第8話
書庫に到着するなり、ゼプテンバールはアウグストの名を呼んだ。広い書庫とはいえ、大声で名を呼ばれたら普通は気付く筈だ。
しかし返事どころか気配すらない。アウグストの魔力が微かにだが感じられるので、書庫にいるのには間違いないのだが。
「何処に居るんだよあの信者は……!」
壁に掛けられている時計に目を向けると、時間は残り二十分だった。早くアウグストを連れて行かなければ、と焦りが募る。
だが慌てて首を振って落ち着きを取り戻す。
「焦っちゃダメだ……まだ時間はあるから大丈夫……」
奥の方を探しに行こう、と足を踏み出した瞬間、何かに躓いてその場に顔面から床に倒れてしまった。
「ぐえっ!?!?」
喉の奥から捻り出されたような呻き声を発した後、ゼプテンバールは痛む鼻を抑えながら自身の足を引っ掛けたそれを確認する。
「何これ……取手?」
扉の取手のようなものが、床にあったのだ。疑問に思いながらそれに手をかけ、力の限り引き上げる。
そこには地下血続いているらしい階段があった。明かり一つ無くて真っ暗だが、アウグストの気配が強く感じられる。
「この下にいるのか……全くもう手間のかかる……!」
文句を口にしながらもゼプテンバールの足は地下へと向かって行った。
地下に到着した頃にはちらほらと明かりが見えていた。それを頼りに奥へ奥へと進む。
やがて辿り着いたそこに、アウグストの姿はあった。小さな電球に照らされた空間にただ一人。ゼプテンバールには彼の背中しか見えないが、何か作業をしているらしい。
ゼプテンバールの気配に気付いたのか、おもむろに振り返ったアウグストは何度か瞬きを繰り返した。
「おや、どうしたんですか? ゼプテンバール君」
「……迎えに、来たんだけど……」
「? 本日は何か用事がありましたか?」
どうやら素でそう言っているらしい。若草色の瞳に一点の曇りもない。ゼプテンバールは呆れながら茶会は今日である事を伝えた。
「…………………………え、何の冗談ですか?」
だがアウグストは戸惑っていた様子だった。ゼプテンバールにも彼が何に困惑しているのか分からない。
だがその答えはすぐに出た。
「お茶会は明日だと伺ってますが……招待状にもそう書かれてます」
そう言って彼が見せてくれた招待状には、確かに日時が明日と記されていた。
(じゃあ……ディツェンバー様のミスって事……?)
招待状はディツェンバーに渡された物だ。それをゼプテンバールが各々に手渡した。アウグストも現にこうして持っていてくれたのだから。
それに、ディツェンバーの信者であるアウグストがドタキャンする筈がない。ゼプテンバールの確証は外れてはいなかったのだ。
「じゃあ急ごうよアウグスト! 今ならまだ間に合うし」
「それは……。……やっぱり、遠慮しておきます……」
「な、何急に弱気になってんのさ……」
「手違いとはいえ、俺が遅刻したという事実は無くならない。君が迎えに来てくれなければ、俺は知らない間にあの方の信用を無くしていたかもしれない」
「なら!」
「でもその様子だと君だけなんでしょう。俺を探しに来たのは」
「…………」
否定は出来なかった。あの様子では、ゼプテンバールに続いてアウグストを探しに動いている者はいないだろう。
それは彼も察してしまったらしい。
「君は一言も言わなかったでしょう。『皆待ってる』って」
「それは……!」
「いいんです。探しに来てくれてありがとうございます。土産品が無駄にはなりますが……俺はやはり賑やかな場が苦手なので、好都合という事で」
「意味分かんない!!」
狭い地下にゼプテンバールの声が反響した。アウグストはびくりと肩を揺らして、戸惑いに満ちた瞳をゼプテンバールに向けた。
「お前……ディツェンバー様を裏切るつもりなのかよ!?」
「そんな事は一言も言っていませんよ。それに、俺知ってるんです。このお茶会、招待状の差出人はあくまでディツェンバー様ですが……計画したのは君とフェブルアールさんなんでしょう」
疑問形ではなく、事実を確かめるように口にした。それは紛れもない事実なのでゼプテンバールは言い訳せずに、素直に頷いた。
「あぁそうさ。ディツェンバー様は僕に協力してくれた。でも……でもディツェンバー様だって……お前等と仲良くなりたい筈だよ」
「ゼプテンバール君……」
「それに……ちゃんと土産品まで用意してるんじゃんか……。まだ間に合うんだから……早く行こうよ……」
「………………」
アウグストは少しの間何かを考えていたのか黙っていたが、やがて立ち上がって机の引き出しを開けた。
赤いリボンで飾り付けられた木箱を持ったかと思うと、ゼプテンバールの肩に手を置いて
「転送魔術で移動します。俺から離れないで下さいね」
と静かにそう言った。
ハッとしてアウグストを見上げると、どことなく気恥しげな様子で詠唱を唱えていた。
賑やかな場は苦手、と言いながらも実は楽しみにしていたのかもしれない。
時間もまだ余裕があるし、転送魔術ならば一瞬で場所の移動が出来るのでゼプテンバールは何も心配していなかった。
──のだが。
「えっ」
ぐんっ、と一瞬身体が落下するのを感じて、ゼプテンバールは地面に叩きつけられるようにして倒れてしまった。周囲の景色を見る限り庭園に戻ってきてはいるらしい。
「はぁ……間に合ったかな……」
にしても何故ゼプテンバールは宙に投げ出されていたのだろうか。といっても、アウグストの魔術が失敗したとしか考えられないが……。
「ぜ、ゼプテンバール……君……」
ふわふわ、と宙に浮いているアウグスト。宙に投げ出されたのは彼も同じだったらしい。だが彼はゼプテンバールと違って魔術の扱いに長けている。咄嗟に浮遊魔術を使ったのだろう。
だがアウグストの顔色は良くなかった。何かを言いたげに視線をきょろきょろと彷徨わせている。
「? どうしたの?」
「は、早く退いた方が……」
「えっ?」
そういえば草の感触が全く無い。それどころか落ちた痛みもほぼ無い。
ふと、視線を下に向けると、そこにはゼプテンバールの下敷きになったらしい主が横たわっていた。
「ディッッッ、ツェンバー様ッッッ!?!?」
慌てて立ち上がり、ディツェンバーを起こす。幸いにも大きな外傷は見られなかったが、それより何より自身の主を下敷きにしてしまった罪悪感は募るばかりだった。
「申し訳ございませんディツェンバー様!! お怪我はございませんか!?」
「大丈夫だよ〜それよりも時間以内に帰ってきて偉いね〜」
ゼプテンバールの失態を咎める事無く、服についた汚れを払って頬笑みを浮かべるディツェンバー。
だが内心では怒っているかもしれない。そう思うと喜ぶに喜べなかった。
しかしそんなゼプテンバールをよそに、ディツェンバーは手を叩いて空気を切り替える。
「さて、全員揃った事だし、お茶会を始めようか」