第85話
「はい。何ですか?」
アウグストは柔らかい口調でそう言聞き返す。先程もずっと隣にいたのだが、その顔を真剣には見れなかった。
でも、ちゃんとあの事を話さないといけないと思ったから。
反乱軍の一人として城に攻め込んだとはいえ、ゼプテンバールが殺めてしまったメーアはアウグストの妻だ。
仲間が愛した、女性なのだ。
直前まで気付けなかったとはいえ、彼女の人生を断ったのはゼプテンバール自身。
その事を伝えないと。
頭ではそう分かっているのに、一向に口は動いてくれない。声も上手く発せなくて、アウグストから見ればゼプテンバールが何をしたいのかすら分からないだろう。
俯きがちにもごもごと口を動かすゼプテンバールを見て、アウグストはふっ、と頬を弛めた。
「大きくなりましたね。幾つになったのですか?」
話しやすくする為か、アウグストは一旦話を逸らしてくれた。メーアも彼と同じように、言い淀むゼプテンバールに話題を逸らしてくれたっけ、と思い出しながら質問に答える。
「…………十六……」
「目線がそんなに変わりませんね。……そっか……四年かぁ……」
「……うん……まだまだ一人前には程遠いけど、ちょっとは成長出来たよ……多分」
「してますよ。正直驚きました」
にこりと笑うアウグストを見ると、胸が少し痛んだ。また黙り込んでしまえば、彼が話題を振ってくれるだろう。
このまま何も言わずに去っても、アウグストにメーアの死も、自身が手を下した事も知られないだろう。
しかしそれはゼプテンバールにとって許し難い事だ。自分の口で、真実を述べなければ。
恐怖を誤魔化すようにシャツの裾を握り締め、ゼプテンバールは声を発する。
「あのね……僕……、言わなくちゃいけない事があって……」
「……はい」
「反乱が起きて……城の中に沢山、魔物が入ってきて……その時に僕、無我夢中で闘ってたんだけど……」
アウグストは相槌をうつ事もしなかった。ただ静かに、ゼプテンバールが伝えようとしている事を聞き取っている。
「都合がいい事を言うかもしれない……僕の心が楽になる事を望んでるだけなのかもしれない……。お前に嫌われてもいいし、殴られても仕方ないと思う。…………僕は、メーアさんを……殺しちゃったんだ……」
静かに、アウグストが息を飲んだのが分かった。その後も何も言わない彼の反応を見るのが怖くて、自然と視線が下に向いてしまう。
「闘って……刺した後に、メーアさんだって気付いた……。アウグストの奥さんを……大切な人だって……最愛の人だって知ってたのに……。僕っ……」
黄緑色の床に雫が落ちた。
それは留まる事を知らずにポタポタと、ゼプテンバールの目から零れ落ちていく。
「ごめん、なさいっ……言い訳はしないし、僕の事嫌ってもいい……! だから、……だから……!」
「…………ゼプテンバール君」
アウグストが名を呼んだ。恐怖と驚きで肩が揺れる。どんな罵詈雑言を浴びせられるだろうか。
ぎゅっと目を閉じて、続きを待った。
「俺は……俺からは何も言いません。でも、これだけは言わせて下さい」
そこで一度区切って、アウグストは言った。
「ちゃんと話してくれてありがとうございます。やはり君は優しい子ですね」
「え、……?」
「俺はその事を知らなかったので……ゼプテンバール君が話してくれなければ、一生知る事は無かったでしょう。でも、君は教えてくれた。
それに、俺の妻が反乱軍の一人としてやって来たのなら……俺が君を責める資格はありません」
「でも──」
「君の心にも、深い傷を負わせてしまいましたね。すみませんでした」
アウグストに謝罪されるとは思わなくて、ゼプテンバールは涙に濡れたその目を大きく見開いた。
怒るでもなく、責めるでもなく、殴るでもなく。
アウグストは事実を受け止めて、此方にも非があったと言った。
それは気遣いでも何でもなく、彼本心の言葉だという事をゼプテンバールは感じ取れた。
「アウグストもメーアさんも悪くないんだ……僕が魔力に気付けていれば……」
「それでも。君が気に病む必要は無いんですよ。君は俺に真実を話してくれた。それだけで充分なんです」
ゼプテンバールの頭を撫でながら、アウグストは柔らかな声色でそう述べた。
「妻が魔王様を手にかけていたら……それこそ俺は耐えられません。妻が手を汚すのは嫌ですから……」
「………………」
「君は魔王様の部下としての責務を果たせたんですよ。誇りに思って下さい」
仲間の最愛の人を殺めたとしても。主への忠義は果たす事が出来た。
アウグストは同じ魔物としてではなく、同じ部下として励ましてくれている。
「……うん……。ごめんなさい……」
「いいんですよ……」
最後にもう一度謝罪して、ゼプテンバールは顔を上げた。
「もう……会えなくなるんですよね……。寂しいな……頑張って、下さいね」
「うん……!」
力強く頷くと、ゼプテンバールの身体が靄に包まれた。やはりどこかで見ていたグリーゼルがタイミングを見計らってくれたらしい。
遠くなる意識を感じながら、ゼプテンバールは目を閉じたのだった。