第71話
ふふん、と笑みを浮かべて海と陸を見つめる、宇宙と名乗った女性の腕が、突如桃色の靄に包まれた。正確には、彼女の持つ刀が、だが。
やがてそれは姿を消し、宇宙の掌の上に桃色の石が残されているだけだった。
(そういえばあの男は……!?)
慌てて姿を探すも、襲ってきた男性の姿もない。と、宇宙が海の足元に地面に落ちていた茶色の石を拾い上げる。
「これからガッコー? サボれない? お話あるからさ」
軽々しい口調でにっこりと笑む。
断ろうと口を開きかけるも、この女性は刀を所持していた。つまりそれは、海達に斬り掛かる事も可能という事。
怪しむように宇宙を睨め付けていると、ふらりと陸が気を失ってしまった。慌ててその身体を支える。
「陸!」
「あらら気絶しちゃった? ま、あんなの見ちゃったら当然か。ほら鞄貸して。君はその子を運んで。私達のアジトに案内してあげるから」
「…………」
拒否権はないらしい。海と陸の鞄を持ってスタスタと歩き始める宇宙。
陸を横に抱き上げ、海はその背を追った。
※※※※※
宇宙に案内されてやって来たのは、繁華街の細道の奥に聳える寂れた廃墟だった。
否、寂れて見えていたのは外見だけであった。
扉を開かれ中へ入ると、そこには数十人の男女が屯っている。掃除も行き届いているように見受けられたので、そこそこ人の出入りが激しい場所らしい。
(まるで不良の溜まり場だな……)
しかし彼等にも、宇宙にも、海達を捕まえてどうこうしようという意思は感じられなかった。
それどころかにこやかに挨拶をしてくれる。
戸惑いを覚えつつも一応挨拶を返していると、慌てたような声が聞こえてきた。
「宇宙ちゃん! 今日は集会の日だって言ってたじゃないか。何処に行ってたんだい!?」
宇宙の姿を見て、部屋の奥から一人の青年が駆け寄ってきた。色素の薄い茶髪に、鋭い切れ長の目をしている。
焦ったような彼にひらひらと手を振って、宇宙は悪びれる様子もなく言う。
「勧誘〜? ま、遅刻したのは謝るわ」
「全く……電話にも出ないし、心配したんだからね」
「ごめんごめん。と、空君。彼等を奥へ。パターンBね」
空、と呼ばれた青年は、視線を宇宙から海達へ移す。
「分かった。僕が引き受けるから、宇宙ちゃんは皆を」
「はぁい。じゃ、この空君に色々説明してもらって」
そう言い残して宇宙は空に海達の鞄を手渡し、足早に去って行ってしまう。そしてすぐさま、空は口を開いた。
「まずはこっちへ。女の子を横にしてあげよう」
海の腕の中で眠る陸の現状に至るまでを察したらしい空は、海に目配せして歩き始める。
海は一瞬だけ、視線を宇宙の背に向けた。
(他に退路はなさそうだな……陸の安全面を考えても、大人しくしていた方がいいかもしれない)
鞄を捨て置いて逃げる事も考えたが、人数や相手の思惑が分からない以上、海に為す術はない。警戒は解かずに、海は空の後を追った。
奥の部屋に通されると、まず目に入ったのは簡易ベッドだった。
毛布を広げ、空が呼び掛ける。
「こっちへ。怪我はしてないかい?」
「あぁ。助けてもらったからな」
陸を寝かせながら、空の質問に答える。そっか、と安心したように微笑んだ空に、今度は海から質問を投げ掛ける。
「お前達は何を企んでいるんだ」
「えっ……?」
「突如俺達の前に現れた男の事も気になるが……まずはお前達の事を聞きたい」
「………………」
ぱちくりと目を瞬かせた後、空は可笑しそうに吹き出した。
「あはっ、ふふ、ははは」
「な、何が可笑しい……」
「企んでるって……僕達はギャングでもなければ不良でもないよ。君の言い方じゃあ、僕達は極悪なテロリストみたいじゃないか」
「む、違うのか」
「違う違う。ちゃんと説明するから、そこに掛けておくれ」
促されて、海は渋々ソファーへと腰を下ろした。その向かいに空も座り、改めて口を開いた。
「まずは自己紹介をしよう。僕は四季空。君達を連れて来た女の子は師走宇宙ちゃんね」
「俺は夜鳥海。コイツは緋月陸だ」
名前を述べるだけの簡潔な自己紹介を終えてから、空は早速、と話し始めた。
「まず始めに、君は魔物と呼ばれる存在について知っているかい?」
「いや。聞いた事がないな」
聞き覚えのない単語に即座に首を横に振る。
「尖った耳を持つ……人間とは少し異なる存在。彼等は基本、魔界と呼ばれる世界で生活してるんだ」
海と陸の目の前に現れた男性は魔物と呼ばれる存在だったらしい。
確かに、あれを人間というには少し無理がある。
「彼等は基本、人間の目には映らない。見えるのは極一部の人間……魔人と呼ばれる者達だけ」
「……俺と陸は子供の頃から見えている。つまり、俺達は魔人、という事だな?」
確認するように聞くと、空が頷く。
「そう」
「そしてお前達も、か?」
「察しが良くて助かるよ。さっきいた人達も皆魔人。そして何で集まっているのか。僕達は……人間界に蔓延り、危害を加えようとする魔物を……一人残らず殲滅しようと思っているんだ」
そう言う空の目には、強い闘志が宿っていた。