第2話 ふわふわウサギと地獄の入り口
ウサギを追う、胡桃色の髪の少女を追う形で俺は後に続いた。
入り組んだ路地を器用に駆けて行く少女に、剣と棍棒を身に付けた俺は必死でついて行った。
すると、不意に道の先に光が見えた。どうやら大通りに出るようだ。
大通りに出た瞬間、眩しさに視界が奪われる。徐々に回復する視力をもどかしく思いながら、周りに視線を巡らす。
居た。
どうやら少女もウサギを見失ったようで、あたりをきょろきょろ見回していた。俺は意を決して声を掛ける。
「あの!」
少女はびくっと体を震わせた。そして、絹糸のように細く、鮮やかな光沢をたたえた髪をなびかせながら、俺の方に振り向いた。
俺は再び、その姿に言葉を失くした。
おそらく歳は同じくらいであろう、十六、七歳だと思われる少女には、しかし大人びた印象も受けた。可憐さと、大人の美しさが同居したような少女。睫毛は長く、同じく胡桃色の瞳には、見惚れてしまうほどの光があった。あまりの美しさに言葉を失った俺は、呆けた顔で彼女の顔を見続けていた。
「あの……」
声を掛けられ、我に返る。
「あっすみません、俺、アイルって言います。ウサギを追ってましたよね?」
少女は少し驚いたような表情をしたが、すぐに訝しげな表情を見せた。
「私のことをつけてたんですか?」
「いや、全く変な意味でつけてたんじゃなくて、俺も依頼を見てウサギを探してて、ウサギを偶然見つけたら君がウサギを追ってて……」
少女はまだ俺を疑っているようだったが、今はウサギを追うのが先らしく、話を進めてくれた。
「そうですか。今はそれを信じます」
俺は内心ほっとして、少女に次の質問を投げかけた。
「歳はいくつですか?」
どこかでカラスが鳴くのが聞こえた。
いや、順番が違う!そもそも女性に歳を聞くのは失礼すぎる!
自分の失言にダラダラ汗をかきながら、少女の顔を恐る恐る見る。
案の定、少女は冷ややかな目で俺を見ていた。
死んだ……
そう思ったのも束の間、少女は小さく溜息を吐き、素直に答えてくれた。
「十六歳です」
俺と同い年だった。予想はしていたものの、少女の見た目や言動にそぐわず、少し驚く。
「俺も十六歳。同い年みたいだから、敬語は使わなくてもいい?」
少女はコクリとうなづいた。
「じゃあ」
「移動しながら話しましょう。ウサギがまだ近くに居るはずだわ」
「わかった。ウサギがどっちの方向に行ったかわかるか?」
大通りは東西に伸びている。
「こっち」
少女は東を指して歩き始めたので、俺も慌ててついて行く。
「名前を聞いてもいいか?」
「リリア」
「リリアか……。よろしくな」
「よろしく、アイル」
「とりあえず、ウサギ探しを協力してするってことで」
「了解」
これで一通りの必要な会話はできた。ウサギをきょろきょろ探しながら、俺はそう思った。
ーーしかし……彼女は結構冷たいのか……?いや、まあ俺が歳なんて聞くのが悪いんだけど……
「見つけた!」
俺が悶々としている間に、リリアはウサギを捕捉することに成功したようだ。ウサギは裏路地の奥にいる。
俺達も裏路地に入り、ウサギに気付かれないように近づいていく。
「待って」
リリアが音量を下げた声で俺を止める。
「少し手荒だけど、許して」
そう言うと、リリアは右手を掲げて、真っ直ぐにウサギに向けた。
ーー何をするんだ?
次の瞬間、リリアの右手が青く光った。すると、右手からウサギ大の泡がいくつも発射された。
「魔法か!」
低位魔法、「バブル」。水属性の基本的な魔法だ。しかし、彼女は詠唱はおろか、結びである魔法名も口にしていない。
ウサギを目掛けていくつもの泡がふわふわと飛んで行く。ウサギは泡に気付いていないようだ。泡がウサギの体に触れた瞬間、ウサギは泡に閉じ込められ、宙に浮き始めた。ウサギは泡の中でごろごろ回転している。
リリアはウサギに駆け寄り、宙に浮かぶウサギの下に手を添えた。泡が弾け、ウサギがリリアの腕の中に収まる。
リリアに声を掛けようとすると、ウサギに微笑みかけているリリアの顔に少々驚く。
「すごいな」
俺もウサギの側に歩み寄る。
「さっきの魔法、詠唱も結びもしてなかった。どうやって魔法を発動させたんだ?」
リリアは涼しい顔で質問に答えた。
「さっきのは最も基本的な水魔法。魔法士なら詠唱も結びもなく発動できるものよ」
「……そうなんだ」
恐らく凄腕の魔法士なのであろう、彼女は実に当たり前だとでも言うように話した。
魔法だけでなく、彼女は左腰に剣も携えている。剣士でもあるのだろうか。
「それより、早くこのウサギを依頼主に届けましょ」
「そうだな」
そう言って、俺達は大通りに出た。
「どうもありがとうございました。ほら、お姉ちゃん達に挨拶」
「ありがとう!おねーちゃん、おにーちゃん!」
依頼主にウサギを届け、依頼は無事完了した。報酬に千レインを貰ったが、ここで問題がひとつある。
ーー俺、何もしてない気がする。さすがに、報酬は受け取れないな……
そう思った俺の目の前に、リリアが拳を出してくる。
「手出して。あなたの分」
「え?」
言われるがまま、右手を出す。すると、リリアは手を広げ、五百レイン銀貨を俺の手に落とした。
「いいのか?俺、何もしてないけど……」
「いいの。協力して探したじゃない」
「そ、そうか。どうも……」
ここは素直にお言葉に甘えておく。五百レインは俺にとって大金だ。
「依頼は無事終わったわけだけど、これからどうするんだ?」
少しの間行動を共にしたが、名前と年齢以外何も知らない少女に興味本位で聞いてみる。
「私は……」
言いかけたところで、屈強な男達の会話によってリリアの言葉は遮られた。
「おい、聞いたか?東の森のダンジョンに新しい幻思世界が発見されたみたいだぜ。しかも、かなり強力な世界だって話だ」
「なに、本当か!オレ達も見に行こうぜ!」
そう言って、男達は駆けて行った。よく見ると、多くの冒険者が東の森に向かって進んでいるようだ。
「新しい幻思世界か……。なあ、リリア、俺たちも見に行ってみ……」
リリアは考え事をしているようで、俺の言葉は耳に入っていないようだ。
「リリア?」
名前を呼ぶと、ハッとして俺の方を見た。
「あ、ごめんなさい。何の話だったかしら」
「俺達も東の森に行ってみないか?」
「そうね……」
リリアはもう一度何かを考えているようだったが、すぐに俺の言葉に答えた。
「ええ、行きましょう」
ウサギを追って街の東に来ていたため、東の森のダンジョンにはすぐに着いた。ダンジョンに入っていく冒険者達の姿が見える。
俺達も彼らの後に続いて、ダンジョンに足を踏み入れた。左手の奥に人だかりが見える。どうやら新しい幻思世界はダンジョンの第一層にあるようだ。
冒険者の流れに乗って、俺達もダンジョンを進んでいく。目的地にはすぐに着いた。
幻思世界の発生源は、二十マルト四方ほどの部屋の中にあるようだ。冒険者が多く、部屋に入りきらない人で溢れている。俺とリリアは、人垣の隙間から部屋の中を覗き込んだ。
どうやら、幻思世界の発生源は剣であるようだ。地面に突き立った剣を囲むようにして人が立っている。
「おかしいわね」
リリアが言った。確かに、俺も引っかかるところがある。
「ああ。こんな上層に今まで発見されてなかった幻思世界があるなんて、ちょっと信じられないよな」
ダンジョンはまだ踏破されていないが、恐らく中層までは調査の手が及んでいるはずだ。こんな第一層に取りこぼした、しかも強力な幻思世界が存在するものだろうか。
「ええ、私もそう思うわ」
そう言った直後。リリアの体が強張ったように見えた。
「嘘でしょ……」
明らかに声が震えている。一体どうしたというのだろうか。
「どうしたんだ?」
震える声で、リリアが答える。
「あれは……あの剣は……」
途切れ途切れに言葉が発せられる。
「ダグラスさんの……!」
リリアは目を見開いて言葉を絞り出した。
「ダグラスさんって?」
問い掛けたが、返事はない。リリアは下を向いて、また何かを考えているようだ。
「まさか……」
「一体どうしたんだ?」
すると、剣の周りにいる冒険者のひとりが、剣に近づいて言った。
「せっかく来たんだ。入っちまおうぜ」
その男が剣に触れようとしたのを見て、リリアが弾かれたように叫んだ。
「だめっ!」
リリアの声は届かず、男は剣に触れた。
その直後、剣が眩しいほどに輝き出し、ダンジョンを照らした。視界が奪われる。
世界が、変わる。
「っ!」
目を開けた時には、すでに幻思世界に入っているようだった。スタート地点は街の広場のようだ。
ーーリリアのさっきの言葉の意味は何だったんだ?
真意を確かめるために、リリアに問い掛けようとしたが、リリアは目を見開いて何かを見ていた。その視線の先には。
人の身の丈の三倍はあろうかと思える一つ目の人型モンスターがいた。
「なんだよ、あれ……」
俺は唖然とした。あんなモンスターには遭遇した事がない。
「サイクロプス……」
静かにリリアが呟いた。
「サイクロプスって、あの!?上位モンスターのサイクロプスか!?」
「ええ。あれは間違いなくサイクロプス。きっと、この世界は……」
余程腕に自信があるのであろう、剣に触れた張本人である冒険者の男が叫ぶ。
「出たな、サイクロプス!俺が討伐してやるぜ!」
そう言って走り出した。飛び上がりながら剣を振り上げ、サイクロプスの胴体に斬りつけようとしたその時。
サイクロプスが腕で男を払った。
その衝撃で男は吹き飛ばされ、街の建物に叩きつけられた。叩きつけられた建物が崩れて、男を押し潰す。
数秒、静寂が辺りを包む。静寂を破ったのは、冒険者達の叫び声だった。
「ひぃぃぃ!!」
勇敢なはずの冒険者達が逃げ惑う。中にはサイクロプスの攻撃を食らう者もいた。
再びリリアが口を開く。
「間違いない。この世界は……Aクラスよ」