃の娘がいなかったため、傍系の姫である彼女に白羽の矢が立ったのだ。王の養女となったので身分は王女。オダキユ王族の特徴である黄金の髪と菫色の瞳を持っている。
(素敵な方だったわ。殿下)
ヴァイオレットはこの結婚に乗り気ではなかった。しかし結婚式で初めて会った王太子に目が眩んだ。堂々たる体躯。雄々しい黒髪に金色の瞳。ベール越しでも美男ぶりが分かった。
(何て私は幸運なんだろう。末端の王族から王太子妃になれるなんて!)
花嫁衣裳のままベッドに腰かけた16歳の乙女は、胸を高鳴らせて花婿を待っていた。
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『〇月×日。曇り。
結局、殿下はお越しにならなかった。どうしたのだろう?何か御加減でも悪くなったのだろうか?朝になったので侍女を呼んだが、誰も来ない。明るくなった室内を見回すと、窓に鉄格子がはまっている。ドアは重い鉄製で鍵がかかっていた。ドアの下の方に四角い小窓があり、その蓋を押し上げて大声で助けを呼んだが、物音ひとつしない。私は閉じ込められたの?』
1日中、声を限りに助けを求めたが誰も来てくれない。夕方過ぎにドアの小窓からトレイが押し込まれた。水の入ったコップとパンが1切れ乗っていた。
「ねえ!いったいどういうことなの?!説明して!」
ヴァイオレットの声は無視され、足音は遠ざかっていった。受け入れざるを得ない。幽閉された。完全に。
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『〇月×日。幽閉5日目。
毎日夕方に水とパンが与えられる。だんだんパンが小さくなっている気がする。ひもじい。王太子妃宮にオダキユから持って来たクッキーがあるのに。お腹が空いていると食べ物のことしか考えられなくなる。しっかりしろ。どうしてこんなことになったのか考えるのよ』
ここは後宮の外れにある塔の何階かだ。小さな窓からは空だけが見える。食事は日に1回。夕方に水とパン1切れが与えられる。家具はベッド、文机、椅子、衝立の向こうにトイレと洗面台。持ち込めた物は日記帳とペンとインク、刺繍セットのみ。衣服は花嫁衣裳のままで、耳飾りと首飾り、結婚指輪と護符の指輪を付けている。
(帝国の陰謀かしら?同盟を妨害してる?)
付け焼刃だが一応妃教育は受けている。だがいくら考えても答えは出ない。ヴァイオレットは空腹に耐えながら、根気強く給仕係に話しかけた。反応は一切ない。耳が聞こえないか喋れない者のようだった。
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『〇月×日。幽閉10日目。
昨日から食事を止められてしまった。どうしよう。考えた結果、給仕係を買収することにした。花嫁衣装に沢山縫い付けられているダイヤを外す。1粒に手紙を添えてドアの小窓から押し出した。すると今日の夕方にはまた食事が差し入れられた。これで当分は持つだろう。刺繍セットを持ってきて良かった』
夕方前にダイヤと「パンをください」というメッセージを出す。すると食事がもらえる。1日中ベッドに横になり、空腹をしのぐ他はすることが無かった。飢餓は徐々にヴァイオレットから正気を奪っていった。
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『〇月×日。幽閉150日目。
ダイヤが底をついた。とたんに食事が来ない。仕方ない。首飾りと耳飾りも出そう。寒くなってきた。嫁いできたのが初夏だったから、冬が来ているのだ。ケイオスの冬は厳しいと聞く。暖房もなく越せるだろうか?』
花嫁衣装に合わせた宝飾品で3日しのげた。だがそこまでだった。もう差し出せるのはイエローダイヤのはまった結婚指輪と故郷から持って来た護符の指輪しかない。
(どちらも渡したくない)
ヴァイオレットは2つの指輪をぎゅっと握り込んだ。殿下が贈ってくださった指輪だ。護符も一族の宝だと母が持たせてくれたものだ。絶対に嫌だ。この期に及んで、彼女は王太子を疑っていなかった。
(あった。まだ渡せる物があったわ)
王女は髪を一まとめにした。それを切れ味の悪い糸切鋏で少しづつ切る。切り口はギザギザ。何カ月も風呂に入っていないため薄汚れている。洗面台で丁寧に洗ってシーツで拭くと以前の輝きが多少戻ってきた。
生乾きの金髪の束と、最後の手紙を置く。
『パンをください。なるべく多く。お慈悲を』
しかし慈悲は与えられなかった。ヴァイオレットの独房に食事が来ることは二度と無かった。髪は持ち去られていたのに。
日記の残りはあと1ページだった。メッセージを書くために破り取っていたからだ。
『〇月×日。幽閉155日目。
もう渡せる物が無くなった。冬の冷気も辛い。ベッドから出ることもできない。
さようなら。オダキユ王国に栄光あれ。
ヴァイオレット・ド・オダキユ』
最初からケイオスの妃では無かった。彼女が最後に記したのは、王女としての誇り高い名だった。