第78話
ディツェンバーを召喚して数日後。
研究所内にある一室のソファーに海、陸、空と並んで腰を下ろす。ソファーの隣に座る陸が盛大なため息を漏らした。
「はぁ〜……まだ信じられないや……」
「頭の整理、着かないよね」
メガネを拭きながら空もソファーの背もたれにもたれ掛かる。
「なんで宇宙さんあんなハイテンションなの……」
「研究者の性ってやつでしょ……」
ふと、海が廊下を見ると、宇宙が一人の幼子を抱き上げ通り過ぎるのが視界に映った。穏やかな青い髪に月明かりのような黄色の瞳。虐待されていた痛々しい傷が頬に残り、青く腫れ上がっていた。
「今の子は……」
「施設にいた子」
同じく視線を向けていた陸が答えてくれる。
「挨拶したら笑いかけてくれるいい子よ〜」
「子供の扱いはよく分からない」
「自分も子供じゃん」
海は現在十七歳。陸は一つ年下で、空は二十歳だった。
海は眉根を寄せて、肩を竦める。
「ところで、魔力の移植ってどうするのかな?」
ふと陸が口にした疑問に答えたのは空だった。眼鏡をかけながら口を開く。
「魔物の魂の結晶である魔石。あれには微力ながら魔力が宿ってる。そして意思もね。それを体内に直接埋め込むらしいよ」
「そんな事可能なんだ……」
「ただ、元々ない物を入れるからね。一週間程度で魔力が身体から分離しようとするんだって」
「え、駄目じゃん!」
そこで、と空は懐から小さな小瓶を取り出した。中には水色の液体が入っている。
「そ、それは……?」
「召喚した日に、ディツェンバーさんが持ってた魔石を調べさせてもらってね。魔石の中にある魔力と似せて作った薬さ。これを週一で飲むと、魔力が分離せずに身体に定着したままでいてくれる」
「凄い……って、召喚した日って一昨日位だよね!? もう作ったの!?」
二十歳で為せる事ではない、と陸は驚きを露わにする。海も内心驚いてはいたが、表に出す事はしなかった。
「……こんにちは」
ふと、海達の背後から声がした。人間界の衣服をまとったディツェンバーを見て、海は一瞬目を見張った。
「どうも……」
たどたどしい返事をして、海は自身の隣に腰かけるディツェンバーを見つめた。
「君達にお願いがあるんだ」
「何でしょう」
「ノヴェンバーという魔物を召喚してくれないかな? 私の側近の一人なんだが……彼女を魔界に置いてきてしまってね」
「は、はぁ……分かりました」
「やってみます」
海、陸、空は先日、ディツェンバーを召喚した場所へと向かった。魔法陣を囲むようにしてそれぞれ三方に別れて立つ。
「誰だったっけ?」
「ノヴェンバーさんだよ」
召喚の際、魔物の名前を告げると呼び出せる確率が高くなるそう。そのノヴェンバーが応えてくれるかはさておき、とりあえずやってみなくては始まらない。
詠唱を唱えると、先日と同様に光と風が巻き起こる。今度は目を閉じる事なく、腕で目を庇いながら魔法陣の中央を見つめた。
そしてその魔物はふわり、と姿を現す。
「……私を呼ぶのは……どなた」
凛とした女性の声。
二回続けてこうも単純に成功するとは思わず、海は目を瞬かせる。艶やかな腰まである金髪と、目元にある黒子が特徴の女性がそこに立っていた。
「ノヴェンバーさん……かい?」
空が聞くと、女性はゆっくりと頷いた。
「いかにも」
「ディツェンバーさんに呼ぶように言われて……呼ばせてもらったんだ」
「! ディツェンバー様はご無事なのですか?」
静かに、それでいて焦ったように、ノヴェンバーは問うた。空が頷くとほっとしたように目元を弛める。
「案内しますね」
ノヴェンバーを連れて研究所に戻ると神妙な面持ちで宇宙が腕を組んで座っていた。隣にはディツェンバーも立っている。ノヴェンバーはディツェンバーの姿を見るなり、慌てて駆け寄った。
「ディツェンバー様! ご無事で何よりです!」
「ノヴェンバー。魔界の現状を聞きたい」
「勿論でございます」
ディツェンバーのノヴェンバーは部屋の外へ出て行ってしまう。海は横目でそれを見て、眉根を寄せている宇宙に歩み寄った。
「何かあったのか?」
「……失敗したのよ……」
何が、とは言わなかったが、海はなんとなくだが察せてしまった。
「幸い、命に別状はなかったけど……拒絶反応が酷い……」
ギリッと歯ぎしりする音が聞こえる。海は宇宙を見下ろしたまま、何も言わなかった。かける言葉などないと分かっていたからだ。
それは陸も空も同様だったらしく、静かな空気が漂った。
※※※※※※※※※※
「僕が消えてから、どうなった?」
「例に則り、アルター様が即位なされました。政策を立て直すと同時に、反乱分子となり得る通称ディツェンバー派の抹殺を掲げているようです」
ノヴェンバーからそう告げられて、ディツェンバーは胸が締め付けられたのが分かった。勿論、反乱という形で王位を退けられたので、こうなる事は薄々分かってはいた。
しかし実際に聞くと、想像以上に苦しい。誤魔化すかのようにゆっくりと息をついて、ディツェンバーは頷く。
「そうかい……」
「……お力になれず申し訳ございません」
悲痛そうに眉根を寄せながら、ノヴェンバーは頭を下げた。
ノヴェンバーはあの日、ディツェンバーから言い渡された仕事の為城にはいなかったのだ。もしも自分があの場にいたら、また違った結果があったかもしれない。そんな自責の念をノヴェンバーは抱いていたのだろう。
「頭を上げて。気に病む必要はないんだよ。君は僕の命令に従っていただけなんだから」
励ますようにそう言うと、ノヴェンバーはおもむろに頭を上げた。
「…………十勇士の皆様も消滅したと聞きました。城にいた使用人や官僚達も……」
「あぁ……これから魔界は、アルターが率いる敵軍と考えた方がいいんだろうね」
(結構、辛いなぁ……)
謀反を起こした張本人とはいえ、アルターは弟なのだ。進んで戦いたくはない。
ゼプテンバールの願いでディツェンバーは地位を捨てて召喚に応じた。今後、魔界に帰る事は出来ないだろう。出来たとしても、ディツェンバーには戻る気などない。
ただ、生きるのだ。
自身を守る為に全力を尽くしてくれたゼプテンバール達の為に。
「ノヴェンバー。君はどうする? 呼び出したのは、あくまで魔界の様子を聞きたかったから。君が魔界に戻るというのなら止めはしないよ」
「……お言葉ですがディツェンバー様」
それまで申し訳なさそうに表情を曇らせていたノヴェンバーが、背筋を伸ばして真っ直ぐにディツェンバーを見つめた。
「私は貴方様にお仕えする者です。例え国の王が変わろうと、私の忠誠を誓う方はただ一人……貴方様です」
「………………」
「なんなりと、お申し付け下さい。ディツェンバー様」
給仕服の漆黒のスカートを摘み上げ、美しく礼をしてみせるノヴェンバー。彼女の意思は、しっかりとディツェンバーに伝わった。
「ありがとう……ノヴェンバー……」