第92話
※※※※※※※※※※
ネオン街を通り抜けた隅の方に聳え立つ、真っ白なマンションのような建物。ライトで照らし出されているものの、窓は数少ない。
無人の受付を通り、宇宙は口を開かずにエレベーターに乗る。
余談だがディツェンバーはエレベーターに乗るのはこれが初めてである。足から伝わる振動を感じながら、点滅する数字を見つめた。
「着いた。こっち」
宇宙に先導されてエレベーターの近くにある部屋の鍵を開けては入る。
テレビ、ソファー、テーブル、大きめのベッドと必要な物しか置かれていなかった。
奥の扉の向こうには何があるのか、と、どこかわくわくしながら見に行こうとしたその時だった。
「──うわっ、!?」
腕を引っ張られ、よろけるようにしてベッドへと倒れ込んでしまった。
ディツェンバーの下腹部に馬乗りになって、宇宙は無表情のままに見下ろす。
「そ、宇宙、さん……?」
「ディツェンバー君、女の人と経験ある?」
突然投げ掛けられた質問に、カッ、と顔が熱くなった。それは正直に答えていいものなのだろうか。
迷っていると「早く」と低い声色で急かされたので、渋々答える。
「…………あります」
「あっそ。なら任せた」
「ちょっちょちょちょっと待って!!」
服を脱ごうとワンピースのボタンに手を掛けた所を静止し、ディツェンバーは問う。
「急にどうしたの!?」
「…………あぁ。まだ言ってなかったわね。ここは所謂男女の営みをしたりする場所。別にお喋りだけして帰るのもいいかもしれないけど、お金も勿体無いし私のストレス発散に付き合ってよ」
「そういう施設は人間界にもあったんだね……って、そうじゃないそうじゃない! どうして僕なの!?」
「そこにいたから」
さも当然の事、といったふうに述べる宇宙に若干呆れつつも、ディツェンバーは首を横に振って断る。
「いやいやいや君は嫁入り前の女の子なんだから……」
「何よ。私だって経験の一つや二つはあるわよ」
「そ、そういうのって人間は好きな子とするって聞いたんだけど……」
「人と場合によるの。ディツェンバー君はどうなのよ」
「ぼ、僕は許嫁はいなかったけど、いつか結婚する予定だったからね……教育係もいたし……えっと」
「んな事聞いてないのよ。好きな人いるの? だから私としたくないの、って聞いてんの」
「い、いないけど……」
「ならいいじゃない。お互い持て余してんでしょ」
「ヤケにならないで!?」
服を脱ごうとする宇宙と、それを阻止するディツェンバー。ディツェンバーも、宇宙が苛立っているのには気が付いていた。
しかしその発散方法が好いていない相手との交接なのは如何なものか、とディツェンバーの中で疑問が渦巻いていたのも事実。
そして何より、本当に彼女がそれを望んでいるのか。それを知らない限り、ディツェンバーが首を縦に振る事はない。
そんな拮抗した状態が続く事数分。
突然、宇宙が叫び出した。
「──っ、あぁぁぁぁぁぁもう!!!! 何もかもがムカつくの!! 陸ちゃんも……海君も空君も!! 父さんも母さんも天月兄さんも大地も夕凪も!! アンタだって大嫌いよ!!」
不満を爆発させた彼女は留まる事を知らず、そのままディツェンバーの胸に顔を埋めて泣き出してしまう。
薄い衣服越しに湿った感覚が伝わってくる。彼女の肩は小刻みに震えていて、ディツェンバーはどう対応したものかと困り果てていた。
そもそもディツェンバーの知る師走宇宙とは。
どんな時でも陽気に笑い、魔物による被害が出ないようにと誰よりも前向きに殲滅隊の事を考えている女性だ。
可憐な少女のような見た目も相まって、彼女の魅力として備わっている。陽気過ぎるのが玉に瑕だが、ディツェンバー自身それが不快だと思った事はない。
故に、突然このような行動に移した彼女の気を察せないでいる事が、何よりも辛かった。
「………………」
そっ、と。
優しく彼女の背に腕を回す。こうして直に触れると分かる、女性らしい華奢な体躯。
どちらかと言えば男性に混じって盛り上がるタイプの彼女だが、やはり彼女は一人の女性なのだと実感させられた。
「…………ずっと、怒ってたんだね……」
慰めるように、宇宙の頭を撫でてやる。
「僕は、君の力になりたい」
まだ自分の役目を見付けていないから。ならばせめて、恩人である彼女を救いたい。少しでも楽にしてやりたい。
「君は、僕にどうして欲しいの」
答えは返ってこないかもしれない。しかし一度口にしてみる。
宇宙はゆっくりと顔を離して、涙に濡れた瞳でディツェンバーを見下ろした。
「少しの間でいいから……私の責務を……、罪を……忘れさせて」
「…………一つだけ聞かせて。本当に僕でいいんだね?」
「……本当に嫌いな人に、こんな事頼まない……」
先程宇宙は言った。
陸も海も空も。家族も。そしてディツェンバーの事も嫌いだと。
ディツェンバー含める者達が、彼女の怒りと悲しみの引き金となっているのだろう。
本当ならば、彼女の怒りと悲しみの原因を知りたい。説明して欲しい。その上でなら、ディツェンバーは他に対策を講じる事が出来るかもしれないから。
しかし今は、彼女が望むままに応えよう。
今現在のディツェンバーの役割は『宇宙の我儘を受け入れる事』。
宇宙の返答を聞いたディツェンバーは、彼女の後頭部に手を回してそっと唇を重ねた。