第73話
すたすた、と歩く海は、前を向いたまま陸に話し掛ける。
「学校に行くぞ。遅刻だが……不良に絡まれたとでも言えば見逃してくれるだろう」
「や、海ちゃん……今日、……もう、そんな気分じゃないっていうか…………」
言いにくそうに、陸はそう言った。
確かに、通学途中に魔物に襲われ、其奴が殺される現場を目撃し、陸は気絶している。
体力的にも精神的にも、学校所ではないだろう。そしてそれは少なからず海も同じだった。
「…………そうだな……。帰るか?」
「うん……」
「スーパー寄るぞ。今日はカレーだからな」
「…………うん」
ぶっきらぼうながらも、陸を気遣う様子が垣間見えた。それが嬉しくて、陸はつい顔を綻ばせてしまう。
「ありがとう、海ちゃん」
「別に。何もしていない」
海から自身の鞄を受け取り、陸と海は並んで歩き始めたのだった。
※※※※※
スーパーで買い物を済ませ、陸の家で時間を潰す事になった海。この際昼ご飯もカレーにしてしまおう、と下準備を始める。
陸は現在、下着や洋服がひっくり返された部屋を掃除している。
いくら幼馴染とはいえ年頃の少女の下着を把握したくはない。視線を向けないようにして、海は台所に立つ選択をとったのだ。
──陸には両親がいない。否、正確には数年前に亡くなったのだ。
魔物と呼ばれる存在に殺されて。
たまたま陸と共に彼女の自宅は帰ってきた時に、その男はいた。玄関の扉を開けてすぐに目に映ったのは、陸の両親の血溜まり。
尖った耳をした男が襲いかかってきたので、海は陸の腕を引っ張って無我夢中で逃げた。そして追い詰められた時、海は近くに落ちていた廃材で男に殴りかかったのだ。
幸いにも撃退する事は成功したが、陸の両親は既に冷たくなってしまっていて。
そんな彼女が落ち込まないように、海はずっと陸の傍にいる。
学校がある日は毎朝迎えに行って、危険な目に遭わないように送り届けて。週に一度料理を作って。会わない休日は挨拶するだけのメールを送る。
全ては、幼馴染の為。
そんな彼女に、自ら危険に飛び込めと言わんばかりの宇宙の言葉が、とても腹立たしかった。海はその場に立ち尽くし、深く息を吐く。
「……海ちゃん」
と、ある程度片付けを終えたらしい陸が、後ろから声を掛けてきた。ゆっくりと振り返ると、陸は寂しげに眉尻を下げて
「今日、泊まってくれない?」
と、口にした。
「………………」
「あっ、や、やましい事がある訳じゃなくて……こっ、怖い……から……。傍にいて欲しいなぁ……なんて……」
「………………」
海は暫しの沈黙の末、首を縦に振った。
「まぁ仕方ない。今日だけだぞ」
海がそう言うと陸は嬉しそうに顔を輝かせて笑んだ。
突然トラウマを甦らせるような出来事があったのだ。流石の海もここで彼女の頼みを切り捨てる程無慈悲ではない。
「やった! ふふっありがとう」
「が、軽々しく男に泊まれとか言うんじゃない。俺にやましい気持ちがあったらどうするんだ」
「……海ちゃんはそんな人じゃないもの。信頼してるからよ」
なんと返事をするべきなのだろうか。呆れたように溜め息をついて、海はじゃがいもを切ろうと包丁を手に取った。
「だから……海ちゃんが決めていいのよ」
ピタリ、と手が止まった。
「…………は……?」
「さっきの話……。海ちゃんは……私の為に色々してくれてる。それはとっても嬉しい。私の救いだもの」
海は手にしていたじゃがいもと包丁を置き、陸に向き直る。その件については、ちゃんと彼女の目を見ておかないといけない。そう思ったからだ。
「私の事気遣ってくれたんでしょう? でもね……私、海ちゃんの重荷にはなりたくない」
「……お前は、俺のしたい事を邪魔するのか?」
「…………」
海の質問に、陸は目を見開いて動きを止めてしまった。
「そ、れは…………え……?」
「俺は、お前を守りたいと思っているから、送り迎えだってしているし、飯を作りにも来ている。それをやめたいと思った日は一度だってない。俺は俺のしたい事をしているだけだ。ずっと前からな」
「海、ちゃん……」
「それとも。お前にとっては迷惑だったのか?」
内心では、陸がそんな事を思っていないと分かっている。しかし改めて言葉にして問わなければ、陸は「海に迷惑がかかる」と言い張るだろう。
だからこそ、海はそう言った。
海の言い回しに、陸はむっとした様子で声を張り上げる。
「そんな事ないわ! ただ……私は……海ちゃんまで失いたくないの!! 怖いの……また魔物が襲ってきて……私を庇って海ちゃんが死んだらどうしようって! 海ちゃんには家族がいるんだから……私なんかよりも──」
「黙れ、陸」
小刻みに震えている陸の両肩を掴んで、海は詰め寄った。威圧的な雰囲気に陸は小さく息を飲んだ。
「一度しか言わないから覚えておけ。俺はお前の事を家族同様に大切に思っている。自分を卑下する事は俺が許さない」
「…………でも……」
「俺はお前を失いたくない。分かるな?」
有無を言わせない圧力をひしひしと感じながら、陸は頷いた。最早脅迫に近かったのだが、これで良かったのかもしれない、と海は陸から離れる。
「じゃあ俺から聞こう。陸、お前はどうしたい?」
海に問われた陸は、暫くの間黙り込んでいたが、やがて意を決したかのように顔を上げた。